2019年春、『百年タコを茹で続けた男たちの「究極の茹でタコ」を味わって欲しい』というクラウドファンディングページが公開された。仕掛けたのは、100年続く明石の水産加工業者・金楠(かねくす)水産。

その支援額は、またたくまに目標の4倍である200万円を達成。翌年夏に第2弾を開始すると、前回を超える約300万円の支援が集まった。

勝因は「究極の茹でダコ」というキーワードの引きの強さもあるだろう。しかし、ページを見るとそれだけではないことに気付く。技術と情熱に裏打ちされた、圧倒的な説得力がそこにはあった。

その情熱はどこからくるのか? 鉱脈を探ると見えてきたのは、「タコは人を幸せにする」と信じ、年々漁獲量が減るタコの現状打開に熱く取り組む、ある男の姿だった。

坂口ナオ
東京都在住のフリーライター。2013年より「旅」や「ローカル」をメインテーマに、webと紙面での執筆活動を開始。2015年に編集者として企業に所属したのち、2018年に再びライターとして独立。日本各地のユニークな取り組みや伝統などの取材を手がけている。

子どものころは知らなかった。「うちのタコは世界一」だってこと。

「子どものころから新鮮な魚介類を毎日のように食べていましたが、当時の僕にとってそれは特別なことではなく、そこにあるから食べているという程度の認識でした」

そう語るのは、金楠水産株式会社・四代目となる予定の樟(くす)陽介さん。明石に生まれ、家業は水産加工業。幼いころから当たり前のように、タコを始めとした明石の魚を食べてきた。しかし、樟さんがその真価に気付いたのは、築地市場へ就職し、全国の魚を食べるようになってからのことだという。

「あれ? 自分の知っているタコと味が違う」

樟さんがそう感じた理由は、全国の水産加工の現場を目にする機会が増えるにつれ、徐々に明らかになった。

通常、タコの加工は塩もみから始まる。ぬめりや臭みを取るためだ。しかし付けすぎは禁物。ぬめりや臭みと共にうま味も抜けてしまう。金楠水産ではこの塩の量を、タコ一匹一匹を手で触り、身の質やサイズを確かめた上で判断していた。しかし、多くの加工の現場では、塩もみの工程を「タコ100kgに対して塩30kg」といった大まかな分量で行っていた。

茹で方においても、金楠水産のやり方はほかと違った。湯に入れる前にやはり一匹一匹手で触り、サイズや質、その日の気温や湿度も加味して茹で時間を決める。タコも肉と同じように、加熱しすぎると固くなる。ほんの少しのゆで時間の差で、タコの味と食感を台無しにすることもあるのだ。

「塩の付け方や茹で時間が変わっても、それなりに美味しいものはできます。でも、外の魚を知ってから親父のタコへの向き合い方を見て気付きました。この小さなこだわりひとつひとつが、美味しさの頂につながる大事な一歩一歩だったんだ、って」

そうしたひとつひとつの工程を経て茹で上がったタコの食感は「サクップリッッッ……!」。かんだ瞬間、弾力のある身がはじけ、口の中に一気にタコのうま味が広がるという。

「この美味しさを知らない人がいるのは、すごくもったいない! それにタコは、カロリーが低いのに栄養価がすごく高いスーパーフードでもあるんです。そんな、人を幸せにするタコの本当の美味しさを、ひとりでも多くの人に知ってもらいたい——。この思いがいつからか僕の中で、使命感に変わっていきました」

人を幸せにするスーパーフードが、食べられなくなる?

その後明石に戻った樟さんは、父親とともに金楠水産の「究極の茹でダコ」づくりに従事。より多くの人に究極のタコの味を届けるため、日々全力でタコと向き合っている。

しかし明石では、近年タコの漁獲量が減り続けているという。

通常、タコの収穫量は毎年変動する。豊漁だった年の翌年に激減することもザラで、2年連続で獲れない程度なら大きな問題にはならない。ところが、ここ5〜6年は一定して右肩下がり。さすがに漁業関係者の間でも、不安なムードが漂い始めているそうだ。

「タコが捕れなくなっている原因は、海が綺麗になりすぎたことだと言われています。昔の海には山や田畑から流れてきた栄養が豊富にあり、タコのエサになるプランクトンもたくさんいました。しかし、赤潮や工業廃水などによる海の汚染を改善するため、国は浄化設備をどんどん整えました。すると今度は綺麗になりすぎて、海本来が持つ栄養が少なくなってしまったんです」

これは明石の海だけの問題でなく日本全国の海で起こっている状況でもある、と樟さんは語る。現在では全国的に「豊かな海づくり」への取り組みが進んでいるものの、未だ改善の兆しは訪れていない。

日本だけでなく、世界の海からも消えようとしていたタコ

どんなに加工技術に誇りがあっても、素材がなければ美味しいタコを作り続けることはできない。そこで樟さんは日本以外の海に目を向けることにした。明石から西へ1万キロメートル以上彼方にある、アフリカの海だ。

実は、アフリカはタコの一大生産地。スーパーに置いてある手頃な価格のタコのほとんどがアフリカ産だ。「ただ、」と樟さんは顔を曇らせた。

「アフリカの海では今、タコの乱獲が問題になっているんです。持続的に漁を続けるためには獲りすぎないことが大切ですが、そうしたルールがない状態で手当たり次第に漁をしている。つまり、いつ獲れなくなってもおかしくない状況です。僕はこの状況を、とても緊張感のある問題としてとらえています」

なぜアフリカではそこまで乱獲が横行してしまったのだろうか。その理由は、樟さんがセネガルの漁港を訪れたときの話に表れていた。

「港に着いて、セリの様子を見たときには本当にショックを受けました。引き上げられた魚が、熱い砂浜の上に直に置かれた状態で取引されていたんです。周囲には売れ残った魚や貝の残骸が残っていて、腐敗したにおいが充満していました」

日本で生まれ育った人ならいつの間にか身につけている常識「魚介類は鮮度が命」。この知識が、アフリカの人々にはなかったのだ。

当然、そうした環境で流通されるタコは、低温管理や活〆を徹底したものと比べると品質が劣ってしまう。すると輸出先の日本や欧米諸国は、その品質に見合った安い価格で買い付ける。価格が安ければ、漁師はたくさん捕らないと生活ができない。こうしてアフリカの海では、ルールなき乱獲が横行するようになっていった。

日本一の加工技術で、アフリカのタコを救いたい

しかし樟さんはそうした状況を「鮮度を保って美味しいものさえ作れれば、改善できる可能性がある」と、とらえているようだ。

「今僕が考えているのは、明石の環境をごっそりアフリカに持って行き、工場を作ること。そこで金楠の技術を提供してアフリカの海産物の価値を高めれば、アフリカの漁師たちが生活のために大量にタコをとらなくても良くなるんじゃないか、と思っているんです」

実は、樟さんがセネガルの漁港を訪れた理由は、その構想を練るためでもあった。

もしこの構想が実現すれば、アフリカの漁師の生活も一変するだろう。今では一度に多くの魚を捕るため泊まりがけの漁が当たり前だが、朝行って夕方帰ってくる働き方でも充分になるはずだ。

加えて日本には、水産先進国として長く海と向き合ってきたからこそ、工業廃水による海水汚染や浄化のし過ぎなど、失敗から学んだこともある。そうした学びを共有することで、これまでに日本が通った轍をアフリカでは避けることができるだろう。

アフリカの面積は日本の80倍。その分多くの海にも面しています。これがうまくいけば、今後はよりたくさんの人に、美味しいタコを食べてもらえるようになるはずです。

秘策は「タコが主役のタコ焼き」?

ただし、その構想を実現するためには、明石の技術で加工したアフリカのタコを、今までより高い価格で流通させることが欠かせない。この難題をどう乗り越えるのか。

これについて樟さんは、前々から考えていたという彼らしい打開策を教えてくれた。

「実は、近い将来、タコ焼き屋を展開できたらいいなと思っているんです。加工と流通が一緒になれば中間コストを省けるので、漁師や作り手の利益を高めつつ販売価格も抑えられる。さらにはこれを機に、昔からやりたいと思っていた「タコが主役のタコ焼き」を実現したいという思いもあります」

「タコが主役のタコ焼き」? タコ焼きは当然タコが主役のはず。しかし、タコを愛し、タコに人生を捧げる樟さんは、そうは思っていないようだ。

「タコ焼きの作り方は、ほとんどの場合、まずタネを型に流し込み、その中に茹でたタコを入れて火を通していくというものですよね。でもそれだとタコに火が入りすぎてしまい、タコの食感やうま味が充分に発揮されません。僕がタコ焼き屋をやるときには、生の状態でタコを入れて、生地の中で最高の火の通り加減にします。ふわふわホクホクの生地と、サクップリッッッッ……! とはじけるタコのうま味が楽しめる、究極のタコ焼きを作りたいんです」

漁師さんから受け取ったバトンを次につなげるために

アフリカのタコのレベルが上がれば、相対的に明石のタコの価値が下がることも考えられる。しかし、もしそうなったとしても「品質を下げるという選択肢はない」と樟さんは言い切る。

「漁師にとって海難事故は決して特別なものではありません。僕らの仕事は、そんな漁師さんの命がけの仕事があってこそのもの。そうして持ち帰った魚を、港の職人がしっかり選別して、僕らが加工する。全員が頂を目指しながらやっているんです。そのバトンの途中で僕らが手を抜くわけにはいきません」

樟さんが目指すのは、漁師や港の職人、水産加工会社にとっても、そしてタコを食べる消費者にとっても幸せな未来。作り手がしっかりと利益を確保しながらも、高品質なものが多くの人に届く未来だ。

だからこそ、「頂に至るためのこだわり」は変えない。「究極のタコ焼き」のように、効率化やアイデア次第で、「より美味しく」「より身近で」「よりみんなが笑顔になれる」やり方はいくらでもある。

「最終的に僕が目指しているのは、世界中の人に美味しいタコを食べてもらうこと。今はタコ自体の数が少ないので難しいですが、アフリカの港のレベルを上げて安定した漁獲量を確保できるようになれば、世界中で「究極のタコ」が食べられるようになると思っています」