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「島の戦後は自然との対峙」東京・伊豆大島の戦後史

東京都心から南に120キロ、相模湾の真ん中に浮かぶ伊豆大島。

都会からは意外に近いけど、なんだか遠くにある気がする。。。そんな島における戦後の歴史を掘り下げてみると、自然との対峙を経て変わっていく島の姿が見えてきます。

 

今回はそんな伊豆大島が戦後歩んできた歴史を、伊豆大島で会社を立ち上げた株式会社イタドリの代表取締役である愛甲さんに語ってもらいました。

 

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火山と共に生きてきた伊豆大島の人々

 

 

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▲三原山登山道の入り口 溶岩流跡を歩くことができる。

 

伊豆大島はこの70年の間だけでも、多数の噴火を経験していると聞きます。

 

愛:はい。伊豆大島は島の中央に三原山という活動が活発な火山があり、頻繁に噴火をしています。

 

島自体がおわんの様な形をしているのも噴火の影響でしょうか。

 

愛:約1500年前にあった大噴火の際に巨大なカルデラができました。その為、遠くから見るとまるでおわんのような形に見えます。

 

島の人にとって火山は常に共にあったということですね。

 

愛:はい。大島の人々には火山と共に歩んできた歴史がありますから、三原山自体も御神火様として呼ばれ崇められています。今も比較的規模の大きい噴火は30〜40年ごとに起きていて、この70年の間だけでも、1950年と1986年に大きい噴火が起きています。

 

-1950年の噴火はどの程度のものだったのでしょうか。

 

愛:1500年前の噴火によってできたカルデラの底まで溶岩流が到達したのは1950年の噴火が初めてと言われています。しかし、この噴火では死者が出なかったので、大きな災害にはなりませんでした。

 

-1986年の噴火は当時大ニュースになりました。

 

愛:これは噴火の規模が大きかったのもそうなのですが、溶岩が大島の街のすぐ側まで流れ出てしまったのが原因です。また、噴火自体も三原山の山頂だけではなく、山腹に突然現れた割れ目火口で起きてしまったので、相当な騒ぎになってしまいました。

 

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▲1986年の噴火の様子

 

最近日本各地で火山や噴火というワードが感心ごとになっています。当時、島の人々は島の火山をどう捉えていたのでしょうか。

 

愛:先にも述べた通り、大島の人々にとって火山は共に歴史を歩んできた、大切な存在なんですね。火山と共に生きているわけですから、噴火が起きた時も冷静に対処できる知恵があります。

 

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▲1986年の噴火の様子(元町より)

 

86年の噴火は様々な不確定な要素があり、パニックになってしまいました。それでも1万人が一晩にして全島避難できたというのは、火山に対する知恵があった伊豆大島の人々だから成し遂げられた偉業なのではないかと思っています。

 

 

伊豆大島にとって予期していなかった災害

 

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▲2013年に起きた土砂災害の元町地区の様子

 

 -2013年に伊豆大島で起きた土砂災害は東京に住んでいる私たちにも衝撃的なニュースでした。

 

愛:はい。このニュースで伊豆大島の事を改めて知った、という人もかなりいたようです。それだけ衝撃的な出来事でした…

 

被害の規模はどの程度だったのでしょうか?

 

愛:山からの土砂は島の中心部である元町地区を直撃しました。そして、元町にある住宅が飲み込まれてしまい、36名の方が亡くなられ、46棟(東京都)の家が全壊してしまったのです。この災害は島の歴史を変えた一大事と言っても過言ではありません。

 

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▲2013年の土砂災害では三原山の斜面から大量の土砂が流出した。

 

伊豆大島で今まで起きた災害と決定的に違った点は何だったのでしょうか。

 

愛:土砂災害は、島にとっては予期していなかった自然災害だったのです。火山に対する備えは昔から行っていた大島の人々ですが、土砂災害は完全に想定外の出来事でした。何より、86年の噴火が起きた際には死者を一人も出さず全島避難することができたのに、この災害では多くの方が亡くなってしまった。その事が島の人々にとっては何よりもショックだったのです。

 

土砂災害から2年が経とうとしています。伊豆大島の復興は進んでいるのでしょうか。

 

愛:残念ながらまだまだ本格的な復興まで時間がかかる、というのが現状です。ですが島内では災害をきっかけにして、新しい動きが見られるようになりました。

 

どんな動きが見られるのでしょうか。

 

愛:災害後の動きとしては、島の中の結束が高まった事です。この災害が起きる前、伊豆大島の中では、各地域ごとの仲が良い状態とは言えなかったと聞いています。しかし、この未曾有の災害から島を復活させる為、島全体が一丸となって動き始めています。その動きの代表的な例として土砂災害をきっかけにして、大島出身の有志の方々が結成した「Shimile」の活動が挙げられます。

 

この団体の特徴は、伊豆大島に在住している人々だけでなく、伊豆大島出身で今は島の外に住んでいる人、そして島外の出身者など様々なメンバーが集結し、復興に関わる活動に取り組んでいることです。

 

– 「Shimile」メンバーの年齢層は若い人が中心なのですか。

 

愛:メンバーは30代の比較的若い人たちが中心となって動いています。それも、今まで島の為に何かをしたかったのだけど、この災害をきっかけに島を支えていきたいという強い思いを持った人たちが集まっているそうです。

 

どんな活動をされているのでしょうか。

 

愛:伊豆大島復興の為の募金活動や各種復興イベントへ積極的に参加しています。また、Shimile自体がアンテナとなって島の人と島の外の人を繋ぐ交流のイベントを積極的に行っています。災害が起きてしまった今だからこそ、島の結束を高めたい。そんな気持ちがShimileのメンバーを動かしているんだろうと思います。

 

伊豆大島人の熱さを感じさせます。

 

愛:伊豆大島って郷土愛に溢れた人が多いんです。同じ東京都であるにもかかわらず、なんとなく距離を感じる東京都心の人達、そして島の外の人々に大島の良さを知ってもらいたい。そんな気持ちが島の人々の奥底にあるのは間違いありません。

 

 

最後に伊豆大島の戦後70年を一言で表すとどんな言葉で言い表せますか。

 

愛:”自然との対峙”でしょうね。2度の大規模な噴火と大規模な土砂災害という全国的に見ても希少な経験をしてきました。そして、そんな島に住む人々もそれらの出来事を乗り越え、変わりつつあると思っています。

 

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Sunset over Ōshima photo by ignat.gorazd

 

自然と対峙し続ける伊豆大島。火山の噴火や土砂災害など、今の日本ではどこでも起こりうる災害を経験し、変わっていく人々。その姿は、もしかすると現代の日本の縮図なのかもしれません。

 

 

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【関連情報】

株式会社イタドリ 伊豆大島のベンチャー!

http://itadoli.com/

シマイル | 伊豆大島に笑顔を届ける

http://shimile.jp

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島系男子

1990年、神奈川生まれ。島とメディアをこよなく愛する25歳。