「映画」という作品には、見て楽しむだけでなく、調べる、体系的に整理する、考察する、論じる、批評するといった、さまざまな行動が付随してくる。

ただ見るだけでなく、なかには、封切り当日に映画館へ足を運んだり、毎回論評を書いていたりする人などもいて、映画との付き合い方も人それぞれだ。対象年齢が幅広くジャンルも多彩なため、話し相手が自分よりも詳しいこともある。「映画鑑賞が趣味です」と言うには勇気が必要だ。

そういうわたしが自己紹介の時に言うセリフは、「映画をよく見ているほうだと思います」だ。ジャンルを問わず鑑賞していて、これまでに見てきた作品は、およそ380本。映画を見ること自体は好きだが、数はあまり多くない方だと思う。ただ、人間そのものを映し出している作品や歴史認識ができる作品、なかでも戦争を題材にした映画は、フィクション、ノンフィクションともに見るようにはしている。

わたしが戦争を扱う映画を見続けている理由は、育った環境にある。

幼少の頃から祖父母の戦争体験を聞き、アウシュビッツ収容所の展示に連れて行かれ、自宅には広島の原爆や731部隊を題材にした児童文学が置いてあった。もっと言うなら、キリスト教徒の両親のもとに生まれたことで、「日本人なのになぜ西洋文化のもとに生きなければならないのか」と疑問に思ったり、「救いを求める人々が集うのは同じなのに宗教戦争はなぜ起こるのか」といった会話が家族内で起きることもあった。

戦争や異文化について少しずつ深めながら繰り返し考えたことで、戦争が起こった背景や、戦中の人々の心理状況を知ること、文化の違いを受け入れ合うことのできない理由、他人が虐げられていても無関心になれる原因を知りたい、と思うようになった。そんななかで出会ったのが、「戦争や人間心理を知ることのできる教材」としての映画である。

この連載では、わたしが戦争映画を見ることでどのような情報を得て、何を考えるようになったことを綴っていきたいと思う。

松本 麻美
1988年生まれ関東育ちのフリーエディター。彫刻家を目指して美術大学に入学するも、卒業後は編集者の道へ。世界中の人間一人ひとりがお互いに尊重しながら自由に生きていけるようになればいいのにと思いながら日々仕事をしている。好物はスイカ。本、映画、美術、社会課題などさまざまな分野の間を興味が行ったり来たりしています。

毎週映画を借りていた浪人の2年間

もともと松本家には映画を見る習慣があって、毎週テレビで放送されていた木曜日と金曜日、日曜日の映画の時間には、決まって家族の誰かとテレビの前に座っていた。

自主的に映画を頻繁に見るようになったのは、大学受験に落ち、一浪して予備校に通い続けていた頃だ。その頃から今に至るまで、映画は私にとって現実逃避の道具でありながら、現実世界とつながる通路でもある。

最近読んだ漫画に、物語は「かくまってくれる友人」(『異国日記』ヤマシタトモコ/祥伝社)というセリフがあったが、わたしにとっての映画もまさにそうで、気持ちが落ち込んだりむしゃくしゃして逃げ出したい時や新しい知識を得たい時には助けてもらっていた。

浪人1年目、次年度の受験に備えていたわたしは、月曜日から土曜日までほぼ毎日、朝9時から夜20時頃までを予備校で過ごしていた。入りたかったのは美術大学の彫刻科だったので、石膏像や人物をデッサンし、粘土で模刻(モチーフそっくりにつくること)をこなした。16時までは課題、17時以降は自主練だった。

しかし、いくら時間をかけても一向にうまくならない。思うように向上しない技術を実感する毎日と、大学生でも社会人でもない宙ぶらりんの状態に嫌気が指していた。予備校の友人とは、「同年代は身分証明書として学生証を出しているのに、自分たち浪人生は健康保険証」など自嘲気味な冗談を言い合うほどだった。

そのうち、むしゃくしゃからの逃避として、映画をひとりで見るようになった。もともと本はよく読んでいたが、頭を使う。一方映画は、世界観が映像で提示され、自分はそれを噛み砕いて吸収するだけだ。エネルギーレスに約2時間の現実逃避を可能にしてくれる映画は、わたしにとって格好の娯楽だった。

わたしが予備校に通っていた頃は、今のようなストリーミングサービスすらない時代。おもな映画の鑑賞方法は、木曜日や金曜日、日曜日のテレビ放送を見るか、レンタルショップでDVDやVHSなどのソフトをレンタルすることだった。

毎日夜20時ころまで制作をしていた当時、映画の放送には間に合わない。「ならば」と自宅の最寄り駅にあるレンタルショップで健康保険証を出して会員になり、2、3本のDVDを借りた。予備校から帰宅して夕食をとった後、21時や22時から借りてきたDVDを再生する。それを週に2、3日実行し、次の週には返却と同時に次の2、3本を借りた。さらに浪人が2年目に入っても、同じようにDVDを借り続けていた。

作品を選ぶときはは、ジャケットの第一印象で決めたこともあるが、何本も借りるうちにパターンが生まれた。それは「前に借りた映画とテーマか監督、もしくはキャストが同じ」というものだった。こうすれば、次に借りる作品は迷わなくてもいい。

当時のわたしは、行きたい大学へも行けず、毎日がただただ時間の無駄のようで、3月にならないと受験の可否もわからなかった。対照的に、映画の登場人物は、悩みを持ちながらも自己解決したり破綻したりして、最後には結論が出ている。長くても2時間しか続かない悩みや葛藤は嘘のようだが、映画の基礎にある思考の道筋や倫理観などは現実世界のものだ。

映画がわたしにとって「かくまってくれる友人」になったのは、嘘と現実がほどよく同居し、自分とほどよい距離感を保てるものだったからかもしれない。

ベルリンの壁に関わる2本の映画

予備校時代に見た映画は、200本ほど。そのなかで、強く記憶に残っている2本の映画がある。ともに、1961年に建設され1989年に崩壊した「ベルリンの壁」に関わる内容で、深夜帯のテレビ番組の「今週のDVD発売情報」のような短い紹介枠で取り上げられていて知った作品だ。

1本は「トンネル」(2001年/ドイツ)。1962年4月に実際に行われた、東ベルリンから西ベルリンへのトンネルを使った亡命を原作とした映画だ。西ベルリンに住む人々が家族や恋人との再会を願ってトンネルを掘り始め、亡命が成功するまでを描く。ストーリーの基となったトンネルは、最終的に29人の命を救い「トンネル29」として伝えられている。

もう1本は「グッバイ、レーニン!」(2002年/ドイツ)。こちらは1980年代後半を舞台としたフィクションだ。主人公は、東ドイツに住む青年。昏睡状態にあった社会主義の母親がベルリンの壁が崩壊後に目覚め、東西ドイツが統一していることを知ればショックを受けると思った主人公が、社会主義が続いているように偽装する。母親は療養のため家から一歩も出られないのだが、社会主義のテレビ番組が放送されなくなり、向かいのビルには「コカ・コーラ」の看板が掲げられ……と資本主義の波が押し寄せる。

この2本の映画は、同じベルリンの壁を取り上げたものでも、映画の雰囲気は全く違う。

「トンネル」は、始終切迫感に満ちている。東ベルリンにいる人々は、亡命を選択したことで生きるか死ぬかの瀬戸際に立つことになり、西ベルリンの登場人物は、家族や恋人に再会できるかどうかに直面し続ける。

一方「グッバイ、レーニン!」は冒頭から開放感があり、東ドイツ時代の衣服や食品の収集に奔走する主人公やその恋人、友人とのやりとりも含めてコミカルに描かれている。色味も明るくビビッドで、当時東ドイツに住んでいた人々の希望を表現しているかのようだ。

対照的なこの2本だが、共通して第二次世界大戦後の流れで分断されたベルリンで、体制や社会に翻弄される人々の姿が描かれる。鑑賞後は物語に感情移入しやすい自身の性質も手伝って、「壁の有無がこんなにもたくさんの人の人生を左右するのか」と思ったし、人々が望むように暮らすことを他人が侵害する権利があるものかと憤りを感じた。

戦争は行われている時だけでなく、その後の社会にまで不平等と混乱をもたらすものだと考えたことを覚えている。

人生を追体験して視野を広げられる映画鑑賞

この話には後日談がある。浪人2年目の秋、当時留学していた姉を訪ねてドイツへ旅行した時のことだ。断続的に平和教育を受けた2人なので、当然のごとく「ベルリンの壁博物館」へ出向き、壁の建築から崩壊までの歴史の展示を見た。

展示では壁の歴史だけでなく、「トンネル」のように東ベルリンから西ベルリン亡命を図った人々についても紹介されていた。言語はドイツ語のみだったが、写真など多くの資料を通して感じることは多かった。

ここでわたし自身なかで、実体験と映画が「カッチリ」とつながった。それまではノンフィクション作品でも、頭のどこかでは「遠いところで起こった出来事」と感じていた。ところが、展示されていた記録やストーリーなどを見ていくにつれて、映画に描かれていた人々の現実感がふいに強くなったのだ。「トンネル」の登場人物が体験した切迫感は間違いなく当時の人々が体験したことだった。フィクションである「グッバイ、レーニン!」も、もしかして実際に起こったことや人々が感じていたことの断片が集まっているのかもしれない。

嘘と現実が程よく同居する映画には、監督の思考法や哲学なども反映されている。作品鑑賞後に考察を読むことで、理解を深めることもできる。さらに事実については記録を読めば、詳細や背景を知ることもできる。

この2本は、たまたまレンタルショップで目にしたから借りた作品だったが、望みが叶わなかったり強大な力によって翻弄される登場人物に、志望大学の教授の御眼鏡に叶わずなかなか合格できない自分の境遇を重ねていたのだと思う。

この頃は、同時に『若きウェルテルの悩み』(ゲーテ)や『リア王』(シェイクスピア)など、主人公が報われない古典文学なども読んでいた。もしかして、自分よりも大きな不幸に巻き込まれた主人公を見ることで、当時抱えていた虚無感をごまかそうとしていたのかもしれない。

数多くの映画を見た浪人時代の2年間で、わたしの映画鑑賞法は、(1)映画を見る(2)鑑賞後に制作スタッフやキャストをチェックする(3)ブログや評価サイトなどで感想や考察を読んで作品を深堀りする(4)同じ監督やキャストが関わっていたり、同じテーマを扱う作品を見る。というパターンができあがった。

これにより、同一の監督の作品を見ることで彼らの考え方を推察したり、同じテーマでも視点が変われば全く異なる状況が出てくるということを知った。つまり、考え方や見方が変われば、捉え方も変わるという、多面的な考え方が身についたように思う。

浪人時代を終えて以降も、映画はわたしの経験値や知識量、感性を増やす助けになってくれている。長くて出口の見えないトンネルのようだった浪人の2年間。振り返ると、映画との付き合い方を見つけた浪人時代は、間違いなく有益な時間だった。

紹介した映画
「トンネル」(2001年/167分/ドイツ)
監督:ローランド・ズゾ・リヒター監督
出演:ハイノー・フェル匕、ニコレッテ・クレビッツ、アレクサンドラ・マリア・ララ、セバスチャン・コッホ 他

「グッバイ、レーニン!」(2002年/121分/ドイツ)
監督:ヴォルフガング・ベッカー監督
出演:ダニエル・ブリュール、チュルバン・ハマートバ、カトリーン・ザース、マリア・シモン 他