ここ数年ブームになっているココナッツオイル。高い健康・美容効果から女性を中心に人気を集め、最近ではオイルに限らず複数のブランド/メーカーから様々なココナッツ製品が発売されています。
「将来、ココナッツのテーマパークをつくりたいんです。」
そう語るのは日本におけるココナッツ製品のパイオニア、ココウェル代表の水井裕さん。フィリピンが抱える貧困や環境の課題を解決するため、ココナッツ事業に10年以上取り組み続けています。
ココナッツで貧困を解決する?どうやって?そんな疑問を携えて、ココナッツ産業が生み出す可能性と自身を動かす原動力について聞きました。
アルバイトと掛け持ちだった、最初の3年間
‐水井さんが取り組むココナッツの事業、具体的にはどんなことをしているんですか?
ココウェルでは、フィリピンに暮らす農家の方々が育てたココナッツを元に、ココナッツオイルをはじめとした様々なココナッツ製品の製造・販売に取り組んでいます。今年で12年になります。
‐12年前、ココナッツオイルがまだほとんど知られていないような時期ですね。
そうですね、そもそも農家さんとのコネクションもまったくない中だったので、立ち上げもなにもかも手探りで。
会社を立ち上げたのが2004年の8月で、最初にやったのは容器屋さんを探したことでした。次に容器に入れる充填屋さんを探して。
‐最初の商品は何だったんですか?
食用と美容用両方のココナッツオイルを販売していたんですが、最初に売れたのは美容用のココナッツオイルでした。
肌につける方が、よさがすぐにわかるんですよね。
‐では、最初から順調に売れていってたんですね。どうやって販路をつくったんですか。
いや、まったくそんなスムーズだったわけではなくて。ちゃんとした商品ができるまでは、当時ブームだったフリーマーケットに出まくって、小さい容器に入れて300円、とかで売ってたんですよ。しかも友達のブースの片隅でちょこんと。
‐それでいくらくらい売れるものなんですか?
1日8,000円~10,000円くらいですね。そうこうしてるうちに固定客もできて、「これうちの店にも置いたるわ~」なんて言ってくれる方も現れたりして。
ブティックとか整骨院とか、一見あんまり関係なさそうに見えるんですけど、当時とても恩を受けた方々なので今も商品を置いてもらっています。
‐人情話ですね…!
大阪なので値切られますけどね(笑)。
‐(笑)。お話だけ聞くと順調に事業が進んできたように聞こえます。
まったくそんなことはないです。最初の3年はずっとアルバイトをしていましたよ。家庭教師とか、カルチャースクールの受付とか。事業だけでは食べられてませんでした。
ゴミ山がないと、生きていけない人たちがいた
‐そんな思いをしてまで取り組むココナッツの事業ですが、なぜ取り組むことになったんですか?
1997年の京都議定書のときに通っていた外国語大学の授業で、議定書の模擬会議でフィリピンの大統領役を務めたのが最初のきっかけです。
先進国と途上国の争い、フィリピンの環境問題について知り、環境への関心が高まりました。それから環境を仕事にしたくて環境関係の専門学校に通い直したんです。
でも、頭のどこかに常にフィリピンのことがあって。当時の学校を3ヶ月休んで、向こうの大学に行くことに決めたんです。
‐おお、ここで再びフィリピンとつながるんですね。
マニラに「スモーキーマウンテン」という有名なゴミ山があるんですが、知ってますか?
‐はい、ゴミが溜まりすぎて不完全燃焼ガスを常時出しているという…。
そのスモーキーマウンテンが、ある種環境問題の象徴だと思っていたんですね。「あのゴミ山をなくさないといけない」と。でも、それは間違っていたんです。
‐えっ?どういうことですか?
そこに住んでいる人がいて、ゴミ山がなくなると困る人たちがいたんです。
彼らはゴミ山から資源になるものを探してお金に換えて生計を立てているから、生きていくためにはそのゴミ山が必要なんですね。
‐彼らにとっては宝の山なんですね。
でも、やっぱりそれはいいことではないですよね。実はフィリピンから帰った後、体を壊して2年ほど入退院を繰り返していたんですが、その間もずっとそのときに見た光景が頭から離れなくて。
子どもがゴミ山を裸足で歩いていたこと、ゴミ山のすぐ隣にある畑でつくった作物を食べていたこと。それだけ衝撃的だったんです。
‐はい。
そもそも、ゴミ山の人たちは元々住んでいたわけではなく、地方に仕事がないから都市にやってきた人たちなんです。
でも、マニラに来ても仕事に就ける人はほんの一握り。そうやってゴミ山に住む人が増えていく構図があって「これは環境ではなく経済の問題だ」と。
‐それで起業の道に進んだんですね。
はい。根本的な解決策は地方を元気にすること、産業をつくることしかないと思いました。
それで地方に行ってみるとココナッツしかないんだけど、実は「ココナッツ1本で一家が暮らせる」と言われるくらい、様々な使い方、可能性を持つ植物だということを知ったんです。
その可能性を日本でもっと広めていきたい、と考えて現在の事業を立ち上げることを決意したんです。
‐体を壊していた中でその挑戦を決断できるのは驚きです。
どこか「どうにかなる」と楽観視していたのと、体の問題から普通の企業に入れない分、自由にやればいいんじゃないか、と逆に開き直っただけです(笑)。
ビジネスと支援のバランス
‐ココウェルの取り組みで、これまでに特に苦労したのはどんなことですか?
製品に関して言うと一番最初の頃、オイルが寒さで固まることを知らずに、冬場に全部使い物にならなくしてしまったことが最初の大きな失敗でしたね。
オイルが瓶から出てこなくなっちゃって…数十万円単位の損失になりました。
‐事業の初期にその失敗はダメージが大きいですね…。
あとはやっぱり現地の人々との習慣や考え方の違いです。
250gの容器に商品を詰めてもらうんですが、計量がいい加減すぎて正確に入っていなかったりとか。
‐確かに東南アジアの方との仕事で、そういった「おおざっぱエピソード」はよく聞きますが実際にあるんですね。
そういう点も含めて、日本の感覚で見ると無駄だなと思うことはやっぱり多いんですよ。でも直せる部分と直せない部分があるし、こちらが理解を示さないといけないこともあるんです。
‐一方的に押し付けてもいけないと。どうやってその壁を乗り越えていったんですか?
話し合うしかないですよね。日本人の市場はこういうものだ、と理解してもらうしかない。でも現場で日々作業をしている末端の人にはなかなか伝わらない。
だから繰り返すしかない、だから現地には頻繁に足を運んで、徹底的にコミュニケーションをとっていきました。
‐それこそ非常に忍耐強さが求められるプロセスだったと思います。どうしてそこまでして取り組むことができたんですか?
フィリピンの現状を見て衝撃を受けたときから、どこかに変わる可能性があると信じていたからだと思います。
それは、ココナッツに対する自信でもあるし、元々の性分が楽観的なところも。
何をするんでも、「なんとかなる」というのは小さいころからあったので(笑)。
‐それでもアルバイトをしながらだとか、生活に対する不安はなかったんですか?
自分の生活レベルを落とすことはなんとも思いませんでしたね。
アルバイトもしんどいと思わなかった。やっぱり、病気(※元々腎臓の病気を持っている)があることは大きいと思います。
それに倒れてからはさらに感覚が違っていますね。いろんなことへのこだわりが薄れて、とにかく人のために、という想いで動くようになりました。
それに、なにより現地を見たからというのはあります。
‐迷いなく突き進んでいるエネルギーを感じます。
でも、事業を進めていく中での迷いはなくならないんですよ。
‐というのは?
「品質と支援の両立」ですね。それこそ小さな規模で地道にやっているフェアトレードの会社はたくさんあるけれど、皆売るのに苦労しているんです。
でもそこはやっぱりバランスが重要で、善意では商売にならないので、きちんといい商品を届けることで売上を上げる。規模が大きくなればなるほどできることは広がる。そうして支援を充実させていきたいんです。
‐支援を拡大させていくということですが、今後の取り組みとしてイメージしていることはありますか?
ココナッツのテーマパークをつくりたいんですよ!
‐テーマパーク!
支援のためには、もっと雇用を生まなくてはいけないですよね。
そのためには、ココナッツの良さを現地の人に知らしめないといけない。オイルの作り方やシュガーの作り方を知らせないといけない。皆が知れば産業も増えてきます。
‐そうですね。
現地の人が現地で消費することを増やしていくことで、市場経済の中で存在意義が高まります。
現地の経済に組み込まれていけばココナッツの価値が上がるんです。
そのために、モノづくりをしながらココナッツを丸ごと楽しめるテーマパークのような場所をつくることが有効なんじゃないかって。
‐なるほど、とてもよくわかりました!
さらに、その先では、ラオスや東ティモールなど、ココナッツの良さをほかの国でも広めて産業を興していきたいですね。
さらに現在、3年前に台風の被害に遭ったフィリピンのレイテ島で、ココナッツだけではない産業支援にも取り組んでいます。
‐海外の話が中心になりましたが、日本では今後どのようなことに取り組みたいと考えていますか?
食生活に対する心配ごと、世界中の食から怖いことをなくす、食べることをもっと伝えていきたいです。
7月に初めてカフェをオープンするんですが、そこではそういうことをやって、食べることを考える場所にしたいです。
場所があれば、オイル、シュガーなどの量り売りもできますよね。そんなお店が増えることで、ゴミ山の根本、流通で生まれるゴミも減ります。
‐原点であるスモーキーマウンテンにつながりましたね。
やっぱり、あの問題を解決するためには、流通も変えなくてはいけないんです。だんだんそんなお店が出てきつつありますし、自分も関わっていきたいですね。