フィットネスウェアブランド『kelluna.(ケルナ)』の商品が並ぶウェブサイトには、普段あまり見かけることのないカラフルな色やトロピカルな柄の商品が並ぶ。

夕日や海辺などを彷彿とさせる美しい商品名と、その由来が書かれた文章から連想されるのは、私が実際には見たことがないスリランカの景色だ。

スリランカ?そう、kelluna.のフィットネスウェアはすべて、インド洋に浮かぶ南アジアの小さな島国、スリランカの女性たちの手で作られている。

「生地探しと人集め。これが本当に大変でした」

コネクションも何もないなか、ひとりスリランカでブランドを立ち上げたkelluna.代表の前川裕奈さんは、そう当時を振り返る。スリランカの市場を走り回り、現地の女性を雇い、日本でフィットネスウェアを販売する――想像するだけで壁の高そうなアパレルブランドを、前川さんが形にしたかった理由。その原動力はどこから来るのだろうか。

熱い想いを聞くと、スリランカとフィットネスウェア、まったく交わらないように思えるふたつの世界には、彼女を介したある共通点があった。

ウィルソン 麻菜
1990年東京都生まれ。製造業や野菜販売の仕事を経て「もっと使う人・食べる人に、作る人のことを知ってほしい」という思いから、主に作り手や物の向こうにいる人に取材・発信している。刺繍と着物、食べること、そしてインドが好き。

1日もブレることがなかった「必ず叶えたい」夢

その日、前川さんが身につけてきてくれたのは「MARBLE BLUE」と名付けられたウェアのトップス。さまざまな顔を持つスリランカの海と青色を表現し、それと同様にウェアを身につける女性たちも多様であっていい、というメッセージを込めたマーブル模様だ。

日本で生まれ、父親の仕事の関係でイギリス・オランダで育った前川さん。中学生のときに日本に帰国してからも、「海外」と言えば育ったヨーロッパのイメージが強かったという。それが大きく覆されたのは、海外勤務中の父を訪ねてインドネシアを訪れた大学生のときだった。

「今まで触れてきた“先進国”とはまったく違う環境。もっと外の世界を知りたい、と思うようになりましたね」

まだ見ぬ世界を知るため、大学でアメリカに留学。そこで短期プログラムを利用し、アフリカ・ガーナを訪問した。教育専攻だったことから、浄水ストローの使い方や、そもそもなぜ泥水を飲んではいけないのか、などを村々で説明して回った。

「でも、習慣を変えるって短期間では難しい。当時は、学生で知見もなくて、自分のやったプロジェクトがすごい中途半端に感じて悲しくなっちゃって。少し関わって突然いなくなるなんて、ただの自己満足でしかないなって感じていたんです」

いつか、プロとして必ず帰ってくる。短期的な支援ではなく、彼らの生活を根本的に変えていけるような形で。

卒業後、一度は日本の会社に就職したものの、ガーナで誓ったその気持ちがおさまることは1日もなかった。ブレることのない熱意を抱え、前川さんは大学院のドアを叩いたのだった。

私の教育って何のため?

前川さんが訪れたのは、国際開発学の第一人者、黒田一雄先生のところだった。彼自身、銀行勤めをしながら教育への気持ちが消えなかった人でもあり、前川さんの想いを受け止め、ともに歩んでくれた恩師だ。

1年目は日本で過ごし、2年目は先生の勧めでワシントンDCにある大学で過ごした。せっかくワシントンDCに行くならと、世界銀行でインターンを始めたことが、前川さんの人生の行き先を大きく変えた。そこで任されたのが南アジア、インドのプロジェクトだったのだ。

前川さんが学んでいたのは、女性の教育。学校教育とはまた違う、大人の女性たちへの職業訓練やスキル教育、ひいては彼女たちの自立につながる教育だ。その分野に興味を持ったのは、大学時代のガーナでの経験がもとになっている。

「ガーナで、若いときから望まない妊娠を強いられる女性や、身体を売らなければならずエイズになってしまう女性たちのことを知りました。もし、彼女たちに身体を売る以外の働くスキルがあったら、不要な妊娠にノーと言える教育を受けてきていたら。『自分の生き方を自分で決められる』、その土台になるような教育があったらいいんじゃないかなって」

自分の生き方を、自分で決める。そこに大きく心揺さぶられたのは、前川さん自身の境遇との差を感じたからでもあった。

「私自身は大学や留学にも行けて贅沢な教育を受けてきた一方で、同じ地球上にはまったく教育を受けれていない人たちもいることが衝撃でした。それを知ったとき『じゃあ、私が受けてきた教育って何のためなんだろう』って強く思って。自分を向上させるただの自己満足じゃなくて、ちゃんと受けた教育を還元しようって考えたときに、私は彼女たちに教育の場を提供するために学ぼう、と決めたんです」

スリランカで今、目の前にいる女性たちとブランドを

大学院卒業後、インドに魅せられていた前川さんは国際協力機構(JICA)の南アジア部に就職。しかし、思惑とは少し外れた配属により、初めてスリランカに降り立つことになった。

「ちょっと南に行き過ぎましたね。同じ南アジアでもインドとスリランカはまた全然違うので、ゼロから学ぶことが多かったです」

経験豊富なチームメンバーに囲まれ、出張でスリランカを訪れる日々。前川さんのなかで「もっと、しっかり現地に根付いて見てみたい」という想いが大きくなっていった。JICAで1年過ごしたあと、スリランカに2年駐在できる専門調査員の求人を外務省で見つけ、転職。平和構築の専門家としてスリランカで暮らしながら、紛争被害にあった人々のサポートなどをおこなった。

スリランカでは2009年まで内戦が何十年も続き、今でも被害を受けた人々が多くいる。特に夫も息子も亡くした女性たちは、一体どうやってお金を稼げばいいかさえわからない状態で苦しんでいることを知った。

「政策って整うまでに10年とか、本当に時間がかかる。私が出会った女性たちはもう60代の人も多くて、そんなに待てないと思ったんです。もちろん政策などのトップダウンの動きは大事だけど、自分ができることはもっとボトムズアップ、今目の前にいる彼女たちのために動くことなのかなって」

外務省の職員として働きながら、同時にブランド立ち上げを考えていた前川さん。配属されてすぐに、スリランカでフィットネスウェアを作るための準備をしてきた。その縫製を、自立したい紛争被害を受けた女性たちに頼めないか。そう前川さんが思いつくまでに、時間はかからなかった。

「痩せる=美しい」に飲み込まれた過去

しかし、なぜ、フィットネスウェアなのか。

「『この商品を買うと支援できる』という形のものにはしたくないな、と思っていて。クオリティの高い商品を作ってくれる人たちは“支援が必要な不幸な人たち”じゃなくて、対等な関係だよねって思ってたんです。だからkelluna.の商品は、日本の女性たちにとっても必要なものを提供したかった」

日本が抱えるソーシャルイシューってなんだろう。前川さんの頭に浮かんだのは「痩せる」ことに囚われていた過去の自分だった。

「最初は、大学生くらいのときに軽い気持ちで『痩せたいな』と思ってダイエットを始めたんですよね。そうしたらワッと体重が落ちて、SNSに写真を上げるたびに『痩せたね!』とコメントをもらえることが快感でたまらなくて、止まらなくなって」

今、目の前で話をしている健康的な前川さんからは想像もつかない過去。もともと持っていたストイックな性格が過激なダイエットと出会ってしまったことで、「いかに数字を小さくできるか」の勝負事になっていったという。

「その頃の口癖は『痩せなきゃ』『次に会う時までには痩せてくるね』。周りに『それ以上どこ痩せるの』って言われても社交辞令だと思っていたし、とにかく何も食べてはいけない、運動しなきゃってダイエットを続けていました」

骨と皮だけになり、外食してもサラダか水のみ。飲み会や友達と出掛けることすら「何か食べなきゃいけないのが嫌」とストレスになっていった。

「今の裕奈は、遊びにも食事にも誘えない。友達を失った気分だよ」

親友が意を決して言ってくれた言葉にハッとした。そこから、周りの人たちの真摯な言葉で徐々に食べるようになったものの、そのときはまだ「太りたくない」という気持ちに囚われたままだった、と前川さんは振り返る。

「自分推し」で何が悪いのか

そんな彼女の固定概念をぐるりと変えたのが、大学院でワシントンDCに留学したときのシェアハウスの仲間だった。

「筋トレマニアばっかりだったんです。学校や仕事の前にみんなで朝5時に集まって筋トレするような」

男性も女性もみんなガチガチの筋肉質で、毎朝、全員で筋トレして何十個ものゆで卵を食べた。

「私はそのときまだ痩せていて、褒められるんじゃないかって思っていたのに『セクシーじゃない』と言われて。逆にマッチョな女の子、日本だったら浮いちゃいそうな体型の子が称賛されていたんですよね。なんで?って最初は理解できなかった」

しかし、彼らと共に過ごすうちに、これは体型の問題ではないのだと気付いた。「自分が好き」という自信のある姿が、どんな体型であっても美しい。徐々に前川さん自身もそう感じるようになり、筋トレに打ち込んでいった。

「痩せるためではなく、健康や好きなライフスタイルのために運動する。それは痩せなきゃって運動しているときとはまったく違う体験でした」

今、前川さんはinstagramを中心に、フィットネスへの想いや、自分の生まれ持った体型を愛する「Self-love」の考え方について積極的に発信している。

「一時期はソーシャルメディアの悪い面に飲み込まれて激ヤセしてしまったけど、今は自分の想いに共感してくれる人と出会う場所として、こっちがソーシャルメディアを利用してやるぞ、くらいの気持ちでいます」

いつの間にか立ちはだかる壁を、突破するきっかけに

日本の女性たちに「多様な美」を発信するウェアを、スリランカの女性たちとつくる。前川さんだからこそつながったその道程は、決して簡単なものではなかった。

2018年、外務省職員としてスリランカに派遣されてすぐに、前川さんは生地を探し始めた。カラフルな生地のあふれる市場において、何より大変だったのは「フィットネスウェアに適した伸びる生地を見つけること」だった。

「普通のコットン生地だったら溢れかえっているんですよ。でも、フィットネスウェアであることに意味がある、と思っていたから。もう少し、もう少し、と探し続けました」

そんな中で出会ったのが、kelluna.の商品の大きな特徴でもある「デッドストック」の存在だ。目の前に現れたのは、世界中のアパレルブランドが使った残り――つまりはもう廃棄を待つのみの生地だった。

ゴミになる運命を待つ生地を前に思い出されたのは、JICA勤務中に登ったゴミ山のことだった。焼却機がないスリランカでは、ゴミはどんどん平積みにされ何十メートルもの山になっている。2017年にはその山が崩壊し、近隣の人々や家を巻き込んだ大災害につながった。

「ゴミを増やせば増やすほど、死人が増えていく。私が商品を作るのに新たなゴミを出すことは、間接的に人を傷つけることにもなってしまうかもしれない」

そこから、kelluna.に欠かせないひとつの要素として「デッドストック」の生地を使うことが加わったのだった。デッドストックの生地は、使い終わってしまえばそれ以上はもう作られない生地。だからkelluna.の商品は、その生地がなくなれば同じものは生産できない。そんな「一期一会」も魅力だ。

「ただでさえ伸びる生地が見つからないのに。ずっと探し続けなきゃです」

前川さんはそう笑った。

ようやく生地の仕入先を見つけた頃、kelluna.の工房には13人の「自立して生きたい」「日本の女性たちにSelf-loveを届けたい」と、前川さんの想いに共感する人々が集まった。生地を集め、縫製のスキルを教え、2019年8月、ようやくkelluna.は立ち上がった。

立ち上げ前からSNSでブランド立ち上げの葛藤を発信していたこともあり、注文が殺到。日本の多くの女性たちが、フィットネスウェアの着用写真とともに、ありのままの美しさをSNSに投稿した。

また、スリランカの女性たちにも少しずつ変化が起きている。kelluna.で働くうちに「この仕事で自立していきたい」と夫と別れ、不幸せな状況から脱した女性もいる。

「痩せてなければ美しくない」「女性が自立してお金を稼ぐなんて無理」。そんな、知らず知らずのうちに女性たちを苦しめてきた壁を、kelluna.は確実に壊している。

強く、美しく、人生は自分で決めていい

ブランド名「kelluna.」の名前の由来は、スリランカのシンハラ語で「女性」を意味する「ケラ」と、日本の女性の名に使われる「ナ」を組み合わせたものだ。そして、最後に終止符を打つことで、女性同士で何かを達成したり完結することはできるというメッセージが込められている。

「女性がサポートし合って生まれる力って本当に大きいから『女性だからできない』『女性だからこうであるべきなんだ』っていう、“であるべき論”に囚われる必要はなくて。kelluna.をとおして、日本とスリランカ、両方の女性にそれを知ってほしい」

強く、美しい女性。

それはスリランカの女性たちにとっては、経済的または心の自立であったりする。そして日本の女性にとっては、自分自身の持つ「美」を認めることであったりする。その両方に共通しているのは「自分の生き方を、自分で決める」ということ。

スリランカと日本、それぞれの国の女性たちはお互い助け合いながら、自分の生き方を決められる。kelluna.はその両者をつなぎ、私たちが持つ「強さ」を教えてくれるブランドだ。