みなさんは腕時計をしているだろうか。

私は就活などのピシっとしなければいけないとき以外は、腕時計をつけることはない。普段、時間を確認するだけならスマホで充分だ。

高級時計や有名ブランドの腕時計を身につける人は、自身の社会的なステータスを表現するため、もしくはファッションのためにつけているだけだと思っていた。

しかしある日、偶然インターネットで篠原康治さんの腕時計に出会い、それまでのイメージが吹き飛ばされた。

徳永ヒロキ
早稲田大学4年生(休学中)。「あなたの世界観を変えるクリエイターを」をテーマに、取材記事を執筆しています。

「こんなのアリ?」と思った。まるでSFアニメから出てきたかのような、強烈な存在感のある時計。ファッションのアイテムとしては個性的過ぎる佇まいに、とても惹かれた。

 

この不思議な腕時計を作った人の背景には、どんな世界観があるのか。そして、その人自身が思う“良い腕時計”はどのようなものなのか。時計作家、篠原さんの工房に伺って、話をきいた。

 

はじめての手作り腕時計

篠原さんと腕時計との出会いは、中学生時代にさかのぼる。おじいさんから初めてアンティークの腕時計をもらった篠原さんは、腕時計の裏蓋をあけて、中の部品を眺めているのが楽しかったという。

「電池が入っていないのになんで動いているんだろうって不思議だったんですよ」

 

大学卒業後は「海外のブランド時計を輸入したい」と商社に就職。世界的にも大きな腕時計の生産地である香港を担当する部署に配属された篠原さんは、香港へ出張するたびに腕時計を買い集めていた。

 

ある日の商談後、併設された腕時計工場を見せてもらえることになった。世界的な腕時計生産地である香港の時計工場である。どれほどの規模なのだろうと篠原さんは想像をふくらませていた。しかし、工場についた篠原さんを待っていたのは、小さな部屋で数名が細々と手作りで腕時計を作っている姿であった。

 

「こんなふうに人の手で作られているんだって衝撃でしたよ。大きな設備がいらないなら、僕にも作れるんじゃないかって思ったんです」

 

その工場見学を機に、篠原さんは自身でも腕時計作りの勉強を始めた。香港で作り方を学んでは日本で作る日々。修行を重ねた篠原さんは、ついに商社を辞め、1人で腕時計の製作・販売をやってみることにした。

 

製作を始めてからしばらくの間は、香港で学んだような既製部品を組み合わせるだけの“組み立て”腕時計を作って販売していた。しかし次第に「香港と同じことを1人でやってても仕方ない。せっかくだから部品から手作りで時計を作ってみよう」と思うようになった。

 

独自でデザインや設計をし、既製品と自作の部品を組み合わせてつくる“手作り”腕時計は、完成させるまでに、5年を要したという。

 

それが篠原さんの初めての手作り腕時計、ペーパークラフトウォッチだ。なんと、紙でできた腕時計である。腕時計のエンジンであるムーブメントや、フロントレンズ以外は紙でできていて、電池交換も可能だというから驚きだ。どうしてこのような時計を作ろうと思ったのだろう。当時を振り返って篠原さんは語る。

 

僕は香港で教わって以来、自己流で時計を作っていました。だから金属を彫ったりつなげたりするような、専門的な技術がありませんでした。そんな状況で、どうやって手作りで腕時計を作ろうかと考えて、思いついたのが紙だったんです。

 

紙は簡単にのりでつくから扱いやすいんだけれども、ネックになったのはやっぱり強度でしたね。1年以上の試行錯誤をかさねて、最終的にはトイレットペーパーの芯を貼り合わせたものに樹脂と硬化剤を流し込むことで、耐水性と強度を出すことができました。

 

完成したペーパークラフトウォッチを、銀座の松屋でおこなわれていた時計博に出品したところ、即完売。メディアに多く取り上げられ、大きな反響を生んだ。

 

初めての手作り腕時計の成功から、篠原さんは自身を“時計職人”ではなく“時計作家”と称するようになった。その後、篠原さんは金属をはじめとしたあらゆる素材の扱いかたを学び、腕時計を舞台として自身の美意識や世界観を存分に発揮していくことになる。

ディストピアは美しい

篠原さんの作品のひとつである“DOGUMA”には、篠原さんの世界観が最も強く表れている。真鍮が鈍い光を放ち、無機質で退廃的な雰囲気をただよわせる腕時計は、さびれた機械を連想させる。そのなかでも、どことなく温かさや懐かしさ、気品を感じさせるようでもあり、その重厚な世界観に吸い込まれそうになる。

 

この不思議な世界観は、どのようにしてうまれているのか。

 

僕が作品を作るとき、メカやロボットが描かれたアニメ、画集を参考にすることがあります。なかでも、“ディストピア”を舞台にしている作品が多いんですよ。

 

ディストピア。篠原さんの発したその聞き慣れない言葉は、理想郷=ユートピアの正反対の社会を意味する。

 

16世紀以降のヨーロッパ諸国では、理性が統制する社会をユートピアと定義して非合理だと思われるものを排除してきた。その結果、ソ連やナチスドイツなどの全体主義国家が台頭してきてしまったという歴史がある。

 

理想的な社会を作ろうとした結果、閉塞した全体主義国家へ陥ったこと。その批判として、当時の映画や小説では、理想郷の反対を表す“ディストピア”と表現されてきたのだ。

 

現代においてディストピアは、SF作品に登場するる世界観でもある。それは、人間同士の争いによって世界が荒廃したのち、管理体制がしかれて公然の格差や自由の制限があたりまえになっているような、空想上の世界を舞台に描かれる作品である。

 

一度地球が崩壊して、人間の欲望とかいろいろなものがぶつかりあっているところに、魅力を感じます。美しいことよりも、おぞましい方が“本当っぽい”というかな。

 

見かけの美しさではなく、人々のおぞましい部分が混じった”本当”があるディストピア。篠原さんの腕時計も見た目の優美さは見られないが、飾りが少ないことによってむしろ作品の複雑で退廃的な姿が、直接感じられる。

 

人間的で、欲望あふれるおぞましいものにこそ真の実在性を感じ、美しいと感じる篠原さんは、空想上の存在であるディストピアを現代の“廃墟”に重ねあわせる。

 

廃墟は、人間が活動するために建物を造って、あるとき必要なくなって見捨てられたもの。人間の欲望や身勝手さがすべてそこにあると思います。廃墟を見ることは、人間を見ること、自分自身を見ることでもあると思いますね。

 

複雑で、不純で、人間の欲望あふれる廃墟。それと同じものが“DOGUMA”からも感じられる。“DOGUMA”を見つめるとき、私はその背後にある廃墟、ディストピアを連想せずにはいられない。

 

篠原さんの話を聞いたあとだと、腕時計がそれを身につける人を試しているように見える。「私の持つ世界観を、あなたはどう解釈する?」と。その問いに答えることが、自分自身を見ることなのだろうと思う。

良い時計をしている人は、良い時間をすごしている

「腕時計」とひとくくりに言っても、100円の時計もあれば億越えの時計もある。デザインも、実用性を極めたものから見た目重視のものなどさまざまだ。

 

時間の確認や自己表現など、腕時計をつける目的も人によって異なるが、篠原さんの考える“良い時計”とは、どのようなものなのか。

 

僕は、時計の値段が高ければ高いほど良いとは思っていないんです。高級腕時計を自慢げに見せびらかしている人は、本当にそれが好きでつけているのか疑問ですね。

 

<よく腕時計の宣伝で“ステータス”という言葉が使われる。それは言い換えれば、モノを利用して自分の財力を第三者に知らしめるということです。そういうことは非常に卑しい行為だと僕は思います。自分が気に入ったもの、好きなもの。その人の感性に合う時計こそ、“良い時計”なのではないでしょうか。

 

“良い時計”とは、その人の感性にあう時計。

 

良い時計をしている人は、絶対に良い時間を過ごしているということを、僕は確信しているんです。ネクタイなどの他の装身具と腕時計の決定的な違いは、“見る必然性”があることです。

 

時間を確認するために、時計を見る。その行為自体では1秒もかからないかもしれないけれど、それを積み重ねると1日3分、5分、長ければ10分になることもある。それが一週間では数十分から1時間ほどずっと腕時計を見続けるのと、同じ長さになる。

 

1ヶ月、半年、1年となると、美術館で1日中好きな美術品を観賞するくらいの時間になるはずなんですよ。そういった美術館での時間は、自分の好きなものの世界観に抱き込まれてリラックスできる、とても良い時間だと僕は思います。

 

美術品のように深みのある“良い時計”を身につければ、時間を確認する動作の積み重ねは、美術品を観賞するのと同じように充実した良い時間になっているはずです。だから僕は、良い時計をしている人は絶対に良い時間を過ごしている、と確信をしているのです。

 

時計を見るたった一秒の積み重ねが、幸せな時間になる。そんな考えを持って、時計を見ている人はどのくらいいるだろう。

 

高級な時計でも、100円ショップで買える安いものでもいい。それよりも、作品の世界観に引き込まれて、そのなかにどっぷりと浸かることができるような時計をつけている人は、すばらしい時間を過ごしていると思うんだよね。

 

作家の仕事は”時代を切り取る”こと

篠原さんが自身を時計“職人”ではなく、時計“作家”と称する理由を聞いてみた。

 

僕にとって作家は“時代を切り取る”人。時代を切り取って、作品をとおして同時代に生きる人々のために「今、あなたたちがピンと来るのはこれでしょ」と提示して見せるのが作家の仕事だと思っています。

 

テクノロジーの発達など、世の中が大きく変化し続けている現代。人々が魅力を感じるものも変わってきていると篠原さんは語る。

 

SFのサブジャンルのなかに「サイバーパンク」と呼ばれるものがあります。これは人の脳と機械の情報処理が融合した社会のことなんです。僕はこれからの時代、このサイバーパンクの時代になっていくと思っているんですよ。“人間らしさ”がないものばかりの時代にね。

 

人工知能や自動運転もそう。世の中は人間らしさが少ないほうへ行こうとしているでしょ。そして僕は、それに魅力を感じるようになってきてる。だからこの時代の流れに合わせて、今度は人間らしさの少ないサイバーパンクの時計をつくることが、世の中を反映することだと思うんですよ。無理に懐古主義的なことをやってもしょうがないですからね。

 

まだ実際にはサイバーパンクを表現した作品はできてないんだけれども、同じ時代を生きる人々のために、“作家として”近い将来には具現化しないといけないと思っています。

 

ただ腕時計を作って売ることは、時計作家・篠原康治の仕事ではない。作家として時代を切り取り、1つの未来予想図を作品に込めて提示すること。それが篠原さんの仕事だ。1人の作家としての使命感がそこにはあった。

取材を終えて

自分のステータスや趣味など、他人に自己表現するための道具だと考えていた腕時計。しかし、篠原さんの腕時計はまったく違った。むしろそれは自己完結的で、自分の好きな世界観にじっくり浸れる充実した時間を作ってくれるもの。

 

今回の取材をとおして、実用面や見た目だけではなく、私自身が作品にこめられた作家の想いに刺激を受けるかどうかで、物を買っていきたいと考えるようになった。物を選ぶ価値観が大きく変わった今、私も自分の感性に合った時計を見つめて良い時間をつくっていきたい。

 

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