橋場 了吾
1975年、北海道札幌市生まれ。 2008年、株式会社アールアンドアールを設立。音楽・観光を中心にさまざまなインタビュー取材・ライティングを手掛ける。 音楽情報WEBマガジン「REAL MUSIC NAKED」編集長、アコースティック音楽イベント「REAL MUSIC VILLAGE」主宰。

 

北海道開拓使が設置した商店街

 

(写真提供:札幌狸小路商店街振興組合)

 

今年9月、札幌・大通の老舗百貨店である三越・丸井今井がそろってリニューアルしました。2003年(平成15年)に札幌駅に大丸が進出、人の流れが大きく変わってから12年が経ち、大通地区が大きな巻き返しを図ってきた格好です。

 

このように札幌の百貨店激戦区は札幌駅周辺と大通なのですが、大通より南にあるのが「横のデパート」こと狸小路。南2条と南3条の西1丁目から西7丁目の小路7区画にわたってアーケード街(約200店舗)が広がっています。

 

現在の狸小路には新旧200店舗が集う

(写真:現在の狸小路)

 

 

この狸小路、現在は海外からの観光客が多く日本語以外の言語が飛び交う場所になりましたが、もともとは札幌市民にとって買い物といえばこの場所でした。というのも、1869年(明治2年)に明治政府が北海道開拓使を札幌に設置したころから商店・飲食店が建ち始め、1873年(明治6年)には狸小路と呼ばれるようになりました。

 

なぜ狸小路という名がついたかには諸説あり、「実際にタヌキが棲息していた」「言葉巧みに男性を誘った女性をタヌキになぞらえた」などと言われています。

 

 

戦争により店舗が3分の1未満に

 

明治時代から続いている商店街ということは、もちろん太平洋戦争を経験しています。以前の記事でも書いた通り札幌は大空襲を逃れた場所ですが、戦争の爪痕は確実に狸小路にも残っていました。

 

戦前の狸小路のシンボル・鈴蘭灯

狸小路で働く人々への徴用令、戦前の狸小路のシンボルともいえる鈴蘭灯の応召など、商店街の危機となったのです。そして1943年(昭和18年)には、廃業や一時休止などで戦前の3分の1にも満たない60店舗ちょっとまで減ってしまいました。そして終戦。2年後の1947年(昭和22年)には全盛期に近い店舗数に戻ってきたものの、まだまだ商品が足りていない店も多く、配給品で賄う店も見られました。

 

 

終戦4年で「現金のつかみどり」がスタート

 

しかしながら狸小路にどんどん活気が戻り、1949年(昭和24年)にはシンボルの鈴蘭灯も復活、同時に夏と歳末の時期に開催される「現金つかみどり」がスタート。1949年(昭和24年)から始まったこの企画は、狸小路商店街で買い物をすると抽選券がもらえガラポンくじでつかみどりの権利を得られるとチャレンジできるというもの。狸小路商店街は完全に戦前の活気を取り戻し、65年以上の歴史を持つ、札幌の風物詩となっています。(ちなみに筆者はチャレンジできたことがありません…)

 

戦後復活した鈴蘭灯が夜を照らす

そして現在のシンボルであるアーケードは昭和30年代に完成し、1982年(昭和57年)に老朽化のためリニューアル。現在のアーケードは、この2代目に当たります。

 

ちなみに狸小路には、明治時代にオープンした店舗が1、大正時代にオープンした店舗が7残っています。代替わりもあり、戦時中の狸小路を知る人はほとんどいなくなってしまいましたが、この70年戦禍に巻き込まれることなく札幌の発展とともに復興してきたのが、北海道で最も古い商店街にひとつである狸小路なのです。

 

ポストカードにもなった大正時代の狸小路

※今回の記事は札幌狸小路商店街振興組合事務局長・三角明さんの資料提供協力を得て、「札幌狸小路発展史」(非売品)を参考に構成しました。