「ディー・ディー・ブリッジウォーターですね」

スリランカからオーガニック食品と環境に優しい商品の輸入事業をおこなう吉行麻里子さん。彼女に「人生に影響を与えた人」を聞くと、あるジャズシンガーの名前が返ってきた。

ディー・ディー・ブリッジウォーター(Dee Dee Bridgewater)は、1950年代アメリカ出身の女性歌手で、ミュージカルなどでも数々の賞を受賞。1990年以降にもっとも活躍したジャズシンガーのひとりとも言われている。

その歌声はもちろんのことながら、吉行さんに影響を与えたのは彼女の生き方だった。ディー・ディー・ブリッジウォーターは、歌手活動のかたわらで国際協力活動を続けており、国際連合食糧農業機関(FAO)の大使も務める。吉行さんの口からは、他にも寄付や慈善活動をしていた歌手の名前が次々と挙がった。

「エイズの問題、黒人差別や人権問題、そして環境の問題があること。心を痛めながらも、解決に向けて取り組む人たちがいることを、私は音楽を通じて知ったんです」

吉行さんは今、スリランカ人のパートナーとともに、地球環境に優しい日用品やオーガニック食品を輸入し、日本で販売している。音楽が開いてくれた道が、彼女をどうやってここまで連れてきたのか、道のりを聞いた。

ウィルソン 麻菜
1990年東京都生まれ。製造業や野菜販売の仕事を経て「もっと使う人・食べる人に、作る人のことを知ってほしい」という思いから、主に作り手や物の向こうにいる人に取材・発信している。刺繍と着物、食べること、そしてインドが好き。

歌うことから食べること、そして環境問題へ

音楽との出会いは、小学生のとき。合唱団がきっかけで歌うことの虜になり、高校時代にはバンドでボーカルを務めた。もちろん将来の夢は、歌手として活動すること。そして音楽と同じくらい、食べることが好きだったと吉行さんは言う。母の出身が新潟で、自分の食べるものは自分で作っていたり、畑や食が身近にあったことを振り返った。

食と音楽、両方を勉強すると決めて進学したのが東京農業大学。大学では国際学部に入り世界の食環境や流通など幅広く学び、大学の外ではボーカリストのスクールに通った。

「徐々に、歌手を本業にするのは難しいだろうなってわかってきました。でも、歌うことが好きだから、お金を稼がなくても歌い続けようと思ったんです。おばあちゃんになるまで歌い続けられる、歌声と身体を持っていたいと思うようになりました」

歌うことは続けながらも、食を生み出す農業への関心も高まっていった頃、大学の授業で学んだ内容に衝撃を受けた。大洪水に巻き込まれて、東南アジアの家々が流されている映像だった。

「環境問題と貧困問題はセットになっていて、貧困の国ほど環境被害に遭っているというのが衝撃でした。環境問題から引き起こされる洪水も、途上国のほうが大きな被害になりやすい。さらに、日本はプラスチックゴミを途上国に輸出していることも知り、食から環境問題へも関心を持つようになりました」

国際学部という環境で、東南アジアを中心とした留学生と過ごすことも多かった吉行さんにとっては、自分ごとにもなった世界のつらい現実。そのときに教授が言った「農業で解決できることもたくさんある」という言葉が、なぜかずっと忘れられなかった。

農業で解決できることを、“販売”を通じて伝えたい

卒業後は輸入食品会社やレストランで働きながら、食のなかでもオーガニック食品についての知見を深めていった。実際に農場で働く経験も経て、過去の教授の言葉が実感をともなって返ってきたという。

「『農業で解決できること』と言われても、その時はあまり理解していなかったと思います。でも、大人になってからオーガニック食品や農業について学んでいくなかで、人間だけでなく動物や虫も含めたみんなで生きていく方法が農業にはあるのかもしれない、と思ったんですよね」

どこかの国や、他の生き物が犠牲になることなく、“みんなで”生きていくオーガニック農法に可能性を感じつつ、実際の農業がどれだけ大変な仕事かを身にしみて感じたのもこの頃だ。

「輸入食品会社で働いている時に、北海道のワイン畑を1年間、担当したんです。それまで農業について勉強はしてきましたが、実際に畑仕事に直面したら本当に大変な仕事だと改めて思いましたね。休みはないし、力仕事だし、もちろん台風でもやるわけで。それまで『いただきます』っていう言葉は、植物や動物の命をいただくということだと思っていましたが、作っている農家さんも命懸けだ!と、言葉にこめる意味合いが変わりました」

自分で手を動かし汗水垂らしてやってみたからこそ、「自分が世界のためにできることを深く考える」ことが一気に自分ごとになった。なるべくオーガニックの食材を食べ、プラスチックを減らす生活を心がけるように。大学時代に幅広く勉強した、農家からお客さんに届くまでの流通を思い出しながら、この『いただきます』を伝えることが世界を動かすのではないか、という想いが芽生え始めた。

「私ができることは、やっぱり販売だと思ったんですね。それまで15年以上、輸入食品の販売をしていたので、売ることに関しては自分はプロだと。命をかけて作っている方々がいるなら、彼らの作った物を売る側に回ろうと思いました」

「できるのに、どうしてやらないの?」

いつか自分でビジネスを立ち上げることも視野にいれ、修行のつもりでがむしゃらに働いた吉行さん。そんな彼女が体調を崩して倒れたのは、2020年の春だった。働きすぎによる過労と、コロナ禍でのプレッシャー。精神も身体も、限界だったと振り返る。スリランカ人のパートナー、プラサード・ダサヤーナカさんの忠告を無視して、がむしゃらに働き続けた結果だった。

「彼は『3回は忠告したよ』って言ってました。そんなに働かないで、もう辞めてって言っていたみたいです。当時は、責任感や使命感に燃えていたので『あなたに何が分かるの』とすら思っていました」

体調を崩したあとも転職するつもりはなく、休職したら元の職場に戻るつもりだったという。しかし、プラサードさんにかけられた言葉が、吉行さんの気持ちを大きく変えた。

「『どうして自分でやらないの?』って言ったんです。そんなに一生懸命になるなら、自分の会社を作って、自分のために仕事をしたほうがいいって。スリランカ人の彼からしたら、日本には何でもあって、自分のやりたいことで起業することも、自分のペースで働くこともできるはずなのに、なぜやらないんだって言われました」

スリランカからきたプラサードさんだからこその視点に、ハッとさせられた。慈善活動をするジャズシンガーに憧れて、大学時代に環境問題に心を痛めた日から、15年が経っていた。自分が本当にやりたいことはなんなのだろうか、と。

そのまま、吉行さんは仕事を辞めた。

「自分ごと」になったスリランカ

何がしたいのかを考えたときに、やはりキーワードは食とオーガニックだった。環境の負担にならないものを広めたいと考えるなかで、ふと思い浮かんだのはプラサードさんの母国、スリランカの暮らしだった。

「以前からずっと食やオーガニック農業については勉強し続けていたので、ふとスリランカってどうなんだろうと思って調べたんですよ。そうしたら、北海道よりも小さな国にもかかわらず、オーガニック農地の割合が、当時の日本の0.1%に対して、スリランカは2.8%もあったことに驚きました。これは認証を取っている畑の面積なので、実際はもっと多いと思います。さらに調べていって、とても豊かな国だと分かってきたんです」

自身とプラサードさんの名前を合わせた『M DASANAYAKA』を起業し、スリランカで作られた良いものを日本に届ける。輸入業を始めるまで、時間はかからなかった。

ひとつめの商品であるココナッツブラシは、『地球に還るココナッツブラシ』と名付けられ、プラスチックフリーで埋めれば土に還る生分解性の原材料を使っている。また、国や地域によっては訓練した猿にココナッツを収穫させるために動物愛護の観点から問題視されているが、『地球に還るココナッツブラシ』は、そういった背景のないものを、夫婦で探し出した。

この秋に新しく仕入れ始めた紅茶も、妥協せずに生産者を探したという。

「有機農法を取り入れているだけではなく、農家さんの考え方がすばらしいなと共感したんです。そこでは、『地球上のあらゆる小さな命も守っていく』と決めて農薬や化学肥料を使わないことを選んでいます。堆肥造りや動物との共存にも取り組んでいる人たちです」

生産者の想いを汲み取り、吉行さんも商品にする際に細部にまでこだわった。ティーバッグまで生分解性のとうもろこしを原料に作られたものを採用したという。

また基本的に卸業に専念するのも、オンラインショップで個別に配送するよりも、一度に各地域に送った方が環境負荷が少ないからという徹底ぶりだ。

もちろん、スリランカに関わるほどに課題も多く見えてきた。吉行さんが特に心を痛めているのは、子どもや女性への教育と機会が奪われていること。各商品のうち10円はスリランカの子どもや女性たちへの寄付につながる仕組みを取り入れた。まとまった金額になったら文房具を、現地の孤児院や協力団体に寄付する予定だ。

「『女性は家にいる』という文化が根付いている国なので、女の子は学校に行けなかったり、仕事をする機会がなかったりするんですね。自立支援と言ったら言葉が大きいですけど、彼女たちがやりたいことができる環境を少しでも作れたらいいなと考えています」

自身がパートナーにかけられた「やりたいことを」という言葉。今度は吉行さん自身が、そのバトンをスリランカの女性たちに渡そうとしているのかもしれない。

これから、少しずつ仕入れ先や商品を増やしたり、現地のデザイナーとパッケージを作ったり、顔の見える関係を広げていきたいという。

「輸送の問題などもあるので、本当に環境のことを考えたら、国内の生産者を応援した方がいいのかもしれません。けど、私はやっぱり彼と結婚したから。彼の国で困っている人がたくさんいることを知っちゃったのに、見て見ぬふりはできないんですよね。スリランカの人たちが作った良いものを輸入することで、彼らもちゃんと生活ができるようになるなら、やり続けたいと思っています」

吉行さんにとって、スリランカはもう「第二のホーム」。日本の人が環境や身体にいい選択をするたびに、スリランカの人々にとっても良い社会をつくる循環を作ろうとしている。

自分の軸を持って、学び、選択すること

インスタグラムなどの発信でも、吉行さんからは「私はこうしています」という言葉が目立つ。「だから、あなたも」「環境のために」とは言わずに、自分なりの“軸”を見せることで選択肢を提示しているようにも見える。

「環境にいいから使わなきゃって窮屈で、きっと長続きしないと思います。『このブラシを使わないと水が汚れちゃう』ではなく、『洗剤なしで綺麗になって、丈夫だから買い替えなくていいのが便利!』で使ってもらいたい。そうやって自分が楽しくて選んだものが、環境の良さにつながっていたら嬉しいですよね。環境のことって、ずっと続いていかなかったら意味がないですから」

どうしてこんなにも真っ直ぐに、自分がいいと思った世界に向かって進めるのだろうか。そう聞いてみると、「すごく冷たい言い方に聞こえるかもしれないんですが」と前置きした上で、想いを話してくれた。

「あくまで私が好きでやっていることなんですよね。私はオーガニックの食品を食べたり、プラスチックフリーの生活をすることを好きでやっている。スリランカの良いものを日本に伝えて、それを彼らに還元したくてやっている。だから、みんなそれぞれ“自分ごと”で生きていいんじゃないかって思います。そうやって自分軸で生きていることで、誰かに影響を与えることができるような気がしています」

その言葉を聞いて、私が思い浮かべたのは、ディー・ディー・ブリッジウォーターを始めとしたミュージシャンたちだった。ずっと歌い続けられる健やかな身体と、豊かな社会を目指して。彼女たちの“軸”に影響を受けた吉行さんもまた、自分が「こうであってほしい」という未来に向かって突き進んでいる。