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「戦時中」を伝える建築デザイン-解体を逃れた、たった2つの「奉安殿」

太平洋戦争の終戦後、日本各地で次々となくなってしまったものがあります。それが奉安殿(ほうあんでん)。小学校・中学校を中心とし、天皇と皇后の写真(「御真影」と呼んでいます)と教育勅語を納めていた建物で、さまざまな建築様式のものがあったようです。

 

1890年(明治23年)、明治天皇が国民に語りかける形で教育勅語が制定され、1948年(昭和23年)に廃止されるまで、日本政府の教育に関する指針となった文書です。その写しと御真影を収めた奉安殿は、1910年代から建築が進んだと推測されています。

 

 独特の雰囲気を持つ旧琴似小学校奉安殿

▲旧琴似小学校の奉安殿

 

「四方節」「紀元節」「天長節」「明治節」という四大節祝賀式典が行われる際には、学校の職員・生徒全員が御真影に対しての最敬礼を奉り、教育勅語の奉読が事実上義務化され、登下校時において奉安電の前を通過するときにも、最敬礼することになっていました。

 

もともとは講堂や職員室などに奉安所が設けられていたようですが、火災や地震の際に御真影が危険に晒される可能性が高いことから(実際に関東大震災なども起こっていたため)、独立した奉安殿の建築が進められました。

 

その建築様式には、ギリシャ建築風や鉄筋コンクリート造り・レンガ造りなどの洋風建築から旧来の神社風建築などがあり、威厳を損なわない荘厳重厚なデザインが基調となりました。なんと、1933年(昭和8年)には奉安殿の建築デザインコンペも開催されるなど、美術の歴史においても大きな意味を持っています。

 

綺麗に手入れされた庭の奥に奉安殿がある

▲手入れされた庭園の奥に

 

そして、終戦。1945年(昭和20年)に、GHQにより奉安殿の廃止が決定(教育勅語が神聖化されすぎていることを問題視したことが発端)、奉安殿の多くは解体されることになりました。しかしながら、解体を免れた奉安殿は全国各地に少数ながら点在していて、札幌でも2棟現存しています。

 

そのひとつが琴似神社(札幌市西区)にある奉安殿。もともとは琴似小学校にあったものですが、当時の宮司が「壊してしまうのはもったいないので引き取りましょう」ということで移設され、現在は琴似神社の書庫として使用されています。外観は誰でも見ることができますが、内部は見ることができません。

 

琴似神社

▲琴似神社

 

そしてもうひとつが、藤女子大学(札幌市北区)にある奉安殿です。この奉安殿も解体される予定でしたが、当時の牧野キク校長がGHQに掛け合い、解体を逃れました。その後、「マリア堂」として使用されています。

 

 中にはマリア像が

▲中にはマリア像が

 

札幌に残る2つの奉安殿を見比べてみると、全然違うことがわかります。このように、戦前の緊張した世の中で、奉安殿のデザインは当時におけるクリエイティブを発揮できる希少な場面だったのかもしれません。

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橋場了吾 Ryogo Hashiba

北海道観光マスター

1975年、北海道札幌市生まれ。 2008年、株式会社アールアンドアールを設立。音楽・観光を中心にさまざまなインタビュー取材・ライティングを手掛ける。 音楽情報WEBマガジン「REAL MUSIC NAKED」編集長、アコースティック音楽イベント「REAL MUSIC VILLAGE」主宰。 http://sapporo-mn.jugem.jp/