大川 史織
1988年、神奈川県生まれ。 大学卒業後マーシャル諸島で3年間働いて帰国。夢はマーシャル人も驚く大家族の肝っ玉母ちゃんになること。

知る人ぞ知る島国、ミクロネシアに位置するマーシャル諸島共和国は、

人気キャラクター・スポンジボブが住む「ビキニタウン」のモデルとなった国。
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一時運行していたJALの直行便で、日本から6時間。

現在は、ユナイテッド航空でグアムまたはハワイを経由するアイランド・ホッピングで、

日本から1日半かけて目指す。

時差は3時間、日本より早く一日の幕開けを迎える。
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ツバル、モルディブと同じくマーシャル諸島も世界で珍しい環礁国。

穏やかな内海と表情豊かな外洋に囲まれたこの国には、珊瑚学会の学者も驚いた「珊瑚の楽園」が広がっている。
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推定人口約6万人。

100年前から第二次世界大戦まで日本の統治下にあった。

第一次世界大戦以前には、沖縄移民をはじめとする日本人も多く移り住んだことから、

カネコ、ミズタニ、ナカムラ、モモタロウ、チュウタロウ、と現地の人々の名前には、

日本人の血筋が今も脈々と受け継がれている。

日本人とわかると「コンニチハ!」と照れながらも挨拶をしてくれる人々の間には、なんだかノスタルジックで、少しロマンチックな日本語が今なお残っている。

 

 

1.「エンマン」(円満)

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常用語「エンマン」は万能語。

「Yokwe!(こんにちは!)元気?」

「エンマン!(元気!)」

「写真とってもいい?」

「エンマーン!(いいよーーー!)」
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子どもたちと、エンマンに交渉成立。

 

 

2&3.「チョーリ」(草履)と「チャンポ」(散歩)

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「チョーリ」はマーシャル語でビーチサンダルのこと。

マーシャル人も、家には靴を脱いで入る。

この時期、「チョーリ」(ビーチサンダル)で「チャンポ」(散歩)をすると、

燃えるような赤やオレンジのフレーム・トウリー(南洋桜)が咲き乱れているのによく出会う。

木陰の下で一休みするひとときは至福の時間。

 

 

4.「コイシイワ」(恋しいわ)

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日曜日朝の教会には、賛美歌が背筋を震わすハーモニーで響きわたる。

「コイシイワ」という歌は、マーシャル人の女性が作詞・作曲した、日本人の男性に恋をした女性の切ない想いを

日本語とマーシャル語で残したラブ・ソング。

「恋しいわ あなたがいないと わたし さびしいわ 離れている 遠いところ 想いを断たれて」

女性は、日本統治時代の日本語教育を、小学校低学年時に受けていた。

 

 

5.「チャチミ」(刺身)

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マーシャル人も、生魚(チャチミ)を食べる。ライムを絞り、チョーユ(醤油)をかけ

サクごとパクパク食べられたら、あなたもマーシャル人。
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「グルーパー」と呼ぶ魚は、高級魚「クエ」のこと。

驚くほど安価な値段で手に入る。

 

6.「タリナイ」(戦争・第二次世界大戦)

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戦争の爪痕は、離島に行くほどよく見える。子どもたちの遊び道具にもなっていた、ドイツ製の大砲。
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ここは、元気象観測所。コンクリートの建物は、マーシャル人の居住空間として今も使用している場合も多い。

 

 

7.「アミモノ」(編み物) 

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「アミモノ」は椰子の葉の繊維で編む、マーシャル人の芸の細かさが光る手工芸品。

南洋貿易時代、日本人が作る和食とマーシャル人が編む「アミモノ」の物々交換が盛んに行われたことで、

「アミモノ」需要が拡大したことから、日本語の「編み物」がマーシャル語として現在も使われている。
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語源は、マーシャル語で「知恵を使う」という意味。

編んでいるのはObon(オボン)と呼ばれる壁掛け飾り。
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 3月1日は、「ビキニ・デー」(核被害者追悼記念日)。
ビキニ水着の由来は、水着デザインの衝撃を、1954年にビキニ環礁で行われた水爆実験「ブラボー」の破壊力になぞらえたことから。

ビキニ環礁で生まれ育った人々は言う。

マーシャル・ブルーの青い海と空の下、ビキニには、いつも気持ちのよい風が吹いていた、と。

写真:okawa