岡山 史興
70Seeds編集長。「できごとのじぶんごと化」をミッションに、世の中のさまざまな「編集」に取り組んでいます。

2014年に国の方針として「地方創生」が発表されて以降、「ローカル」というキーワードがひとつのブームになりつつあります。

 

でも、それ以前にも全国各地で「地域おこし」や「地方活性化」の取り組みは起きていたはず。にもかかわらず、今、地方へ熱い視線が注がれるのはなぜなのでしょうか。そこにはいったいどんな違いがあるのでしょうか。

 

そのひとつの答えとして、「ローカルヒーロー」の存在を挙げるのが、先日著書『ぼくらは地方で幸せを見つける』を刊行した、雑誌『ソトコト』編集長の指出一正さん。エコ、ロハス、ソーシャル、そしてローカルへと、時代の価値観をリードしてきた『ソトコト』流視点が見つめる「地方の幸せ」とは。

 

一過性のブームに過ぎないのでは…? など率直な疑問にもストレートに答えてもらいました。


 

数値に表れない「ローカルヒーロー」の魅力

‐指出さんが著書(『ぼくらは地方で幸せを見つける』)でいう、「ローカルヒーロー」ってどんな人たちなんでしょう。

1,000人くらいのコミュニティの中で周りに幸せを感じさせるような人たち、というのかな。友達と支え合って喜ぶ、地域に愛されたり先輩に怒られたりしながら魅力を発揮していくような、オールマイティな輝き方ではなく、放っておけないけどいい輝き方をする人ですね。

‐「ヒーロー」と聞くとつい、華々しいイメージを持ってしまいがちです。

表参道や中目黒みたいな情報の集積・発信地ではなくて、地方のまちとか中山間地域にいる人たちですね。出版の際は「ローカルヒーロー」という言葉が物議を醸しましたよ。ある程度の上の世代からするとご当地戦隊モノをイメージしてしまうし、どこまで訴求しているかわからない、と版元の編集会議でも言われたり。

でも、ふたを開けてみると日本各地に「ローカルヒーロー」像に自分を重ねてくれている若い方々が確かにいたんですよ。実感が湧き始めたのは昨年1月からの「レンタル編集長」の取り組み(※『ソトコト』創刊200号を記念して、指出編集長が全国のトーク登壇に呼ばれる企画)で、110か所以上の土地を回っている中でですね。各地にUIターン、そして地元育ちの「ローカルヒーロー」を等身大に実践している人たちがいて。

(写真:「レンタル編集長」で訪れたイベントの様子)

 

‐そういう人たちって、東京にはいないんですか?

浮かび上がってきにくい、っていうのはあると思います。東京だと、大企業よりはベンチャーとか小さいけど面白い会社では出てきやすいですよね。あと、僕は世代が違うから、そういう人たちのことが目に留まりやすいというのはあるかもしれません。フィルターがひとつあるイメージですね。

‐世代というフィルターだけではなくて、地域というフィルターもありそうですね。

それで言うと、僕は若者にとって2つの言葉が古語になっていると思ってるんですよ。ひとつは「移住」、もうひとつは「地方」です。

‐それは?

東京が中心でなくなってきたということです。だいたいの東京的なものがスマホで手元にある時代、2項対立がなくなっていますよね。言い換えると、日本全国が地域化していると。例えば、これまでは東京に住み、提供される都内の大型イベントを楽しむというのが主流だったけれど、地域で80人くらいのフェスを自発的にやるのも楽しい、という価値観が広がってきている。遠くの東京よりも自分の地域を楽しむほうがいい。メトロポリタンヒーローみたいに空を飛ばなくていいんです。

‐メトロポリタンヒーローっていうのは面白いたとえですね。

「ローカルヒーロー」は、男性性と女性性、でいうとどちらも持っている感じ、そんな時代ですよね。男性性っていうのは物事の順位や優劣をやたらと決めたがる、競技式です。でも1番が決まると当事者性がなくなるし、その1番の人が守ってくれる、指令を出してくれると受動的になってしまいます。どちらかというと1番を決めないのは女性性。ヤオヨロズ的な、多様性にもつながる考え方ですね。

 

「次を生み出す世代」に響かせるミクスチャーな視点

‐世代というのがひとつの区切りだと思うんですが、具体的にはどんな違いがあるんでしょう。

一番は、お金を払うことで得られる喜びを感じる世代と、お金を使うことに飽きた世代の断絶だと思います。それは自己承認の手法が多様化したからで、従来はブランドや年収だとか外の基準で図ってもらわないといけなかったものが、今はたくさんのものさしがありますよね。

‐確かに、SNSを見ていても「自分の好きなこと」が人の数だけ、情報として飛び込んできますからね。

お金をどこで使ったらいいか迷う時代ですよね。みんなが思う共通で絶対の「幸せなもの」がなくなった時代。だからお金の使い方がクラウドファンディングに行ったりしている。呪縛が解けたんだと思います。お金を使うことがかならずしも自分の豊かさに直結しない世代が、古民家をシェアして床を張ったり、キッチンをつくったりしてミクロな未来を楽しんでいる

‐ミクロな未来?

高度経済成長期にみんなが向かっていた「最高の未来」じゃなくて、今から3か月先にこんな風になってたらいいな、くらいの身近さ。それに自分の暮らしをつくれる、という実感です。その辺りが世代の断絶の要因でしょう。

‐ただ、そうやってミクロな未来、お金が一番でない生活、ということもブームが過ぎたらみんな飽きちゃう、ということはないんでしょうか。

昔は飽きたと思うんです。仕事にしろ、かつては、一度企業勤めやプロジェクトが始まるとこれで一生やろう、と思っちゃったんです。そうなると老化するし、劣化する。これが昔のNPOで度々見られた現象です。

でも今は、一度集まった仲間も、あるタイミングで分散して、「アウトドアが好き」「福祉が好き」、みたいに違う企業やプロジェクトやチームに分散していく時代です。若い人がフリーなのか起業なのかよくわからない自由な働き方ができるようになりましたよね。

僕が大学生のときはバブル末期、まだまだ社会や企業が元気で、ある程度は好きな会社に選べて行けて、会社勤めが始まれば、「一生これで大丈夫」と誰もが思えた時代です。

振り返っていまを考えると、30年50年と同じところに勤めるつもりの当時のような若い人には、あまり会わなくなった。昔あった「安泰」という意識は蜃気楼のようなものになり、代わりに小さくて自由な働き方がずいぶんと顕在化してきたと思います。

‐そう考えると、エコから始まって、ロハス、ソーシャル、そしてローカルへとフィールドを広げてきた『ソトコト』の動き方って、そんな自由さと通じていますよね。

時代の空気は「引っ越し」みたいなものです。その価値観に頼りすぎると危ないなと思って、価値観の引っ越しをしたというか。引っ越せない人は居心地のいい場所に居続ける、僕は引っ越して新しいところに行くほうを選んだ。そうしてみたら、エコをテーマにしていたNPOや個人、企業など、よく知ったみんなも実は同じまちに引っ越してきていたという感じですね。

‐自然と共有される感覚、価値観みたいなものがあるんでしょうね。ちなみに、今回(2017年4月号)の特集「多様性を育てる社会」は福祉関係ですね。次に目をつけるテーマ、カテゴリってどんな視点で決めていくんでしょう。

福祉はわりと毎年、チャレンジしている特集で、ソトコトの中でもとくにエッジが利いているほうかもしれません(笑)

まず、大人がマーケティング的なことでつくったものは、手あかがついた感じがするととらえるのが今の世代です。もしかしたら、福祉や障害などといった真面目がちなテーマは、ゴージャスなホテルに1泊60万で泊まりたい消費者層にとっては、一般的には自分ごとになりにくい企画でしょう。しかし、大人が既存のビジネス的に価値がないと思うことが、次に価値を生むものだったりするんです。昔の裏原宿とか今の東京の東側とか。それを社会的な文化やカテゴリと重ね合わせると、企画になる。そして、どんなテーマも限りなくかっこよく見せられるのがいい。しかも掛け合わせるものはヘビーなほうがいいんです。

‐たしかに、今回の特集はそんな力強さを感じます。

未来がある世代が面白いと思ってくれるものを発信というか、お香を焚くように届けられれば。それが今回の特集だったりするんですよ。読者の方にバトンを受け取ってもらってアップデートしてくれたらいいかなと。このテーマも、もうすぐ火がつきそうな段階。あとは複数の誰かが着火してくれれば、という状態ですよね。

‐その着火役がまさにローカルヒーローのような人たち。

そうそう、例えば、福祉作業所での仕事だって、言われるがまま作業をしてるんじゃ、障害のあるなしにかかわらず誰だって面白くないですよね? そこに、「自分ごととして楽しい」「儲かる」とか「面白いものをつくろう」とか、働いている人や仲間たちにちょっとの工夫で火をつけられる人。日本の中山間地域を中心にして、もちろん東京や京都にもそういったローカルヒーローはいるんです。日本人はすぐスティーブ・ジョブズのようなスーパーヒーローをつくろうとするけど。

‐そういうアイコンだけをかっこいいと思う時代は過ぎつつありますよね。

そこまで神頼みのようにスーパーヒーローばかりを崇拝しなくてもいいんじゃないかな。あとは、「圧倒的な影響力」を持った大人やメディアが減ったのも事実ですよね。昔はみんなが見ていて当たり前、言い換えれば、見ていなければ日常の話題の中に入っていけない芸能人やテレビ番組などもあったけど、今は自分が好きなことだったら、世間にとらわれずになんでも好きなだけ吸収していけばいい。そう考えると、今の日本って、本当は、小さなローカルヒーローになれる魅力あふれる人材が豊富なのだと思いますよ。

 

 

ローカルヒーローが活躍できる場所、できない場所

‐ ローカルヒーロー的な役割を果たす人たちの中には、地域でうまく活躍できずに失意の中、その場所を去ってしまうということもあります。そこには、受け入れる地域側の課題もあるように思うんですが、活躍できる地域の条件、みたいなものってあるんでしょうか。

飛び道具的なこと、打ち上げ花火的なことをやろうとする場所より、面白くてじんわりと生温かくて、平温でいられるような場所がローカルヒーローを生むと思っています。ツルツルピカピカの取りつく島のないようなところより、地域がでこぼことして、ざらっとしている場所、つまり「関わりしろ」が多い場所です。自分の役割が見つけやすいから気兼ねなく仲間になりやすいんですよね。

たとえば、新潟県の十日町市はいつ行っても新しい人がいたりして動いている感じがあって、僕みたいな時々うかがう程度の人間にも居心地がいい。あとは、神奈川県や静岡県になりますが、横浜や茅ヶ崎、大磯や小田原、真鶴、熱海、下田などは近隣のまち同士が相乗していて、ローカルヒーローが行き来している街です。どの駅に行っても注目しているローカルヒーローがいるので、「東海道ソーシャルライン」なんて勝手に呼んでます(笑)。

‐東海道ソーシャルライン(笑)。逆に、うまく行きにくい地域の課題って何なんでしょう?

まずは、東京に「地域と関わり合いを持ちたい」という新しい価値観を持っている若い人がたくさんいることを知っているかどうかでしょう。

たとえば、行政の方が「移住フェアに出展したら任務は終わり」みたいに考えているとかは、もっと潜在的な出会いが東京にはあるのにもったいないですね。先日、神楽坂で移住女子のイベントに登壇させてもらったのですが、移住することはすでに決めていて、移住先が決まっていないおしゃれで魅力的な女性の方たちがたくさん参加していました。でも、そこに行政の人は来ていなかった。

‐それはもったいないですね。最近の取材で、「地方は努力していない」という話を聞く機会が何度かあった(参考:「東京の役割はカーストからのリセット」「観光カリスマが目指す理想」)のを思い出しました。情報が入ってくる現代、地方から若い人が出て行ってしまうのは当たり前だと。

人間が10代で経験したいこと、20代で経験したいことが違うっていうのはありますよね。東京を見たくてたまらない若い人は止められない。ただ、そこで彼らが出て行かないように、「だから、東京に負けないように」という視点での取り組みや施策自体がすでに負けていると思うんです。東京はかつての地方の人たちが憧れてつくった、「地方の夢」の集大成のまちですから。

‐ああ、すごく腑に落ちます。

一度立ち止まって見られる若い人が増えるような方法を考えられるといいですよね。東京も地元も客観視できる人というか。

あとは、地方のゲストハウスなどで会う東京からの人たちのほうが、実は都内の交流会に行くより、自分が会いたかった人たちである可能性が高いと思います。一過性の関係より、もっと密な関係のほうが自分の糧になりますし。そういう意味でも、地域のよさがある。ソトコトはローカルのアイコンともとらえられる東京の真ん中で、関係性をつむげる存在でありたいなと思っていますね。

‐あと、ローカルヒーローが個人として動く段階から、土地に根付いていく段階へとライフステージも変わっていきますよね。そうなると、ローカルヒーローがいるかいないかって、地域での子どもの育ち方にも影響が生まれそうです。

それはまさにそうで、ローカルヒーローに憧れて育つ小学生や中学生がいるんですよ。一方向の正しさではなく、人間味のあるお兄さんお姉さんたちが近くにいる。これまではもしかしたら、まちに興味を持てない大人に囲まれたまま年を重ねて、東京に出てしまっていたけれど、ローカルヒーローがいることで地域に愛着が湧くし、ローカルだからこそできる教育やビジネスの仕組みも見えてくる。大企業誘致ではなく、地元の資源を活かした新しいビジネスをやるとか。

逆に東京は、働く大人のまちですよね。生産力としての大人を見た都市計画のもとで空間が成り立っている。たとえば、駅のホームにいても3、4分で次の電車が来る。そこにとどまることが許されない設計です。ベビーカーを持ったお母さんたちなどは、一番その従来の計算に入っていない存在かもしれません。

‐たしかに、70seeds編集部のある茅場町駅(※2016年時点)も、ベビーカーを押しての移動はまったく考慮されてないつくりです。

沖縄の久米島でワークショップを行ったとき、赤ちゃん連れのお母さん方が20人くらい来てくれたんですよ。そういうのは本当に嬉しい。本来、まちづくりに一番必要な人たちですから。

 

 

「ローカルヒーロー」に未来はあるか?

‐さっき、ライフステージの話になりましたが、いま若者として活躍しているローカルヒーローたちが年をとったら、地域はまた新しい若者を求めていったりしないんですか?

次の世代が育ちやすいような社会をつくっているのがローカルヒーローの特長でもあります。近所の子どもたちが親から、「あのお兄さんのところ、面白いから遊びに行ってらっしゃい」なんて言われて、影響を受ける素地ができていく。そうして地域にいる次世代が、まちに関わることが自然と芽生えていくんです。そしてプレーヤーであるローカルヒーローは、パートナーと出会い、ファミリーになっていく

‐お役御免になるのではなく、街のフェーズに合わせた役割や価値が生まれていくんですね。

そうです。あと、今地方は人口増を目指すことが多いですが、日本全体の人口が減っていくのは止められないですよね。一方で、ローカルヒーローたちのようなコミュニティは増えている。それは「まちのことを自分のことと考える人が増える」ということです。家にただ寝るために帰っているだけの人も人口ととらえる「数」の視点か、プレーヤーがプレーヤーを紹介してローカルヒーローが生まれていく「粒」の視点か。後者のほうが「人」がいると思うんです。

‐関係人口を重視するという考え方ですよね。

そうそう。だから、人口「ひとり」の定義を精査する必要があるんじゃないか、って。まちに興味がない人は0.3人分とか。僕が好きな地域は人口が少ないなど、税収が厳しいところが多いんですが、そういう意味ではこっちのほうが「まち」として成り立ってるんですよね。

‐さっきの「ブーム」の話に近いかもしれませんが、いま国の方針もあって盛り上がっている「ローカル」の文脈やローカルヒーロー的な価値観も、同じように次の世代に否定される、マッチしなくなるという可能性はありませんか?

これはあくまで私見ですが、今のローカルヒーロー的な価値観は、音楽で言うとパンクやニューウェーブの立ち位置かもしれませんね。拡大し、消費されやすいメインストリームにはなりにくいのではないでしょうか。

‐バブル的価値観のように、世代に広く浸透するわけではないということですか?

そう。あとは、世のため、人のためではなく、自分のためにやったことが利他性を持っているというのも特徴のひとつですね。今はたまたま「地方創生」という国策と合っている。こんなタイミングのいい時代はなかなかないでしょう。日本の社会がエコを提案しはじめたときでも、ここまでの世代のマッチングはありませんでした。

‐確かにエコは「いいこと」という感覚のほうが先に立っていたイメージです。ローカルヒーローはたくさんある趣味的な価値観のひとつ、というとイメージ湧きますね。

そう。だから今のローカルは面白い。でもそれはいつも起こることではないと思っています。そこに関わることが面白いと思う人が、ある程度の厚みを持った層になっているのが強みですよね。パンクやニューウェーブ好きを集めたらそれなりの数になるように。

‐ローカルヒーローは世代を超えても通じる価値観だと。

あとは昔、資本主義を嫌って地方に行く、というムーブメントがあったんです。でも世代交代するほどの影響力はもたなかった。それは「思想」だったからです。思想を突き詰めていくと「誰がいちばんその思想を理解しているか」という優劣と順位を決めるトーナメントになってしまう。そうすると大きく人を巻き込むムーブメントにはなりません。

‐競技性を帯びてしまう。

ローカルヒーローは思想ではない、だから持続性があるというのが僕の考えです。この地域が好き、自分が面白い、が先にあるタイプの動きかもしれません。もちろん歯を食いしばったり、涙を流すこともあるけど、必ず笑い、ユーモアがそこにはあって、人を惹きつけ続ける。それがローカルヒーローなんです。


これまで価値観の「引っ越し」をしながら、たくさんの地域に触れてきた指出さんだからこそ見出すことができた「ローカルヒーロー」という存在。時代のタイミング的にも、まさに今もっとも「おもしろい」フィールドだと言えるかもしれません。

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