「夫婦は必ず同じ名字にしなければならない」

日本でこの価値観が生まれたのは、明治31年(1898年)、「家制度」と「夫婦同氏制」が定められたときだ。

「家制度」(「家」は家長とその家族によって構成するものである、という制度)は第二次世界大戦終戦後、廃止された。それにも関わらず、「結婚で相手の家に入る」「嫁に行く」という言葉にも表れているように、家制度の名残りは今も残っていて、夫婦別氏は現在も認められていない。

「夫婦が同じ名字で生きること」が自然な流れの時代もあったのかも知れない。しかし、個々の人生や家族の在り方が多様化する現在はどうだろうか。個々の人生に大きく関わる「名字」を選び、自分らしく生きていきたい。「選択的夫婦別姓」を求める声に込められた、そんな想いを実現させるためは、約120年間続いた常識をくつがえす新しい価値観が必要である。

選択夫婦別姓座談会に参加した70seedsの5人は、さまざまな理由で名字を変える経験をしてきた。前回の名字の話に引き続き、「名字変更」に対するそれぞれの思いを聞いてみた。

「今までの名字のままでいるか、配偶者の名字に変えるのか」

そんな「選択」ができたなら、私たちの生き方はどう変化するのだろう。話が深まるにつれて、選択的夫婦別姓制度によって私たちの人生に何がもたらされるのかが、より明確になっていった。

若林 理央
読書が好きなフリーライター。大阪に生まれ育ち2010年に上京。幼少期からマジョリティ・マイノリティ両方の側面を持つ自分という存在を不思議に思っていた。2013年からライターとして活動開始。取材記事やコラムの執筆を通し「生き方の多様性」について考えるようになる。現在は文筆業のかたわら都内の日本語学校で外国人に日本語を教えている。

その負担は、当たり前のもの?

「名字を変えるにあたっては煩雑な手続きが必要です。それを『女性はその苦労を背負って当然』と、無意識のうちに思っている人が男女ともに多いですよね」

和久井さんの以前のパートナーは「自分は男性だし、名字を変えないのが当たり前」という価値観の持ち主だったという。何もかも男女で区分することに和久井さんは違和感があり、それが離婚の理由の一つになった。

「性別によって『こうしなければならない』と強制されることは、多様性が尊重される今の時代に合っていません。それなのに、女性が名字を変えて当然という150年も前からの考え方は、現在も色濃く残っています」

私(若林)は最初に結婚したとき、「結婚して男性側の名字になること」がなんとなく嬉しかった。しかし離婚・再婚を経て、人生の局面を迎えるたびに名字を変える手続きをしなければならないことが面倒だと思うようになった。

「私は三人姉妹で従姉妹も全員女性です。親族は私の妹たちや従姉妹が結婚したら名字がなくなることを、当然のこととして受け入れていました。私も最初は抵抗感がなかったのですが、名字を変える手続きって本当に大変なんですよ。だんだんと女性側だけがその負担を強いられるのが当たり前だという考え方は、おかしいと思うようになりました」

井上拓美さんのように、結婚して男性側が名字を変えることに抵抗感がない男性のほうが少ないのではないだろうか。井上さんは「結婚前に名字について相談することが、になれば良いのに」と述べた。

「僕と妻は二週間に一回、家族会議の時間を作っています。同じように名字についても、結婚前に夫婦で相談できれば良いですよね。夫側が妻の名字に変える選択肢があることも当たり前になり、夫婦で『これから、どちらの名字で生きていこうか』と話し合っておく。選択的夫婦別姓制度が可決されれば、そこに『夫婦で別々の名字にする』という選択肢が増えます」

変えることを「選べた」人たち

夫婦での話し合いの末に配偶者の名字に変更した井上さんは、名字を変えてよかったと言う。

「僕にとって妻の名字に変えることは、義実家の家族と仲良くなる覚悟を決めることでもありました。価値観の違いを感じたときは、自分の中で『どうして違和感があるのだろう。この違和感が、耐えられないほど大きいものになったらどうしたらいいかな』と考えるきっかけも得られました」

結婚前は「合わない人とは一緒にいなくても良い」と、ストレスフリーな生き方をしてきたという明石さん。配偶者の名字になることによって、配偶者の家族との向き合い、悩んだり喜んだりできるようになったことは大きな変化だった。それは井上さんにとって嬉しいことだったそうだ。

「でも、それは仕方なく名字を変えて苦労している人、多くは女性たちが、今まさに向き合っている苦しみでもありますよね」

そう切り返したのは、同様に名字を変えた男性である岡山さんだ。

「ぼく自身も、名字を変えることで母方の実家の願いを受け入れることができ良かったと思っています。でも、それは自分自身で名字を変えることを決められたからです。

一方で、結婚したことで『結婚相手の家の価値観に合わせろ』と強制されている人もいます。それは大抵、名字を変えた側です。明石くんのように自分で考えて選べた人と、配偶者の名字にするよう強制されている人は分類して考えたほうが良いかも知れません」

井上さんもそれを聞き、うなずいた。

「みんながハッピーになれる方法を模索していきたいですよね。そのために、選択肢を持つことは不可欠だと思います」

座談会メンバーで唯一、配偶者と別々の名字にするという形も選ぶことができたにもかかわらず、あえて手続きをして、外国人の配偶者と同じ名字にすることを選んだウィルソンさん。「選択肢を持つことで、ハッピーな生き方を選べた」という点で、明石さんと共通している。

「『一緒に生きていくときに、どうするのがいちばん幸せかな』と夫婦で考えた結果、同じ名字にするのが良いと思ったんです。「結婚をする・しない」「子どもを作る・作らない」みたいに、私たちには「名字を変える・変えない」という選択肢があったことで、いちばん幸せだと感じられる夫婦の形に近づけたと思っています」

自分自身で生き方を選びたい

変えたくないのに選択の余地がなかった人と、自分の意志で名字を変えられた人がいる。納得して自分の人生を生きようと思ったとき、そこには大きな差があるような気がしてならない。

名字を変えることは、個々の生き方に大きく関わる。そんな大きな決断を、誰にも強制されず自ら選べるようになれば、私たちの生き方の幅や満足感は大きく広がるのではないだろうか。

和久井さんは「待っていても何も変わらない」と言った。今回の座談会にしてもそうだ。私たちは自らの経験をもとに意見交換することで、選択的夫婦別姓制度が自分や大切な人の人生にどう影響するのか考えることができた。

120年の時を経て求められる「名字を選ぶ」という新しい「当たり前」。それは、どうすれば私たちが生きる現代社会に受け入れられていくのだろう。

第3回では選択的夫婦別姓制度の先にある未来について改めて考えていきたい。