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世界遺産「軍艦島」の知られざるハナシ

世界遺産登録が決定した長崎の「軍艦島」。廃墟マニアの間で人気に火がつき、今では戦後日本の復興シンボルを代表する存在となった炭鉱の島ですが、公にはあまり知られていない、数々のエピソードを抱える「歴史の証人」でもあります。70seedsでは、大手メディアではなかなか取り上げられることのない、地元で語られるいくつかの裏話を紹介します。

 

 

※この記事は厳密な歴史的考証に基づいたものではなく、記載情報については他の説がある場合もあります。

 

 

島に記されたキリシタン信仰の話

 

軍艦島(正式名称:端島)は、生活に必要な様々な施設が詰め込まれた島でもありました。その1つに「端島神社」の存在があります。

 

現在も鳥居と社が残り、現地で暮らす人々の信仰の対象となっていた「端島神社」ですが、その遺構をよく観察すると、ある落書きのようなものを発見することができます。それは石柱の後ろや社の裏に描かれた十字の絵。これは、島で働いていたキリスト教信者が残したものだと言われています。

 

歴史的にキリスト教と関係の深い長崎の街。現在でこそ、信仰の自由が保証され、キリスト教関係の建物を世界遺産にしようという動きも活発化しているものの、軍艦島での炭鉱採掘が始まった戦前~戦中は、キリスト教徒にとっては生きにくい時代でもありました。端島神社に残された十字は、そんな時代を生きた人々の生活を思い起こさせるものです。

 

 

炭鉱労働者の多様性を語る遊郭の話

 

日本で最初の高層マンションが建てられ、一時期は日本で最高の人口密度を記録する街でもあった軍艦島。そこで暮らす人々のための娯楽施設も日本有数の充実度を誇っていました。それはパチンコや映画館といった遊戯施設だけではなく、労働者向けの遊郭も設置されていました。

 

その遊郭ですが、全部で3件存在し、そのうちの1件は外国人労働者向けとして提供されていた、と過去にある雑誌で当時の写真とともに報じられたことがあります。この話は、長崎だけではなく全国、さらには海外の労働者も働いていた当時の端島の多様性を物語るエピソードとして残っています。

 

 

炭鉱の対岸に残る慰霊碑の話

 

長崎半島の端に位置する野母崎町は、海水浴で有名な街であり、軍艦島を眺めるスポットとして近年人気を集める街でもあります。

 

軍艦島を眺めるこの街の沿岸には、ある碑が建てられているのですが、そのことはあまり知られていません。この慰霊碑は、島の暮らしや炭鉱での労働から逃げ出し、海を泳いで渡ろうとしたものの、意を遂げられずに亡くなってしまった人たちのための慰霊碑だとされています。

 

この慰霊碑は、今も誰かが掃除をして綺麗に保たれています。

 

世界遺産の登録で注目を集め、さらなる観光者増が予想されている軍艦島ですが、このような知られていないエピソードは、他にもたくさんあると言われています。訪れた際には、戦前~戦後にかけての様々な人々の暮しに、思いを馳せてみるのもよいかもしれません。