日本の旅の変革を求め、1980年より格安チケット販売からスタートした株式会社H.I.S.(エイチ・アイ・エス)が戦後70周年スタディー・ツアーを特別企画。部署立ち上げから6倍にスタッフが増えたボランティア・スタディーツアーデスク事業部で、お話を伺いました。

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大田原康裕さん:1985年生まれ。2010年入社。法人営業・団体営業を経て、エコ・スタディツアーデスクへ異動

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大川 史織
1988年、神奈川県生まれ。 大学卒業後マーシャル諸島で3年間働いて帰国。夢はマーシャル人も驚く大家族の肝っ玉母ちゃんになること。

‐今年は戦後70周年スタディー・ツアーを開催されるそうですが、そもそもH.I.S.はなぜスタディー・ツアー事業を始めたのでしょうか。

2008年に始めたスタディー・ツアーですが、背景には2つの要因がありました。

1つは、若者層の海外旅行離れと少子高齢化で新しいコンテンツを生み出す必要性が出て来たこと。

もう1つは、当時の取締役でバングラディッシュ人のボビー・A・ハックさんの存在です。

‐ボビーさんが特別な想いを持っていたと。

はい、しかもタイミングが良かった。彼がアジア最貧国である自国を観光の力で盛り上げたいと考えていたとき、グラミン銀行のムハンマド・ユヌスさんがノーベル平和賞を獲得したんです。

また、BRAC(バングラディッシュ農村向上委員会)という同国内最大のNGOにも注目が集まり始めていたことから、それらNGOの活動を現地で学ぶツアーを作ろうとスタートすることができました。

現在、年間50を超えるスタディー・ツアーを実施しています。

‐参加者の年齢層は当初の狙い通り若者が多いのでしょうか。

そうですね。今の若者の親世代は、海外旅行が身近になり、バックパッカーで世界中を旅した経験がある4-50代。

子どもたちにも同じような経験をさせたいと願う一方、世界情勢が不安な中で、ツアーとして付加価値のあるスタディー・ツアーは安全かつ面白いと、親世代の後押しを受けた高校生や中学生に多く参加いただいていますね。

‐「戦後70周年特集」のスタディー・ツアーを作る意義は何ですか。

企業理念である「世界平和」を実現するにも、世界が平和でないと海外へ旅行はできません。海外に行く事で人種を超えた交流ができる。

それが世界平和につながっていく、という理念の下、戦後70年という節目の年に特集企画を打ち出して行くということは、社会的にも意義があることだと考えています。

 

現地に精通した「専門家」がつくるオリジナルツアー

‐H.I.S.ならではのスタディー・ツアーの魅力を教えてください。

スタディー・ツアーデスクでは慣例に囚われず、「専門性」を大事にしたプランニングが行われています。

現地の事情に詳しいスタッフや発案スタッフの想いを大事にして生まれるため、ツアーはすべて自社オリジナルの商品となっています。

‐若手社員が活躍する土壌は創業時からあるのでしょうか?

私たちはMVP(Most Valuable Player)をMission、Vision 、Passionと呼んでいます。商品を作る上で最も重視するのがパッションです。

目的がどんなに明確でいい商品でも、企画者の「想い」がないと売れない。

そのパッション=「想い」を大事にしているから良い商品ができる。その結果、パッションの強い若手が活躍できるのだと思います。

 

東浩紀氏との「立ち話」から生まれたチェルノブイリ・ツアー

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‐数あるスタディー・ツアーの中でも、「東浩紀さんと行く『チェルノブイリ・ツアー』」が目を引きます。企画の背景を教えてください。

 チェルノブイリ㈰

(写真:原発内部の様子)

 

このツアーは、相談役が3.11以降、「福島第一原発観光地化計画」を出版された東浩紀さんの会社「ゲンロン」の会員になっていて、そこでの立ち話がきっかけとなったツアーです。実際、ほとんどのツアーは「立ち話」から生まれています。

‐参加者の年齢層を教えてください。

大学生から70代まで、幅広い年齢層の30人が参加されました。

原発のある敷地のゾーン内に入ることができたり、知識人との交流プログラムがあることから、年1回の人気ツアーです。

 チェルノブイリ㈫

(写真:新石棺)

 

 

チェルノブイリでは今年4号機の廃炉が決定したため、数年で原発内部へは入れなくなるだろうと予想しています。

27年経っても廃炉活動は終焉していないので、おそらく日本はもっとかかるでしょう。

廃炉工事が始まると内部への立ち入りは制限されるので、今後も続けたいツアーではありますが、今年で最後になるかもしれません。

前回のツアーに私は添乗員として参加しましたが、連日連夜、ずっと答えのない熱い議論が繰り広げられており、とてもディープな旅でした。

‐印象に残った場面は何でしたか。

チェルノブイリ㈪

 

(写真: 事後ワークショップ風景)

 

帰国後の事後ワークショップで「自分が撮った写真の中で気になる3枚」を選んでもらって、なぜ気になったのかを共有しあう場を作りました。

それを通じて、人によって着目した視点が異なる面白さや気づきが得られて、刺激になるからです。

一番印象に残ったのは、原発内部に入った写真がメインかな、と予想していたのですが、内部の写真は1、2枚。多くは区域外での写真でした。

‐ツアーを受け入れるオペレーターたちの反応はどうでしたか。

同じ事故を起こした仲間として、自分たちがやっていることや考えている事を伝えたいという思いがあるようで、歓迎の姿勢で受け入れてくれました。

今年のツアーも、楽しみに待ってくれていると思います。

 

ハリルホジッチ監督の故郷から見つめる戦後70年の日本

サラエボ

‐サッカーを通じて平和教育を学ぶボスニア・ヘルツェゴビナの旅も戦後70周年企画として生まれたツアーですね。企画背景を教えてください。

相談役が現地オペレーターのFKクリロ創設者の森田太郎さんとお知り合いだったことで生まれた企画です。

サッカー元日本代表監督のオシム監督に次いで、現監督のハリルホジッチ氏の出身国でもあるボスニア・ヘルツェゴビナと日本がなぜサッカーを通じて同国と密接なつながりがあるのか、そのヒントがこのツアーで見つかるかもしれません。

‐参加者のターゲット層はサッカー好きの方ですか?

森田さんは小学校の教員のため、教師の参加も歓迎です。特に今年は戦後70年の題材を授業として取り上げることが多い一方、実際に戦争を知る人から話を聞ける機会が少なくなっているため、旅として語り継ぐものを教員の方々にも提供できればと思います。

「日本戦後70年・ボスニア・ヘルツェコビナ戦後20年から考える平和教育と子どもたちの未来」と題したトークセッションを小学校にて開催予定です。

また、ハリルホジッチ代表監督の生まれ故郷を散策したり、森田さんのサッカーチーム元選手やスタッフとの交流プログラムもあります。

 

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(写真:ボスニア教師による平和教育の実践)

 

出発は8月17日(月)なので、学校がお休みの期間にあわせて催行されるツアーです。若干名まだ余裕があります。

 

チェルノブイリ、ボスニア・ヘルツェコビナ、ともになかなか一人で行くにはハードルが高い場所だからこそ、

 

戦後70周年の今年に企画されたツアーに参加する旅も、思い出深いものになりそうです。

 

第二回では、入社1、2年目の社員が作るアウシュヴィッツとマーシャル諸島ツアーについてご紹介します。