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【連載第3回】「チュウタロウ ファミリー」―「MIZUSHIMAさん」の記憶を訪ねて

心地よい風がヤシ林を揺らしている。この美しい島で悲劇的な戦争があったと、誰が想像できるだろうか。

 

第1回「一通の手紙」はこちら
第2回「ミレー島」はこちら

 

第二次世界大戦の勃発により戦場へと化したミレー島は、日本軍の拠点が玉砕したことにより、戦力的な価値がないとみなされ孤立、補給も途絶えてしまった。爆撃を受けながらも、兵士たちの多くが敵と戦うことなく、飢えや病によって命を落としていった。その壮絶な飢餓との戦いは、帰還者たちを生涯にわたって苦しめた。

 

日本人女性からの手紙を翻訳したことがきっかけで、友人とミレー島へ渡った私は、島の人々の穏やかな暮らしや、残された戦跡を目にし、時の流れや人間がもつ目に見えない力、そして、自然の偉大さを感じさせられたのだった。

 

第一次大戦後、日本の統治領となった南洋諸島には、当時深刻化していた経済不況や人口過剰を避け、多くの日本人が新天地を求めて移住した。気候が似ているということもあり、沖縄出身者の割合が多く、その数は移住者の半数を占めていた。

 

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第二次世界大戦が始まり多くの日本人が日本へ引き上げて行くなか、マーシャルで家庭を築き帰化した若者がいた。沖縄出身のその若者は、もとは漁師であったが軍属として召集され、ミレー島で軍の調理師をしていた。しかし、松根油(戦時中、航空ガソリンの原料として利用が試みられたが、実用化に至らなかった)の採取技術に優れていたため、その技術をかわれ、日本国よりミレー環礁の1つであるタカイワ(マーシャル称:タケオワ)という小さな島を与えられ、終戦まで松根油づくりに努めた。その人物の名は、具志忠太郎。ビバリーのご主人、チュウジ・チュウタロウの父親である。

 

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終戦後もタカイワ島にとどまった具志忠太郎氏は、1977年11月に、その地で生涯を終えるまで、家族と共に平穏な生活を送った。タカイワ島は現在も彼の子孫によって守られ、チュウタロウ姓を持つマーシャルの人々は皆、彼の子孫であることに誇りを持っている。

 

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“具志忠太郎氏(写真中央)”

 

ミレー島の旅からちょうど1年が過ぎた頃、ビバリーから2度目の依頼があった。沖縄の親戚から大切な書類が届いたが、読めずに困っているという。そう言って手渡されたのは、古い戸籍謄本と具志家の歴史本であった。古い書物の翻訳である。いくら日本語で書かれているとはいえ、日常会話レベルの英語しか話せない私が一人で出来るようなものではなく、ビバリーと2か月後の夏休みを利用し、2人で協力して翻訳作業を行うことになった。

 

その夏私は、ビバリーの孫、ケトゥミ、カトリーナと共に、タカイワ島を訪ねることにしていた。翻訳作業に取り掛かる前に、具志忠太郎氏の子孫が住む島を一目見ておきたかったからだ。しかし、急遽予定が変更となり、彼女達の母方の家族が住むウォッジェ島で1週間過ごすことになった。

 

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 “伝統手工芸品‐アミモノフラワー作り”

 

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“ウォッジェの戦跡”

 

ウォッジェ島から戻り、数日が経ったある日のこと。私のもとにビバリーの訃報が届いた。肺炎が悪化したのだという。学生や孫たちがいつも出入りし、にぎやかだった彼女のオフィスは静まりかえり、いつも開けっ放しだったオフィスのドアも閉まっている。「おはようございます」と日本語で挨拶を交わす私たちの毎日の習慣もなくなってしまった。突然の死だった。悔やんでも仕方のないことかもしれないが、いつも彼女に付き添い、身の回りの手伝いをしていた、ケトゥミとカトリーナを1週間もの間、ビバリーから離してしまったことを私は後悔した。その夏、2人で協力して仕上げるつもりだった翻訳作業には、一つも手をつけていない状態だった。彼女は、私に大きな宿題を残したまま、帰らぬ人となってしまった。

 

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日本への帰国が迫っていた私は、早速、翻訳作業に取り掛かることにした。戸籍から具志家の家系図を作成し、友人の助けを借りて、歴史本の翻訳を行った。

 

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4か月後、ビバリーの残した宿題を完成させた私は、具志家の家系図を見ながら、ふと、以前訳した手紙の差出人である、水嶋一二三という女性のことを思い出した。チュウタロウ ファミリーの親類だとばかり思っていた彼女の名前が家系図の中に存在しなかったからだ。子供の頃ミレー島で遊んでもらった記憶はあるが、家族との関係は分からないとケトゥミとカトリーナは言い、手紙の受取人であるビバリーのご主人さえも、どのような関係なのか覚えていないと言うのだ。

 

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“チュウジ・チュウタロウさんとその家族”

 

家族でも、親類でもない私は、頼まれて翻訳を行っただけあり、首を突っ込むべきことではないということは、十分に分かっていた。しかし、もしここで私が何も行動に移さなければ、彼女とミレーの人々、マーシャルの人々との関係が終わってしまうかもしれない。

 

私は、受取人との関係を聞くために、思い切って、水嶋さん本人に手紙を出してみることにした。

 

それから1か月後、帰国を間近に控えた私のもとに、水嶋さんからの返事が届いた。手紙には、チュウタロウ ファミリーとの関係、戦死したお兄さんの慰問でミレー島へ15回足を運んだこと、そして、ミレー島やタカイワ島に対する彼女の想いが綴られていた。

 

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※第4回は7月下旬公開予定