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風呂屋の信ちゃん物語 -「渋谷金王町の誇り」と呼ばれた神主

渋谷駅の南口を出て徒歩5分。渋谷警察のうしろに金王八幡宮(こんのうはちまんぐう)という神社があります。金王八幡宮は千年近い歴史を持つ由緒ある神社で、渋谷・青山・表参道界隈の総氏神様です。今回はその金王八幡宮の田所克敏さんに、昔の渋谷のお話を伺いました。

 

金王八幡宮1

 

 

街中が喜んだ「風呂屋の信ちゃん」の神主就任

 

 

青山学院大学そばの渋谷2丁目は、昔は「金王町」と呼ばれ、そこに金王湯という銭湯がありました。金王湯のご主人は石川県の出身で、ご実家は神社だったそうです。

 

その金王湯の息子さんの高沢信一郎さん(明治41年・1908年生まれ)は、今ヒカリエが建っているところにあった渋谷小学校に通い、金王町の方々や同級生から“風呂屋の信ちゃん”と呼ばれ、慕われていました。

 

金王八幡宮2

 

信一郎さんは国学院大學に入学し、昭和8年(1933年)に卒業すると、昭和10年(1935年)、27歳の時に明治神宮の神主になりました。

信一郎さんのお父さんは大変喜ばれ、「守衛でもいい、最後まできちんと勤めあげなさい」と信一郎さんにおっしゃったそうです。

金王町や渋谷小学校の同窓生も、“風呂屋の信ちゃん”が明治神宮の神主になったことを大変喜び、皆にとっての自慢の存在となりました。

 

当時、明治神宮は今にも増して「特別な存在」で、総理大臣や官僚も、明治神宮の前を通るときは拝礼をし、山本五十六元帥に至ってはいったん車から降り、本殿に向かって拝礼していたそうです。

また当時から明治神宮のすぐそばを山手線が走っていましたが、山手線が原宿を通過する時は、兵隊さんは明治神宮に向かって直立不動の姿勢をとったほどだったといいます。

 

明治神宮は明治天皇と昭憲皇后をお祀りする神社ですが、信一郎さんが、このように篤く人々の崇敬を集める明治神社の神主になったということが、どんなに誇らしいことなのか、このエピソードからもわかります。

 

明治神宮1

 

 

「信ちゃんの明治神宮」を守れ―金王町の人々の思い

 

 

昭和19年(1944年)、戦争による日本本土への空襲が日増しに激しくなり、東京にも空襲による被害が出始めました。

金王町の方々も警防団を組織していましたが、自分の町だけでなく、明治神宮に何かあった時も駆けつけなければならない、という気持ちを強く持っていました。

金王町の人々にとっては、明治神宮は地元の“風呂屋の信ちゃん”が神主を務めているという特別な思いがあり、「信ちゃんのためにも明治神宮を守らなければならない」という使命感があったのです。

 

そのような中、昭和20年(1945年)の4月13日から14日にかけての深夜、渋谷上空に170機のアメリカのB29爆撃機が現れ、空襲が開始されました。

明治神宮の神職の方々、軍隊、渋谷消防所を中心とした目黒・世田谷消防署の方々、そして地域の警防団の方々が、次々と明治神宮に駆けつけました。

神職の方々は手押しポンプで消火にあたり、金王町の警防団の方々も、普段は上ることができない本殿の屋根に上り、火打ち棒で火を叩き、消火に当たりました。

 

しかし境内に1330発の焼夷弾が投下された明治神宮は、本殿に鎮座していたご神体の「御霊代」は避難してお守りすることができましたが、本殿と拝殿は焼け落ちてしまいました。

さらにその翌日、そして5月24日、25日、26日にも東京は大規模な空襲に見舞われます。

東京上空に1000機のB29 爆撃機が飛来し、山の手を中心とする東京のほとんどが焼け野原となってしまいました。

 

 

今も街の誇りであり続ける「風呂屋の信ちゃん」

 

 

戦後70年、このような状態から人々は再び立ち上がり、大変な苦労の中、明治神宮を再建し、町を再建し、日本は現在の姿へと復興を遂げました。

高沢信一郎さんも戦後、明治神宮再建と、國學院大學を中心とした後進の指導に尽力されました。

 

昭和33年(1958年)、多くの人々の願いが叶い明治神宮が見事に再建されました。

そして明治神宮の鎮守の森も、造成から100年が経過した今、都会の真ん中に育った「奇跡の森」になりました。

戦災で真っ黒に焼け焦げた明治神宮本殿前の3本の楠も蘇り、燃え落ちた表参道のケヤキ並木も、今では豊かな緑の木陰が風にそよぐ名所になっています。

 

明治神宮2

 

高沢信一郎さんは、昭和31年(1956年)より儀礼文化学会長をつとめ、昭和40年(1965年)には国学院大教授、そして神社本庁理事を歴任しました。

そして昭和54年(1979年)に明治神宮の宮司になり、その後名誉宮司になりました。

 

そして結婚記念日には毎年必ず、奥様と式を挙げた金王八幡宮に参拝され、旧金王町の方々からは終生変わらず”風呂屋の信ちゃん“と呼ばれ、慕われました。

“風呂屋の信ちゃん”は、時代がどのように移り変わろうとも、金王町の人々の誇りであり、自慢であり続けたのです。

 

高沢信一郎様

 

※高沢信一郎さん(右から2人目)と奥様。

平成元年(1989年)頃、結婚記念日に挙式を挙げた金王八幡宮にて。

 

〈参考書籍〉

『明治神宮 戦後復興の軌跡』(著・今泉宜子/発行・明治神宮社務所)

『表参道が燃えた日-:山の手大空襲の体験記―』(山の手大空襲の体験記編集委員会)