橋場 了吾
1975年、北海道札幌市生まれ。 2008年、株式会社アールアンドアールを設立。音楽・観光を中心にさまざまなインタビュー取材・ライティングを手掛ける。 音楽情報WEBマガジン「REAL MUSIC NAKED」編集長、アコースティック音楽イベント「REAL MUSIC VILLAGE」主宰。

皆さんは仕事を選ぶときに、どのような基準を持っているでしょうか。「自分の長所を活かせる」「地元で働く」「お金をたくさん稼げる」などさまざまなスタンダードがあると思いますが、今日ご紹介するPANというバンドは「遊び続けたい」という気持ちが、一番のモチベーションになって音楽活動を続けてきたバンドです。

 

「羨ましいなあ」と思う方もいるかもしれませんが、「遊び続けたい」だけでは20年以上も続けられるほど、音楽活動というものは甘いものではありません。もちろんPANも、ライブでの挫折、レコーディングでの挫折を経て、地元・大阪に住みながら全国をツアーし、大きなイベントを成功させるバンドに成長しました。

 

4月にアルバム『PANJOY!!!』をリリース、イベントライブに出演するために来札したPANのヴォーカル・川さんとギター・ゴッチさんにPANの結成から今までを振り返ってもらいました。

 


 

高校でばらばらになった友達が集まる場所

‐PANは、1995年にお二人が高校進学の年に結成されたんですよね。

川さん:もともとは小学校からの同級生で結成したバンドです。僕は中学時代は野球部で、ほかのメンバーはバスケ部だったんですが、彼らが高校に入ったらバンドをするらしいと。

僕は「一緒にせえへん?」と誘われて始めました。でも、そのときは誰も楽器ができなかったんです。

ゴッチ:中学までは一緒だったんですが、高校がばらばらになってしまったので、集まる理由としてバンドでもやろうかという軽いノリでした。

‐パートはどうやって決めたんですか?

 川さん:もともと5人組で、ドラムは立候補で決まりました。

ゴッチ:僕もギターをやりたかったので、そのままギターになりました。

川さん:ドラムがクリキン(のちに脱退)、ゴッチがギター。コンペ(のちに脱退)は…特に理由もなくベースに。

ダイスケ(現ベース)はヴォーカルをやりたかったはずなんですが、カラオケでいつの間にか僕がヴォーカルに決まりまして、ダイスケはギターになりました。最初コピーしたのはLUNA SEAでした。

ゴッチ:ただ、いかんせんど素人なもんで全然弾けませんでした(笑)。

‐LUNA SEAはキッズには入りやすいですけど、難しいんですよね。

 川さん:楽器だけじゃなくて、ヴォーカルも高くて…。それで『うまく行かへんなあ』と思って、GLAYやユニコーンを経てTHE BLUE HEARTSをコピーしてみたんですけど、これがしっくり来たんですよね。シンプルでいいなと思って。

ゴッチ:(今のバンドの)もともとのベースはここからできました。

※PANというバンド名はTHE BLUE HEARTSが1995年にリリースしたラストアルバム『PAN』が由来。

‐その後はどのような歴史があるんですか?

 川さん:高校1年の終わりくらいにコンペがバンドを辞めて、ダイスケがベースになりました。

クリキンは20歳くらいで辞めて、2代目ドラマーのハジオと10年くらいやって、今のドラマーのよこしんが、前にやっていたバンドが解散したときだったのでタイミングよく入りました。

‐川さん、ゴッチさん、ダイスケさんは幼馴染ですが、こんなにバンドが続くと思っていましたか?

 川さん:それはないですね。

ゴッチ:もともと、ただ遊ぶためだけに作ったバンドだったので。

川さん:実は、高校を卒業してから就職もしたんですよ。バンドをずっとやっていくという気持ちはあまりなかったんです。

ほかのメンバーも専門学校に行ったりしていたんですが…まだ遊びたかったんですよね。それで「バンドやるから仕事辞めるわ」みたいな。ここでもバンドを口実にしちゃいました(笑)。

バンドを長く続けるために始めたわけではなかったんですが、仕事も辞めたし、バイトしながら続けようみたいな感じでした。当時は地元でライブをするだけでしたから。

‐そこから今のような全国でライブをするバンドに成長していったんですよね。

 川さん:東京の音楽事務所の人が、大阪に面白いバンドがいないかどうか探しに来たことがあったんですよね。

それでCD制作に誘われて、『タダだったらええやん』みたいな(笑)。で、東京にレコーディングに行くようになりました。

‐大阪以外のライブはどうだったんですか?

川さん:21くらいのときですかね、東京のライブハウスでは…全然相手にされていないなと感じました。

今までは地元の友達が見に来てくれますし、それはそれで楽しかったんですけど、東京では誰も僕らのことを知らないわけです。『悔しい』と思って、そこからですね、(音楽やライブについて)考え出したのは。

ゴッチ:どうやったら、皆見てくれるのかなって。

 

ライブの爆音に見合う楽曲・歌詞のテンションを考えるようになった

‐そこでどういう風に変えていったんですか?

川さん:まず、どうやったら興味なさそうな人を振り向かせられるかと。僕らに何があるかを考えたときに、とにかくしゃべってみようと。

それまでMCもあまりしてなかったので。それでMCをすることになるんですが、ヴォーカルの僕だけじゃなくてギターもベースもしゃべってしまうという。

ゴッチ:3人が同時に別のことをしゃべりだすんです。

川さん:あまり意図してなかったんですけど、意外にそれがウケたというか。

ゴッチ:実際、お客さんの足も止まりましたし、視線も向けてもらえるようになりました。

‐音楽面では変化はありましたか?

 川さん:当時の曲は高校時代の延長線上なのでそんなに変化はなかったんですが、Hi-STANDARDやGREEN DAY、NOFXもコピーしていたので、その辺りのエッセンスを入れつつも面白いことをやりたいという感じでした。

‐演奏はしっかり、MCは面白いというのがうまく組み合わさって…。

川さん:うまく組み合わさってはいなかったですね(笑)。インディーズバンドブームが来たときも、PANはそんなに乗っている感じもなかったですし。

演奏面は少しずつ上達していたので、対バンのレベルも上がっていったときに、今思うとひねくれた感じの楽曲になっていったんですよ。そんなときに初めてプロデューサー・伊藤銀次さんを迎えて制作したときに、大きく変わりましたね。

※2009年リリースのシングル『いっせーのせっ!!』

‐伊藤さんといえば、プレイヤーとしてもプロデューサーとしても大御所ですね。

 川さん:まず、自分たちがどうしたいのかが先にあって、それがないと気持ちは伝わらないよと。面白そうなことを言ったり歌ったりはしていると思うけど、もう少し広い場所で歌っていることに目を向けなさいと。

確かにそうだなと思って、1万人に伝えるためにはどうすればいいのかを考えるようになりました。爆音のライブに見合うような楽曲や歌詞のテンションが必要だなと思って、大きく変わるきっかけになりました。

ゴッチ:全員、叩きのめされたんですよ(笑)。

川さん:そのときは「メンドくさっ」と思うこともたくさんあったんですけど、逆にありがたかったというか。自分も考えたり悩んだりしたいけど、何をすればいいかわからなかったんですよね。

自分の問題点がわからなかったんです。それを教えれくれた、気づかされたときでしたね。音楽以外の見方も変わりました。

 

年齢を問わず楽しめるアルバムを作りたい

‐4月12日には『PANJOY!!!』というアルバムがリリースになりました。

ゴッチ:PANでJOYしてください、というそのままの意味です。Enjoyにも掛かってます。

川さん:PANは楽しくて明るいバンドなので、毎回そういうアルバムを作ろうと意識しています。

ただ、バンドを続けていく中で変化するものはあるので、今のPANを表現した作品…20年以上やっているバンドですが、年齢を問わず楽しんでほしいという気持ちで作りました。

‐アルバムの中にはコラボレーション曲も収録されています。『ギョウザ食べチャイナ』は餃子の王将とのコラボですね。

川さん:餃子の王将はね…ホンマにいいと思いますよ。これは、曲が先で事後報告なんですよ(笑)。曲ができてから持って行って、OKをいただいたので公にできました。

PANの面白い売り出し方を刺激できるような楽曲を作ったら、いろいろなコラボレーションが実現した…良いバランスでできているのかなと思いますね。

‐このあとは全国ツアーが待っています。

川さん:ライブというのは、「見たい」と思ったときに来てもらいたいですし、その期待に応えられるライブをするので、今回のワンマンツアーも二度とないライブになると思うので、是非とも来てください。

何十年後かに思い出しても「あのライブ、良かったな」と思ってもらえるような、心に残るライブをするのがPANらしさかなと思います。

 


《取材を終えて》

中学から高校への進学時にバラバラになるのが嫌で、遊び感覚で始めたバンド活動がいつのまにか23年目に突入していた…PANというバンドは、彼らの人生そのものといっても良いでしょう。

 

それだけ長い期間音楽を続けているわけですから、山あり谷ありがあって当たり前。その中で彼らは、「自分たちが持っているもの」「自分たちが目指しているもの」という“オンリーワン”を見つけることができました。

 

それらを伸ばしていくことで、PANというバンドのアイデンティティを確立し、長いバンド活動の中でも「今が一番フレッシュな状態」(ゴッチさん)といえる状態にあるのでしょう。

 

そしてその音楽への熱は、音楽以外の分野の方々にもどんどん伝わり、「餃子の王将」や「JA全農たまご」「SPINNS」とのコラボレーションにまで発展しました。PAN流音楽の作り方には、音楽以外の分野で活動する方々にとっても大きなヒントが隠されているような気がします。

 

【ライター・橋場了吾】

北海道札幌市出身・在住。同志社大学法学部政治学科卒業後、札幌テレビ放送株式会社へ入社。STVラジオのディレクターを経て株式会社アールアンドアールを創立、SAPPORO MUSIC NAKED(現 REAL MUSIC NAKED)を開設。現在までに500組以上のミュージシャンにインタビューを実施。 北海道観光マスター資格保持者、ニュース・観光サイトやコンテンツマーケティングのライティングも行う。