6月5日、ライブハウス新宿ロフトは超満員の熱気に包まれていました。拳を突き上げる観客の先にいるのは、今年結成32周年を迎える伝説的パンクロックバンド「ニューロティカ」。
1984年に結成した同バンドは、THE BLUE HEARTS、JUN SKY WALKERと並び「80年代ロック御三家」と呼ばれ、90年代にメジャーデビュー。現在は独立レーベル「NRオフィス」を立ち上げ、全国のライブハウスを飛び回って活動しています。
2015年には、バンドのフロントマンである「あっちゃん」に密着したドキュメンタリー映画『あっちゃん』が公開されました。この映画の制作ではクラウドファウンディング「CAMPFIRE」の史上最高額を集めたり、劇中で氣志團や宮藤官九郎さんなど各界の著名人がその魅力を語ったりと、常に周りのハートに火をつけ続けているニューロティカの姿を知ることができます。
そんなニューロティカのフロントマンにして唯一のオリジナルメンバーである「あっちゃん」ことイノウエアツシさんに、ニューロティカと同じ歳に生まれた編集長がインタビュー、その魅力の秘密に迫りました。
ニューロティカの歌詞ができるとき
‐32年間ずっと変わらずにニューロティカを続けているメンバーはアツシさんだけということですが、映画をはじめここ数年は特に激動の時期に見えます。
そうですね、映画づくりですごくお金が集まったりとかちょっとびっくりしました。これでヒット曲があればいいんですけど、ヒット曲が1曲もなくてね。ないのにこんなに生活ができてるのは本当に感謝ですよね。
‐映画では苦労も多かったと話していましたが、やめようと思ったことはないんですか?
詞ができなかったときとか、上手くライブがいかないときとかかな。やっぱり一番は詞ができないときかな…。
‐アツシさんにとって「詞ができないとき」ってどんなときなんですか?
毎日考えてるには考えてるんですよ、実は。何か自分にバチンとぶつかるものを探してるんですけど、そんなのめったになくて。頭かち割れるような衝撃があるとすぐできちゃうんですけど。
‐例えばこれまでどんなことがありましたか?
これよく話してるんですけど、すごく好きなバンドの人に認められたときですね。
GAUZE(ガーゼ)というバンドのメンバーに認められたその夜に、1分もかからずできたんです。
それが「別冊ニューロティカ」というアルバムにある「飾らないままに」という曲なんですけど。
‐そういう体験から歌詞ができているんですね。
誰しもそうだとは思うんですけど、「神が降りてきた」って思うことあるじゃないですか。
人でも本でも映画でも何かインパクトある言葉をパン!といただくと一気に降りてきますね。
そういう、ちょこっとした言葉をメモしてそこから曲をつくるタイプなんです。
‐他にはどんなことがありましたか?
今プロモーションビデオを撮っている「五十の夜」って歌なんですけど、島田紳助さんによくお会いする機会があって、次は「五十の夜」で歌えって、タイトル書きなさいって言われたんですよ。島田さんもすごく尊敬する人なので、もうパッとできちゃいました。
‐島田紳助さん!何かこう特別な話をしていたわけではなく、飲みながらですか?
そうですね、飲みながら。あの人の一言ひとことが面白いんですけど、途中でふっとヤバイこと言うんですよ。
「それじゃあ今度50年ふまえた曲を作りなさい」って。これはすぐにできましたね。
ぶっ飛んだ人になりたい、イチローみたいな
‐今回のインタビュー・テーマは、ニューロティカやアツシさんがなぜこんなに愛され続けるのか、というところなんですが、アンテナの張り方とか、破天荒なイメージと裏腹にものすごく敏感なところがあるんですかね。
いやいやいや、僕なんかそんな。
‐気遣いですとか、まわりへの接し方とかそういうところがとても繊細な方に感じました。
自分ではよく分かっていないんですけど、たぶん小さい頃から商売をしていたからじゃないですかね、「お客様は神様だ」という感じで育てられたので身体に染みついているのかもしれないですね。
‐家業のお菓子屋さんですね。
であるとともにニューロティカという会社の一員なので、こういう喋り方になっちゃうんですよね。
バンドマンだからもっとハズせばいいんじゃなかって思うんですけど、小さいながらも会社の人間なので、大きな企業や会社から仕事をいただくじゃないですか、そのときに舐められてはいけないという部分もあるので、そういう意味でもこんな感じの視点になってしまうんですけど。
‐育ってきた中で自然と身についたものと、今の環境と。
そう。小さい頃から店番とか配達とかしてたので、それが普通だったの。だから身体に染みついちゃってると思うんですよね。
‐そういう自分を壊したいと思ったことはありますか?
ありますよ。これが売れない原因だと思って。
頭おかしい人が売れてるので、僕が見る限りでは。もっと(過激に)やらなくちゃいけないなぁってみんなで話してると、「あんた相当イってるよ」って言われて笑。
‐笑。いまでも壊したい気持ちはありますか?
ありますね。その方が男として魅力がありますからね。ぶっ飛んでる方が。
‐男としてといったらアツシさん相当モテますよね。
うん。近頃はモテないですけど笑。でももっともっとぶっ飛びたいんですよ。まわりには十分ぶっ飛んでると言われるんですけど。もっともっとなんですよね。
‐イメージしてる方とかいますか?
イメージ?イメージねぇ。誰だろうなぁ。
発想でいうと永ちゃん(矢沢永吉さん)ですけど、考え方とか言葉はイチローですかね、結構パクってますね笑。
イチローのインタビューは全部読んでますね。
発想がすごいですよね、正論なんですけど俺から見るとぶっ飛んでてかっこいい!
‐そういう「発想の裏側」みたいなことって普通の人だとわりと隠したがりそうだなって思います。
僕はないですね。映画でもああですから。
本当によく言ってるんですけどね、著作権のことでもなんでも聞いてくれって、売り方とか若い人から良く聞かれるんですけど何でも聞いてくれって。全部答える。隠す必要はないですからね。
‐うーん、そこがぶっ飛んでると思われるところなんじゃないですか。
こんなの全然ぶっ飛んでないですけどね笑。
打ち上げのコールから生まれた「俺たちいつでもロックバカ」
‐そういう「隠さない」ところって、若いバンドの方々と積極的に絡んでいるところからも感じます。
プライドも別にないし、何でもないですよ。ニューロティカ好きだって言ってくれるんですからそんな楽しいことないですよ、その人たちと一緒に飲めるっていうのは。
‐若手の方々との交流は昔から積極的なんですか?
今のメンバーになりかけのとき、お客さんも少し離れて行ったりして。そんなとき若いバンドとやりだして。
打ち上げで彼らとコミュニケーションを取ろうと思ってたときに、みんな一気飲みして。すごいんですよ若い子はみんな。
‐それで負けられない、と。
そう笑。それで俺も一気したときに出てきた言葉が「俺たちいつでもロックバカ」。
そこから生まれたんですよ、実は。「俺たちいつでもロックバカ」と言って、ガ―ッと一気飲みしてそれがたまたま。
こんなキャッチフレーズになると思わなかったですね。俺としては気合いを入れた言葉だったんですけど、それが面白おかしく広まっちゃって。
‐何がどうなるかわからないですね。
わかんないですね。若い子との打ち上げでそういうのはずっと続いていましたね。
好きだと言ってくれる色んなバンドの打ち上げに行ってひと暴れして仕事をとってくるという。
自分は出てなくてもライブ見に行って、このバンドなら一緒にできると思ったら打ち上げで暴れると笑。
‐そうやって周囲に影響を与えたり、受けたりしてこの32年があるわけですね。そういう話で「ニューロティカに影響を受けてこの人のハートに火が点いた」みたいな出来事で印象に残っていることはありますか?
そうですね。「嘘になっちまうぜ」という曲が出たときは「会社を辞めました」という人がよくいました。
これはちょっとまずいんじゃないかって自分の中で思いましたね笑。
あとはちょっと前ですが、明治学院大学から学園祭のタイトルに「やりたいことをやらないと嘘になっちまうぜ」という言葉を使ってもいいですか、って連絡がきたのは嬉しかったですよね。
‐熱い話ですね!
ちょうど僕がそこの高校出てるんですけど「高校出てるの知ってて声かけてくれたの?嬉しいよありがたいよ」って言ったら「高校出てたんですか!?それは知りませんでした」って言うから、ふざけんなよっ笑!って。
ハートに火を点けたわけではないですね、それは笑。
‐他にも芸人さんやミュージシャンの方で、影響を受けたという話は多いですよね。
25年前ですかね、お客さんをステージに上がらせて歌わしてたことがあったとき、そのお客さんが当時中学生だった(バイきんぐの)小峠くんだったとか。博多のステージで「歌ってー」みたいなね。
ほかにも「東京ハレンチ天国」という歌の歌詞のタトゥーいれちゃってるシンガーとか、(本名の)篤という字を子供の名づけに使ってくれたバンドマンとか。「あっちゃん、つけちゃいましたよ!」って笑。
‐ああ…すごく心揺さぶられるお話ですね!一般のお客さんだとどんなことがありましたか?
『太陽を探して』という曲を大阪のワンマンで歌った時に、目の前の女の子が拳をあげながら号泣しながら踊ってたんですよ。うわぁ詞の意味わかってくれたのかなって…こっちもやばい顔が見えないという。
‐そんな話もひっくるめて、アツシさんが愛される理由ってどこにあると思いますか?
バカだからじゃないですかね笑。この間女性のお客さんから手紙をもらったんですけど、うちのワンマンに来て良かった、「私はアホで良かった」と最後に書いてあったんですよ。僕はすごく報われましたね。
僕がやる仕事はそれだと思うんですよね、バカ騒ぎを皆さんに伝えるというか、それが今までの積み重ねでようやく分かったというか、その手紙でようやくわかったというか。
‐思っていたことがまさに言葉になったような感覚ですね。
そうですね。人によっては「ライブ良かったですよ、私はバカで良かった」と言われたら「バカヤロー」なんて怒る人もいると思うんですけど、俺はそこで報われたんですよね、ああこの言葉を待っていたんだと。
お菓子屋と八王子とパンクロック
‐今、アツシさんはライブの場だけじゃなくて、八王子のPR特使をやられてたりとか、お菓子屋さんの話がメディアに出るようになったりとか、ますますの活躍の場を広げて、これまで以上に多くの方に愛されるようになっているように見えます。
そうですね。長くやってたからじゃないですかね。あとパンクロックとお菓子屋っていうのが面白かったんじゃないですかね。
パンクロックっていうともっといかついイメージなんですけど、お菓子屋っていうギャップが面白かったんじゃないですかね。と思うんですけど。
‐面白いだけじゃなく、知られてなかった面が知られていっていますね。映画でお母さんを労わってるシーンが出てたりとか。
あんなシーンだれも知らなかったんじゃないですかね。
僕何も全然タッチしてないんですけど、プロデューサーがナボちゃん(ドラム担当)で、本当に密着して撮ってくれって監督に言ってくれてたみたいですね。
朝から晩まで監督がうちに泊まったりして撮ってくれた作品なんで、別に何を撮られようがお構いなしだったんですけど。
‐ああいうところを撮られるのは恥ずかしかったりしました?
昔はお客さん来られるのも恥ずかしかったですね。今はもうしょうがないですね、しょうがないという言い方は失礼ですけど、恥ずかしい部分もあるんですけど、わざわざ来ていただいてお菓子を買っていただいてありがたいです。
ただ、近頃見に来て買いに来る方は「あれ?お菓子屋だと真面目なんですか?」って。いやいや、お菓子屋で頭おかしかったらヤバイですよね(笑)
‐お菓子屋はずっと続けているんですか?
そうですね、小さいころから。継いでくれと言われたことがあるわけでもなく、僕がいなくちゃ店が機能しないので自然なこととしてやっていますね。
‐生活の一部という感じなんですね。
忙しい中国の留学生のような感じですね。バイトしながら頑張って学校に通う留学生みたいな。それより自由で楽なんで大したことないってすぐ考えちゃうんですよね。
‐そう考えちゃうのってなぜなんでしょう?
そう考えないとやってらんないじゃない笑。言っちゃいけないんだけど、世界では戦争の中にいる子供たちもいて、その人たちに比べたら余裕でしょ。
あ、いいね、これ!「余裕でしょ」って曲にしよう!ちょっと今一瞬矢沢永吉を思い浮かべました。「余裕でしょ」と言ってる。
‐「余裕でしょ」、楽しみにしてます笑。アツシさんの中ではそういうポジティブさがずっと続いているんですね。
『無知の涙』って知りません?永山則夫さんの。集団就職で都会に出てきて、田舎者だから方言も出て周りに圧掛けられて、お巡りさんも二人殺しちゃったのかな。
みんな周りは「なんで学生集会に参加しないんだ」って。でもそんなことより仕事だろって…ちょっと話がそれましたね。ちょっとうまく伝えられないんですけど。
‐今の話、すごく深いものを感じました。
そういう人たちがニューロティカで生きてるっていう。なんていうんだろうなぁ。そこの中にあるんですよ。
俺なんか高校行きながらコンサートに行けたけど、仕事してたから行けないっていう学生もいた。だから俺はもっともっとやらなくちゃいけないっていうか。ごめんなさいね上手く言えなくて。
‐いえ、自分が恵まれている状況だからこそ、その人たちのためにやらなきゃ、ということですよね。
そうです。こんなコーヒー飲んでるときに世界じゃ戦争している人もいて、そう考えればやっぱりニューロティカはもっともっと頑張らないといけないっていう。
たまたまニューロティカっていう仕事について、ちょっと脚光を浴びるような仕事なので華やかに見えるかもしれないですけど、なぜやってるの?って言われてもなぜウェブの会社やってるんですか?って言われるのと同じじゃないですか。
それでもひとりでもふたりでも、何人かが楽しんでもらえれば、俺の人生に悔いはないという感じですかね。
AKBやモー娘。に比べれば全然大したことないです
‐ニューロティカを始めて今年で32年、これって並大抵ではない思うんですが、続けてこれた理由って何なんでしょう?
地方にライブに行くと、50人でも100人でも人が待っててくれるのでそれに応えたいという気持ちですが一番の源ですね。
ただその前に「なぜやってるの」と聞かれると…映画でも言ってるんですけど、辞めようと思ったときもありますし、メンバーが辞めさせてくれないという感じで…ですね。
‐周りが求めてくれるから、ということですか?
本当正直な話言うと、ライブはみんなが集まる文化祭の延長のような感じで。
そこに僕も参加してる、という雰囲気なんですよ。みんなと楽しくやるのが好きなんで、こんな楽しい楽曲があるから一緒に遊ばない?ねぇ?という感じですね。
何か美味しいラーメンを見つけたらみんなに教えたりする、そんな感じで続けています。
‐「楽しい」という気持ち。
そうですね、それが一番ですね。そこでみんなと会えるのが。これからワンマンツアーやるんですけど、アニバーサリーのライブの時には必ず高校とか中学校、小学校の同窓会のような感じになって。
同級生なんか俺がこんなことやってないと集まらないんで「ありがとう」なんて言われたときにちょっと報われたかなと笑。
‐同窓会の幹事みたいですね笑。でも、ニューロティカのライブは新しい人もどんどん増えていきますよね。
色んな若いバンドと対バンしてるのでそこは意識していますね。普通50歳のバンドを20歳の子が見に来ないですからね、正直ね。
‐笑。アツシさんはメイクもされてるし、年齢を感じさせないステージを繰り広げられていますけどね。
動いてないと手を抜いてると言われるので笑。お客さんからもメンバーからも…みんな俺に何をして欲しいのかなって思ってます。
ただもうそういうキャラだと思いますけどね。そのほうがおもしろいし、僕は一切拒みません。まぁそれはそれでいいかなと。
‐それは昔からずっとそうなんですか?
そうですね。幼稚園から小学校からお調子者なんですよね、ただ単に。
それがそのまま大人になってしまった、それがそのまま仕事になってしまったという。
懐が深いバカって感じですね。ちやほやされているうちが華だと思ってます。
‐辛いときも苦しいときも笑いながらやっていくというのは、ただお調子者なだけじゃできないことだと思います。
よくみんなに映画を見ていただいて「忙しいよね」って言われるんですけど、AKBに比べれば、モー娘。に比べれば、と考えてますね。あの子たちの方が断然大変でしょう。
‐比較対象がそこなんですね。
そもそも高校のときにライブに行けて、ロックに出会ってこの仕事についたって本当に幸せですよね、ライブに行くお金だって大変だったと思うし、そういうことを考える歳になってしまいましたね。
‐確かにそうですね。
世界を見ればロックなんてやってる場合じゃない国もあるのに、自分はそういうことをできている。
そこに感謝してる、恩返しみたいなことが始まっちゃってるって感じですよね。
全国の皆さんがCDを買っていただいて、ライブに来ていただいたおかげで生活できてるので、音楽で50歳になるまでできてこんなに幸せなことはないですよね。
地方でも100人なり50人なりその人達のためにも一生懸命やらないと罰が当たるなと思っています。
‐最後に読者へのメッセージをお願いします。
こんな馬鹿な大人がいるので皆さん安心して若い人たちはスクスク育ってほしいというそういうメッセージを最後にお願いします(笑)それがメッセージですね。
こんなバカやってバンドやって生きてるんで、まだまだ楽しいことは見つかりますよっていうことを伝えたいとは思っているんですけどね。
生活や生きるのに苦しんでいる人がいたらこっちにこいよ、と。
‐ここまでお話しして思いましたが、アツシさんの言葉には常に「相手」がある感じがします。それがたくさんの人のハートに火をつけるんでしょうか。
初めて言われました。そういえばそうですね。あとは、怒ってる暇があったら楽しいことを見つけたいって。
楽しいことをやってるんだから一緒に楽しまないと、独り占めしてたら罰があたるので、みなさんと一緒に楽しみたいなっていうのがニューロティカですね。
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