私(藤田)の地元、京都にとても興味深い肩書を持つ女性がいます。



それはNPO法人「いのちの里京都村」の事務局長でありながら、若干25歳で狩猟免許を取得し、数少ない女性ジビエハンター*として活動する林利栄子さん。近年、深刻化する野生鳥獣による農作物被害に立ち向かっています。



農業、移住、U・Iターン...70Seedsでも、度々テーマにあがる多様な地域との関わり方。地域の人と関わるのに、ハンターを目指すことはごく自然な流れだったと語る林さん。その気になる経緯を伺ってみました。



*ジビエ:シカやイノシシなど、狩猟によって食肉として捕獲された野生鳥獣のこと。

藤田 郁
京都出身。IT企業、戦略PR会社を経て、2016年より70seeds編集部に所属。主なテーマは、地域、食、女性の生き方、ものづくり。"今"を生きる人たちのワクワクする取り組みを追っています。

NPOについて「京都の農山村と都市の橋渡し役」

‐えっと…改めてなんですが、ジビエハンターなんですよね?想像できません。

私もまさか自分がいつか猟師になるなんて思ってもみませんでしたね。

でも、NPO法人「いのちの里京都村」に入社してからの私にとって、狩猟免許の取得は手近な選択だったんですよ。

‐その経緯について紐解いていきたいと思います。まず、NPOではどんな活動をされてるんですか?

京都は観光地で市内のイメージが強いけど、実際、都会なのは一部だけで、あとは山や谷、海が広がる自然豊かな土地です。

そういう地域が私たちが食べる新鮮なお野菜、水、空気を生み出してくれているけど、急激な過疎化や高齢化、農林地の荒廃などいろんな課題を抱えていて、継続させていくことが難しくなってきています。

‐日本各地の地方が抱えている問題が、京都でも起きていたんですね。

そこで、京都府がそのような私たちの命を育んでくれている地域を”命の里”とし、補助金や人を送り込んで支援しようと「命の里事業」を始めて。

でも、行政のやり方だと期間は決まってるし、お金は出すけどあとはお任せで、ビジネスとして持続させるような取り組みまでは踏み込めない。

だからフットワーク軽く、行政と連携して動ける組織としてこのNPOが誕生しました。

‐具体的にはどのようなことを?

都市の企業と田舎を結ぶ架け橋となるような、企画・コンテンツをつくっています。

普段は机上でやるような企業研修を、農山村に泊まりがけで地域ビジネスを考えるワークショップを企画したり、地域のお野菜を市内で販売したり。ハンター、獣害対策の活動もあくまでこの一環です。

何も知らない名ばかりNPO局長に

‐林さんも移住者だったり、もともとNPOや地域に関心があったのでしょうか。

いえいえ。今は農山村との二拠点生活を送っていますが、生まれも育ちもずっと京都市嵐山で今も実家暮らし。入社当初は「田舎は京北、美山町しか知らないです」くらいのレベル感で…。

学生時代もサークル入って、バイトしては友達と遊んで…典型的な大学生活を送ってました。なので、社会課題に取り組むようなこととは縁遠かったですね。

‐となると、そもそも今のNPOに入ろうと思ったきっかけが気になります。

NPOに入る前は、保険会社の営業職として働いていましたが、お客さんと仲良くなるにつれて、商品を買ってもらうために関係性を築いていくことへの罪悪感が芽生えてしまって。だから、逆に売らなかったり他の保険会社を勧めてみたり。

私はその会社として戦力的にも問題やなって感じたのと、長い目で見たとき、特に女性が一番輝いて働ける期間をただ毎日消化、消耗していくような働き方がもったいないと感じました。1年半くらいで辞めましたね。

‐なるほど。

人と接することは好きだったので、人と中立的に、裏表なく向き合って関われるお仕事がいいなと思っていたところ、今のNPOの理事に出会い、転職を決めました。

‐で、NPOの事務局長に。

最初から私しか事務局がいないので局長なんです(笑)。私も嫌やったんですよ、肩書も名ばかりで。周りからもどんな立派なことしてきた人なんだって見られて。

先ほども話したように地域や社会活動とは縁が遠くて何も知らなかったし、市内の出町柳というエリアに事務所があるから、「支援するとか言って自分ら市内に事務所構えてるやん、地域のこと知らんやん」と訪れた先々で言われたりもして。

移住?農業?「中間点」にいながら現場のリアルを知るために

‐そのような声に対してどう対応したんですか?

これじゃ何も言えないし何もできない。私たちは、地域の言葉をとおして課題を代弁して解決策を提案することが役割なのに、又聞きだから説得力がないんですよね。

そのときに自分もリアルを知れることをしないといけないと。まず一番はじめに考えたのは移住なんですが、私には無理だなと思いました。

‐それはなぜ?

私は何かにどっぷり浸かるのが嫌で。最初、NPO自体も宗教っぽいイメージがあって抵抗がありました。

私みたいに過ごしてきた人間にとってNPOは、儲けにならなくても、信念を持って空いた時間で社会にいいことをする…

そういうことが好きで知識に長けている人の集まりという印象があって敷居が高い。一緒にやるには、熱量があり過ぎて自分が染まってしまうのがこわい。

だから、NPOに入っても一番大事にしてきたのは、ものごとの中間地点にいること。田舎には都会にない豊かさがあるし、都会には便利なものがあって刺激的な環境に囲まれている。

それを、こっちの方がいい、あっちの方がいいっていう意見が多いんですよね。両方豊かな生活だし、両方ないと成り立たないから、片足ずつ入れて通訳ができる人間でいたいなと思いました。

‐移住は断念…そうすると?

次に農業を検討しましたが、貸してくれる土地が近くにない。専門学校に通うことも考えたけど、お金も時間もなく…どうしようかと悩んでいたとき、たまたま、NPOの正会員でもあるハンター垣内忠正さんに出会いました。

垣内さんから、「猟師なら週末だけ山入ればいいし、女性の猟師少ないからやってみたら」と言われて。

‐移住しなくてもいい、実家に住みながらできる地域のこと…でたどり着いたのが猟師!

あと、鹿肉を使った肉まんの商品開発をしたとき、なんでわざわざ鹿肉の高い肉まんを売るのか、子どもから「鹿さんかわいそう…」とか言われることに対して、なじみがないから「鹿肉も食卓にのぼるべき食材なんだ」ということが身をもって説明できなかったんです。

畑をしたり、農山村に住んでるわけでもないから直接的な被害は受けてない。育ててくれる農家さんが被害を受けて、やっとの思いで収穫したものを私たちは食べてる。

だから、「困ってはるらしいねん」って話やけど、それじゃダメで、扱う者として現場をもっと知るべきだなと感じたことも大きいです。

「意志がない」「意識が高い」とも思われたくなかった

‐それにしても思いきった決断です。周りの反応は?

親からは心配されましたね。今でこそ自分の活動、ひとつの働き方として確立してるけど、当初はまだ現状を知ること、免許を取ることに必死でそれが何になるかが私自身、イメージがついてなかったんです。

だから、親からも「意志が感じられへん」って言われたこともあったんですが、メディアに出たり、ボランティアではなくワークショップの講師料をもらえるようになって、社会的に求められていることなんだって今は理解してくれています。でも、同年代の友だちには言えなかったな…。

‐それは?

意識高く見えちゃうじゃないですか。私の周りにいる友達は、休みに買い物して、ネイルして…みたいな感じの子やからタイプが違い過ぎるんです。

NPOって言うのも恥ずかしくて、行政の仕事してるって言ってました。私も先ほどのNPOに対するイメージを持っていたように、意識高い系の人たちと付き合いづらかったんです。私は別に何も変わってないから、距離を感じてほしくなかった。

‐でもずっと隠すわけにはいかない。

はい。もうテレビとかに出たら一緒になっちゃって「利栄子どうしたんや」と(笑)。でも、そんな友達が反対に、「じゃあ今度鹿肉食べさせてよ」ってノリで食イベントに来てくれたりして。

こういうイベントってどうしても仲間内になりがちなんですが、大学の全然違う層から「私も食べたい、これも食べてみたい」って言ってもらえると報われたなぁと思うんです。

‐ジビエ料理も最近ではちょっとしたブームになりつつありますよね。

私が目標に掲げてるのは、ジビエをもっと身近な食材として扱ってもらうこと。

自分が家で料理するんだったらどんな味付けにするかを連想してもらうことを心がけています。

変に凝った特別な料理になっちゃうとダメですね。鹿肉はおしゃれなバルに置いてあったりするけど、結局はまだ遠い存在。やっとジビエって言葉が知られ始めたくらいかなと。

多様性を育む社会をつくりたい

‐これまでの活動をとおして、その他に目指していることはありますか?

大きくは、多様性を認めること。お互いの価値観を認め合える社会を育んでいけたらいいですね。

こういう仕事していると、自然食派の人が集まってきたり、ウェブだと顔が見えないことをいいことに「殺生やわ、私には食べられない」って批判されることも多いです。

でも私は、今目の前にあるものを大事に食べてほしいだけ。それがちゃんと命があったもの、大切に愛情を持って育てられたものなんだよっていうことを知ってもらえたらそれだけでいい。

自分と違う価値観に対して認められない人が世の中には多いと思いますね。

‐地方と都会の話、片方にどっぷり浸からない…これまで話していただいた林さんの価値観にも大きく関係しますね。

そうですね。ジビエハンターになって、食べ方、生き方、モノの価値観について自分自身が学んだし、豊かに生きてるなって実感できるようになりました。


【取材を終えて】

せっかく街に出てきたからと、取材後は美容室に行くと言って別れた林さんは、どこにでもいる、はつらつとした笑顔が印象的な女性。話を聞いていくなかで、ジビエハンターになることは、彼女が自分らしく生きるために必要な通過点であったように思えます。

私も林さんと同じく京都市出身ですが、よく考えたら京都の田舎側のことはあまり詳しく知らない11月~3月は猟期まっただ中だそうです。今年の冬はジビエ肉のお鍋でも食べながら、地域や食について思いを馳せてみようと思いました。