「くつアイドル」「肉料理人」・・・はじめてシェアハウス「リバ邸DREAM」を訪れた私を出迎えてくれたのは、「ちょっと聞きたくなる」人生を送るひとたちだった。



自分の好きなものを好き、と言える環境が身近にあること。

今回話を聞いたのは、居場所探しにあふれる世の中でそんな「コミュニティ」の原点を感じさせる「リバ邸」の運営者、片倉廉さん、大堀悟さんの2人。



孤独を埋めるはずのコミュニティはときとして、そこから阻害される新たな孤独を生んでしまったり、別のコミュニティとの対立を発生させることもある。



そんな現代ならではの「石の投げ合い」に対して、「僕らは投げ合いの防波堤になりたい」と語る2人が考える、人生のサブスクリプションとは。

岡山 史興
70Seeds編集長。「できごとのじぶんごと化」をミッションに、世の中のさまざまな「編集」に取り組んでいます。

リバ邸の「人生サブスクリプション化」

多種多様なニーズに応える”居場所”を作り、明るいセーフティネットとして機能する。

「こう生きろ」「こうしろ」とは僕らは強要することはない。

「ここにいてもいい」というスタンスで、様々なニーズに応える居場所をつくります。

 

リバ邸のウェブサイトを訪れると、こんなメッセージが飛び込んでくる。「現代の駆け込み寺」を掲げ、片倉さんが代表取締役を務めているリバ邸は2018年6月に株式会社化し、今では30以上の拠点に広がっている。

 

シェアハウスのチェーン店という形ではなく、全部それぞれのコンセプトで運営されているんです。あれもリバ邸だし、これもリバ邸。こうあるべき、というものは定めていないしむしろあったら困るな、って。(片倉さん)

 

そんな多様性を大切にするスタンスで運営されるリバ邸には、全国で様々な生き方を送る人たちが集まってくる。いわゆる「普通」の人生とは違う流れの中にいる彼らにとって大切なのは、物理的にも心理的にも「固定されていない」ことだ。

そんな住民のニーズを言い表すのが、運営者の2人が考える「人生のサブスクリプション(サブスク)」という言葉。定額課金型のサービスを指す「サブスク」という概念を人生に持ち込むとは、いったいどういうことなのだろうか。

 

たとえば、リバ邸にいれば衣食住がすべて3万円で収まる、という状態をつくっていきたいんです。それは一生住んでもらいたいということじゃなくて、何かに挑戦しやすい、もし失敗しても戻ってこれる場所として機能したいということ。生きていくために最低限必要なお金が「3万円」とわかっていれば、安心することができるでしょう(片倉さん)

 

もし事業に失敗しても、生きていくためのコストがアルバイトなりで稼げる状態であれば、安心して挑戦できる。そうすればもっと人は生きやすくなるーー「人生のサブスクリプション」とは、そんな思いを仕組みとして運用していこうということだ。

 

「個の時代」に生きやすさを

だが、ひとつの疑問が頭をもたげる。それは本来国や自治体が取り組むべきことなのではないだろうか、という問いだ。

 

行政など、どこかに頼るだけだと主体性が生まれない、与えられるだけの存在になってしまうと思っています。僕らが応援したいのは「自分の人生を生きる」こと。言い方を変えると、フォロワーにならない、傍観者にならない。自分の生き方を持つ少数派の人たちにとっての生きづらさをやわらげていきたいんです(片倉さん)

 

個の時代」という言葉が聞かれるようになって久しいが、自分なりのこだわりを持った生き方はまだまだ社会全体で見れば少数派。そんな少数派たちが生きる上でのよりどころとして機能していきたいのがリバ邸の考え方だ。

 

ここでもうひとつの疑問が生まれる。オンラインサロンをはじめとするコミュニティの多くも、はじまりは少数派たちの集まりだったはず。それなのに、ネット上では少数派の中からさらなる少数派が生まれたり、コミュニティ同士の争いが日常的に起きてしまっている。このような状況の中で、本当に「生きやすさ」は実現できるのだろうか。

 

たしかにコミュニティは外から自分たちを守る方にいきがちです。個が集まって、その中からまた個が生まれていく。実際にシェアハウス同士でも住民の取り合いが起きたりだとか…。そんな中で僕らの役割は「石を投げ合わないようにすること」だと思っています。(片倉さん)

 

そのコミュニティだけに依存する状態はよくなくて、複数あることが大事なんですよね。だから石を投げ合ってる場合じゃない。僕らも長年経って古参みたいになるのは嫌だなって。(大堀さん)

 

2人の答えは「唯一の依存先であろうとしないこと」。リバ邸が掲げるあり方の根本には、あくまでも一人ひとりが主体性を持って生きていることが前提にある。

 

コミュニティ乱立時代に必要な「防波堤」

とはいえ、規模が大きくなるにつれて性質を変えていくコミュニティは多い。そんな流れに対して、そもそも、と大堀さんは続ける。

 

世の中に集落が生まれていったのって、元々は個人事業主の集合体としてだったんですよね。米を作ったり家を作ったり、自分の得意なことを持っている人たちがそれぞれ個人の仕事を提供しあっていった。それが2代目、3代目で「役割だから」という感覚になると、大きな企業に発展していくことはあっても、個の力は弱くなっていく。それが時代に合わなくなって、違和感を持つ人が出始めているのが今なんだろうなと思っています。(大堀さん)

 

オンラインのつながりが増えることで、人はますますリアルな場所にとらわれなくなっていく。自分に合う居場所を選び取ることができるようになったとき、もう一度強い個が集まった集落ができていくーーリバ邸は今、そんな「集落づくり」のフェーズにある。

 

大きな企業や国の存在が弱くなっていくことで、コミュニティの価値はますます高まっていくんだと思っています。(片倉さん)

 

スマホ1つでつながれる時代、小さなコミュニティが一人ひとりにとって価値をもっていく。

 

しかし、それは一方で自分と違う考え方の人を否定する行動にもつながってしまうのではないか。もともと安心がほしくてできたコミュニティだったのに、そこでも生きづらさを感じる個人は一体どこに救いを求めたらいいのだろうか。

 

この問いに対して、片倉さんはまっすぐこう答えた。

 

だからこそ、細分化された小さなコミュニティ同士の石の投げ合いを遮断するコミュニティに意味があるんだと思っています。(片倉さん)

 

どんなコミュニティにも、ときにはコミュニティを超えてまで生まれる同調圧力や依存心。リバ邸が目指すのは、自分らしく生きていたい個人をそんなめんどくささから守る防波堤のような存在だった。

 

「究極のさみしがり屋」は次へ向かう

2人の話を聞けば聞くほど、リバ邸が向かう先にはたくさんの面倒ごとが待ち構えているように見える。なぜ、あえて火中の栗を拾うような立場に自らを置きにいくのだろうか。

 

僕は究極のさみしがり屋なんですよ。昔水商売をしていたとき、周りとはお金だけの関係で事業に失敗したらあっという間に孤立してしまったことで孤立しない場所をつくりたいと思うようになったんです。それにもともと母子家庭で、夜に1人だと「捨てられるんじゃないか」って怖くて。今も物音がないと眠れないんです(笑)(片倉さん)

 

「究極のさみしがり屋」と自分を評する片倉さんだが、違うコンセプトでのリバ邸立ち上げや不動産事業の拡大など、次々と新しい「居場所づくり」に取り組み自分の居場所を離れていく様子は、まるで自らをさみしい場所に置きたがっているようにも見える。

 

新しい出会いをつくりつづけることにはこだわっているかもしれないですね。そこへの依存はあるかもしれない(片倉さん)

 

常に「次」を見ながら、自分が続けることに固執はしない。そんなスタンスは、大堀さんにも共通する。

 

石を投げ合わないためには、シェアハウス側が一定の距離感をもつことが大事だと思っているんです。極端な話、リバ邸自体次の代でなくなってしまってもいいのかもしれない。圧倒的な熱量のものは続かないから、ゆるやかにつづいていけばいいなって。僕が立ち上げにかかわったハイパーリバ邸をやっていたとき、愛ゆえに口を出し過ぎて後悔してしまった経験があるので(大堀さん)

 

立ち上げたからといって関わりつづけなきゃいけない、ということはない。そう最後に言い残した片倉さん。しなやかな姿勢でつくるコミュニティだからこそ、きっと、挑戦する個人が戻ってこられる場所としての「人生のサブスク」の役割を担っていくのだろう。