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【連載第1回】「一通の手紙」―「MIZUSHIMAさん」の記憶を訪ねて

真っ青な空、濃淡鮮やかなエメラルド色の海、サンゴ礁でできた白い砂浜、大人たちは道端でおしゃべりを楽しみ、子供たちは元気に外を駆け回っている。どこからともなく聞こえてくるウクレレの音色と歌声。海辺に腰を下ろし、果てしなく広がる広大な海を眺め、波の音に耳を澄ますと、毎日せわしなく、何かに追われるように生きている自分が、何ともちっぽけに思えてしまう。豊かな生活を求め、発展し続けてきた現代社会に生きる私たちが、見失ってしまった、決して疎かにしてはいけない大切なもの。マーシャルは、私たちに、そんな大切なものを思い出させてくれる。

 

ウクレレ
「この手紙、主人が読めなくて困っているの。英語に訳してくれないかしら?」

 

マーシャル諸島短期大学に日本語講師として赴任したばかりの私は、当時、慣れない環境と英語に四苦八苦していた。
そんなある日、同僚のビバリーが白い封筒に入った手紙を持ってきてこう言った。

 

日本語クラス授業風景

”日本語クラス授業風景”

 

ビバリーは、オハイオ州出身のアメリカ人で、日系マーシャル人、チュウジ・チュウタロウとの結婚を機に1968年にマーシャルへ移り住み、大学では、社会科学と太平洋研究の指導を行っていた。おっとりとした性格の彼女は、大変な親日家で、片言の日本語を使っては、いつも私の気持ちを和ませてくれた。

 

beverlychutaro

 

私は、英語の練習のためにと思い、彼女からの依頼を引き受け、手紙を受け取った。一筆箋5枚に書かれたその手紙は、水嶋一二三と名乗る91歳の日本人女性からのものだった。全く面識のない女性からの手紙を読み終えた私は、その美しさに胸が締め付けられるような切なさと、何ともやるせない気持ちでいっぱいになった。

 

「美しい」という表現を使うのは可笑しいのかもしれないが、初めて美しいと感じる手紙に出逢った。飾ることのない、素直な自分の気持ちを、思うままに書いた彼女の手紙には、ほんの数行であるにも関わらず、温かさがあり、優しさがあり、そして重みがあった。手紙を差し出した女性の想いを、受取側にきちんと伝えることができるか不安で、納得のいくものができたとは言いきれなかった。それでも何とか翻訳を終わらせると、ビバリーは「ありがとう。これで返事を出すことができるわ。」と笑顔で言ってくれた。

 

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それ以上、差出人の女性については詮索しなかったが、私は手紙の中に繰り返し出て来た「ミレー」(日本統治時代はミレー、現在はミリと呼ばれる)という島が気になって仕方がなかった。そこは、旧日本軍の基地が置かれて、今も尚、戦跡が残る島で、以前から足を運んでみたいと思っていた場所だった。しかし、首都マジュロからでは移動手段も限られ、運航も不規則なため、いざ行きたいと思っても、気軽に行けるような場所ではない。ミリとは、いったいどのような場所なのか、私は長い休みを使って友人数人とミリへ行ってみることにした。
赤錆びた旧日本軍の武器や弾薬、零戦、コンクリートでできた建物、爆撃による不自然な窪みや、ヤシの木に残る機銃掃射の跡。澄み切った海は穏やかで、草や樹木は青々と茂り、ゆったりとした時間が流れるこの島で、島民たちは、朽ちるに任された戦跡と共に生きていた。爆弾でできた大穴ではタロイモの栽培が行われ、製水槽や零戦の補助タンクは丈夫な貯水設備として利用されていた。初めての地に胸を膨らませていた私たちが目にした風景は、想像を遥かに上回るものだった。

 

大砲と台座

”大砲と台座”

 

海岸砲

”海岸砲”

 

砲弾

”砲弾”

 

零線の残骸

”零戦の残骸”

 

半世紀以上も前に、終わったはずの戦争。
日本政府は、旧日本軍が放置した武器に関して、アメリカとの間で締結された協定により、1969年(昭和44年)に全ての問題が完全に解決されたとしている。しかし、私は、この残された戦跡を前に、果たして全てが解決したと言うことができるのか、疑問に感じたのだった。

 

外洋
※第2回は6月下旬公開予定

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moriyama

野生のピュア系女子

1977年、長崎県出身。マーシャル諸島短期大学において2年間、日本語教師として教壇に立つ。趣味は合気道。