「東京に行かないと、何もできない」

思春期を迎えてから上京するまで、私はずっとそう思っていた。

きっかけは「好きな芸能人が出ているテレビ番組が東京でしか放送していない」という単純なものだったが、大人になって就職活動をしたときも、東京と大阪で求人数に歴然とした差があり驚いた。「日本第二の都市」と言われる大阪でさえそうなのだから、首都圏や関西以外の人たちはもっと大変だろうなと感じていた。

しかし、時代は変わりつつあるように思う。インターネットは進化し続け、将来的に東京一極集中が続けば、消える地方都市もあるのではないかと懸念する声を耳にするようになった。

30年後には人口が激減し、将来的になくなるかも知れない地域もある中、どうすれば地方が元気になっていくのだろうか。個々がそれを考える機会も増えるなか、地元の住民が元気になるように動いている自治体の一つが、熊本県合志市だ。2020年9月時点での人口は62,958人。平成18年2月の合併後 、子育て支援策や相談体制の充実により、東洋経済新報社の「住みよさランキング」では2年連続の九州1位となった。現在、九州では珍しく若い世代の住民や転入が増えている。

そんな合志市は、2015年、地方都市では珍しい新たな取り組みを始めた。映像クリエイターを育成する『合志市クリエイター塾』が始まったのだ。

映像制作が未経験であっても受講でき、映像クリエイターとして即戦力になれるような講義に参加できる同塾。カリキュラムはその年のニーズに応じて毎年変わっているが、今年を例に挙げると期間は9月から12月までの4ヶ月間、実際にプロの現場を見学したり、少人数の班に分かれて企業のプロモーション映像を作ったりする講義がある。

合志市クリエイター塾はどのような願いから始まり、日本の未来に何を残していくのだろうか。3回にわたり、運営者、講師、修了生を取材した。

第1回目である今回は、合志市役所に勤務する境真奈美さんと、合志市クリエイター塾のプロデューサーで株式会社ロボット所属の栁井研さんに、合志市クリエイター塾が始まったきっかけと、この取り組みが合志市という自治体にもたらすものについて話を聞いた。

若林 理央
読書が好きなフリーライター。大阪に生まれ育ち2010年に上京。幼少期からマジョリティ・マイノリティ両方の側面を持つ自分という存在を不思議に思っていた。2013年からライターとして活動開始。取材記事やコラムの執筆を通し「生き方の多様性」について考えるようになる。現在は文筆業のかたわら都内の日本語学校で外国人に日本語を教えている。

個性と個性を掛け合わせ、新しい産業が生まれる

合志市の特徴の一つは農業である。当初、合志市の荒木義行市長は「半農半アニメ」をスローガンにし、「農業に携わる人たちが、農業だけでなく映像も使って合志市の魅力を発信してくれれば」と考えていたという。

しかし、荒木市長の中でだんだんと、農業に限らずたくさんの人々に、合志市の新しい産業を生み出してほしいという気持ちが膨らんでいった。その願いのとおり、現在の合志市クリエイター塾には「地方都市で映像制作をビジネスにし、活躍する映像クリエイターを生み出す」狙いがある。

とはいえ、「クリエイター」というといろいろな職業が思い浮かぶ。どうして映像に特化しているのか、という問いに境さんはこう答えた。

境さん「クリエイティブなものの中でも、映像は視覚・聴覚両方にうったえられます。たくさんの情報量を迅速に吸収できるツールでもあるし、地域から発信することを考えたときに最適だと思いました」

もうひとつ気になるのは、合志市クリエイター塾が掲げる「発信力を学ぶ」というテーマ。塾生は映像技術だけでなく、企画の立て方や広告の出し方など「発信すること」自体を学ぶ。

境さん「自治体の講座で発信力を学ぶという観点は、今まであまりないものだったんです。地方の魅力を伝えるためには発信力が大切だと考えています」

合志市のそんな願いを共有しているのは、映像制作を担当する企業、株式会社ロボットである。合志市クリエイター塾の開講を決めた後、合志市は映画『ALWAYS 三丁目の夕日』シリーズなどを制作している企業ROBOTに連絡し、合志市クリエイター塾の運営を依頼した。

ROBOTのオフィスは東京にある。合志市クリエイター塾を通して初めて熊本と関わるようになったプロデューサーの栁井さんは、やりがいと共に地域で“市民クリエイター”を育てる難しさを感じた。

栁井さん「熊本にとって、合志市にとって必要なものは何か探しながら試行錯誤を重ねました。私たちROBOTの社員は東京のクリエイターなので、熊本でクリエイターを続けていかられるのはどういう人なのか模索していく必要がありましたね」

こうして2015年に開講した合志市クリエイター塾は、今年(2020年)6期目となった。今年度の塾生たちは9月から12月まで、合志市で映像制作を学ぶ。都心からカメラマン、ユーチューバー、編集者などが訪れ、「発信力」という観点から講師となり塾生に教えるのだ。

期を重ねるごとに合志市クリエイター塾の評判は広がり、今期の受講希望者数は過去最多となった。

年齢や住んでいる場所を超えたつながり

合志市クリエイター塾がもう一つ力を注いでいるのは、「人と人とのつながり」である。

境さん「都心ではなく地方の小さな自治体だからこそ、塾生同士のネットワーク構築が新たな産業の誕生につながります」

私個人としては映像クリエイターという仕事に先入観があった。映像はどんどんと新しいものにアップデートされるので、新しく映像業界に入ろうとする人は若い人でなければならないのでは、というものである。

しかし、合志市クリエイター塾の募集要項を見ると年齢の条件は「中学生以上」だけだ。合志市は若い世代も増えているので、年齢制限をほぼ設けていないのは意外だった。

境さん「塾生の才能と才能を掛け合わせて何か生まれればいいなと思っていたので、年齢で区切ることはしませんでした。今まででいちばん若かったのは中学1年生、いちばん年上だったのは68歳の方ですね」

境さんの願いどおり、実際に講座を開講してみると、塾生の世代がさまざまであるからこそ化学反応が生まれたと栁井さんは語る。

栁井さん「中学生の方はもともと趣味で動画編集をしていて、同期の最年長の方と話している姿をよく目にしました。世代を超えてお互いに情報共有している印象です。多種多様な人がつながることは、映像制作に必要な”自分らしさ””その人らしさ”に気づくきっかけにもなっていますね」

境さん「世代だけではなく、合志市クリエイター塾は合志市外の塾生もいますよね。熊本県内外から人が集まることで、さらにお互いにとって刺激的なものになっているのかもしれません」

詳しく聞くと、福岡県や鹿児島県から二時間以上かけて通う人もいるそうだ。いろいろな世代、職種、場所から人が集まり、新たなものが生まれる。

栁井さん「合志市クリエイター塾で大事にしているのは”自分らしさ”を出してもらうことです。話したいことが同じ内容でも、伝わる言い方はそれぞれ異なりますよね。創作物にはこれまでの経験やふだんしている仕事、いつもの振る舞いが出ます。多種多様な人たちがクリエイターをする面白さはそこにあります」

もちろん、最初は自分らしさが何かわからない塾生も人が多い。講師や他の人の手法をまねる形で映像制作を始める人もいるという。

栁井さん「学んでいくうちに”自分らしさってこれだな”と気づけた人は評価を受けるし、活動の幅も広がっていますね」

伝わる距離は半径5キロでもいい

合志市クリエイター塾は、私のもう一つの先入観も砕いた。「映像制作は都内で学んだほうが仕事につながるのではないか」というものだ。

栁井さん「たしかにチャンスの数は東京が多いし、収入の額も違いますね。しかし、合志市クリエイター塾は、地域にいながら映像を仕事にできる人を育成する場所です。そのためには、都内の映像クリエイターのノウハウをそのまま共有するだけではいけないと思っています」

地方で映像クリエイターになる魅力とは何なのだろうか。

栁井さん「地方の強みは、広い規模ではなく、”半径5キロに伝えたいこと”を自由に制作できる点です。全国放送のようなものは作らなくてもいいんです。すごく個人的なものが面白かったりもする」

半径5キロ。印象に残る言葉だ。

期を重ねるごとに、運営側はさまざまな個性を持った塾生に出会う。塾生に共通するモチベーションは「映像で食べていきたい」というものかと思いきや、そうとは限らないらしい。

栁井さん「原動力はいろいろです。例えば『子どもがごはんを食べないから、食べてもらえるような映像を作りたい』という人がいました。それを聞いて、いいなと思ったんです。お母さんの映像制作によってお子さんがごはんを食べるようになったら、それはすごく価値のあることではないでしょうか」

世界、日本、自治体、コミュニティ、家庭。映像が届く範囲が広いから価値がある、狭いから価値がないという話ではない。狭いからこそ、密接に伝えられるクリエイティブもあるのだ。

「ここが地元で良かった」と思える場所になれるように

合志市クリエイター塾は、年度によってテーマやカリキュラムを変えている。理由は時代と共に映像クリエイターに必要とされるものが変わっているからだ。

境さん「6期目にあたる今年度は、映像を通したWEB集客で予約や注文を受けることに着目しています」

WEB集客に視野を広げた理由は、やはり今年世界を襲ったコロナ禍にある。

栁井さん「新型コロナウイルスによって、多くの事業体がデジタル化する必要に迫られました。映像を作る人もデジタル化、即ち非接触化をゴールにして自分がどうすれば活躍できるのかを目指す必要があります」

毎年、映像クリエイターに対してのニーズを予想し即戦力となる人材を育てる。コロナ禍でも、合志市は新たな産業を生み出すことを決して諦めない。

境さん「個人の新しい分野での活躍が、地域に対してだけではなく社会に対してもプラスになると思っています。たくさんの人が集まれば集まるほど、才能が集結して地域でのネットワークが広がっていく。今後もアップデートしながら合志市クリエイター塾を続けていきたいですね」

運営側であるお二人は、現在だけではなく未来も見据えている。

栁井さん「別の地域で仕事をしたときに、子どもたちが感想に”ここに住んでいて良かった”と書いてくれたことがあるんです。地元の人が、自分の住んでいるところの良さを再発見すること。それが合志市クリエイター塾のゴールでもあり、地方創生でいちばん大切なことだと感じています」

合志市クリエイター塾では、それぞれの塾生が持っている「何か」を題材に、映像を通して情報を集める作業をする。それは、おのずと地元について考えることにもつながっている。

栁井さん「地元を再発見していく中で、合志市っていいなと思ってもらえる流れを作りたいですね」

栁井さんがそう言うと、境さんも強くうなずいた。「いいな」と思ってもらえる流れ。きっとそれは、自治体の未来に「この街で何かをしたい」という思いをつなげ、市民が活躍するための土台を築くはずだ。

運営側の熱い想いによって生まれた合志市クリエイター塾。その想いを実現させる人々の中で欠かせないのが、講師陣である。実際に塾生に映像を教えるなかで、講師は彼らの変化をどのように感じ取っているのか気になった。

次回の記事では、合志市クリエイター塾で講師をしているROBOTの清水亮司さんに話を聞き、地域でクリエイターを生み出すことの価値を深掘りしていきたい。