私たちの身の回りに存在するものは、誰かの存在とともに成り立っている。いわゆる「作り手」として目立つこともなく、直接は陽の当たらないところで、日々誰かのために働いている人がこの社会にはどれだけ存在するのだろうか。

そんなことを考えさせられるきっかけになったのは、日本のモノづくり「西陣織」だった。着物帯で有名な西陣織は分業制が根付いており、直接スポットライトが当たらない仕事が多い。

京都・西陣という街で、自身も刺繍というモノづくりをしながら職人と関わる筆者が出会った「縁の下の力持ち」の存在を伝える。

松田沙希
京都で大学生活を過ごした後、西陣にて2018年に起業し、伝統地場産業のデザインディレクション等を行う。自身がフランスで学んだオートクチュール刺繍のアトリエ活動も行っており、ウェディングドレスや、京都とフランスの手技を融合させた作品作りを行っている。

私たちの当たり前は、誰かの存在とともに成り立っている

ある時、こんな話を聞いた。

「こんなに大変なのにお金にもならない仕事、自分の家族には継いでほしくない。もう自分の代で終わりにしたい」

着物帯で有名な「西陣織」に携わる職人から、私が実際に聞いた言葉である。

世界では西陣織をはじめ、日本の伝統工芸や文化は素晴らしい、誇るべきだと評価されている。しかしその一方で、なぜこんなに心苦しい思いをする人たちが生まれてしまったのだろうか。

西陣の街で、いろいろな職人の方に会ううちに、私はあることに気がついた。それは、当たり前のように存在する何かを作り出している人たち、つまり「縁の下の力持ち」の存在が、日々の生活で忘れられがちな現状だ。

私たちの当たり前を支える縁の下の力持ちの存在に気づくことで、毎日の生活のなかで一人ひとりの存在の尊さを理解し、感じられる優しい社会になりたい。そんな思いから、今回、西陣織の業界で必要不可欠な『整経屋』渡部整経さんの取材に至った。

 

分業制の至るところで見える、西陣織の危機

西陣織の”職人”と聞くと、織る職人をイメージする方が多いだろう。しかし、西陣織は分業制で、最終製品を仕上げるまでには数多くの工程に分かれており、その一つ一つに“職人”と呼ばれるプロフェッショナルが存在する。それぞれの役割は非常に専門性が高いため、代替不可能な人材である。

西陣織550年の歴史のなかで受け継いてきた技術が集結し、やっと“西陣織”を生産できるのだ。

西陣織業界では周知の事実ではあるものの、近年(とは言っても、10年以上前から指摘されてきた問題だが)「織る」よりも前の工程に携わる職人たちの数が年々減少し、西陣織自体の存続も決して安心できる状況ではなくなってしまった。

例えば、織るときに使われる織機(しょっき)。「力織機」と呼ばれる電気で動く金属製の機械(とはいえ、全自動で織るのではなく、こちらも職人の存在が必要不可欠である)と、「手機」と呼ばれる木製の機械の2種類がある。

そのうち力織機は一台の価格が高く、古い機械を修理し続けて使う職人が大半だ。新たに購入する人がいないために生産需要がほぼなく、もうほとんどが生産されていない。さらに、力織機の修理職人にも高齢化が進んでいる。小耳に挟む話では、西陣の街にももう数人しかいないそうだ。機場の職人達が自力で直せることもあるが、やはり専門家の助けが必要な時もある。

他にも、西陣織を織る工程で必要不可欠な「杼」という道具。経糸のあいだに横糸を通す針のような役割を持つこの杼も、有名な職人さんが長年おひとりで一本一本手作業で作り続けていた。こちらも職人さんのご高齢化と多くの至難の中で後継者が育つことなく、間もなく終わりを告げようとしている。杼を作れる人がいなくなって起こるのは、畳んで行く機屋の間で中古を買い取ったり、譲り合うことで存続している現状である。

 

整経屋の役割と仕事へのこだわり

業界全体が衰退により苦しんでいるものの、「織る」職人はまだ注目度も高く、後継者育成の見込みがある。しかし、織るための機械や道具、それ以前の工程が崩れてしまったら、織る職人は一体何を織ればいいというのだろう。

今回、取材をした渡部整経さんが請け負う「整経」という仕事も、その存在を知られていない工程のひとつだ。西陣織の分業制のなかで、織る工程のひとつ手前、糸を織機にかけるための準備で、経糸を整え”ちきり”というロールに巻き取る役割を担う。

織る上で、縦向きの糸を経糸(たて糸)、横向きの糸を緯糸(ぬき糸)と呼ぶ。

帯を織るには、細い絹糸を経糸としてに3000本ほど必要とする。束で納品された3000本の糸を、1本ずつ絡まりのない状態に整え、織機にセットできるよう大きなちきりに巻いていく必要があるのだ。この工程は西陣織に限らずあらゆる織物で必要だが、産地によって特性が異なるため基本的には産地内で分業することが多い。

整経の工程を自社でおこなう機屋もいるが、専用の設備を持たない機場では、整経屋が整えた糸がなければ織機を動かすことができない。とても専門的な仕事である。

「この仕事をする人はみんな“へんこ(=変わり者)”なんですよ。ものすごくこだわりを持って仕事をしているので難しい部分もあります。およそ30cmの幅に3000本や4000本の糸があって、織り屋さんはそれが整った織れる状態が当たり前やって言うけど、その当たり前を整えるのが一番難しいんです」

糸染屋さんから届いた絹糸は「糸繰機」と呼ばれる機械にかけられていく。糸を一綛(ひとかせ)ずつにまとめるためだ。機械自体は自動で動くが、糸操機にセッティングするのは、ひとつずつ手作業である。

糸繰機によって小分けにされた糸が、番号のついた輪に1本ずつ糸を通されていき、大きな機械を使ってロールに巻きつけていく。この時、少しでも糸が絡んだり、緩んだり、天候の影響で引き具合が変化してしまうと、後の織る工程で傷の原因となってしまうため、職人の長年の感覚で細心の注意が必要だそう。

整経した糸は、ロールのように包んで梱包する。30cm~100cm幅の織物の織機用の糸を整経することが多いそうだが、このロールはなかなか重たく、力仕事だ。

使用する糸は、絹糸がほとんど。蚕から生まれた絹糸は動物性繊維。植物性に比べて気候や湿度などによって伸縮度が異なり、扱いが非常に難しいと渡部さん。

前工程の染め屋さんで温度管理が上手くいかずに糸が少しでも痛むと、目には見えない糸の変化によって次の整経の過程で糸が繰りにくくなる。そして、そのまま調整せずに帯を織ると、擦れのような線が入って商品は傷物になってしまうのだ。

そうなる前に、整経の段階で調整し整える必要がある。駆使するのは、職人の長年の感覚。明確な指標があるわけではないので、若い者には感覚を伝えて経験で覚えてもらうしかない。

つまり、整経屋は、糸を受け取るまでの全ての工程で発生したトラブルの難を整えて織り屋さんに届ける必要があるというのだ。まさにこれこそ、「縁の下の力持ち」ではないだろうか。

整経された糸を納品するまでにどんなトラブルがあったかは全て、織り屋さんに伝達され、その内容をまた次の職人さんが把握して、いい塩梅で織りこんでいくのだそう。

分業制のなかで各職人の見事な連携体制が取られているのだが、私の目には整経屋さんの立ち位置は、前行程と次行程の職人を結ぶ重要な繋ぎ役のような存在に見えた。

 

後継者育成の先に見る、これからの未来

ひとりの職人を育てるには、時間もお金もかなりのリスクを要する。

まだ一人前には働けない後継者をひとり雇用するために社会保険や固定月給がかかるのは、家内産業として従事してきた事業主にとってはかなりハードルが高い問題で、後継者育成は大きな決断を要する場合が多いのだ。

近年、企業で新入社員が数年で辞職してしまうことが問題になっているが、もし同じようなことが職人の世界で起こると廃業につながる致命的なダメージになりかねない。

成長のスピードも個人差が大きい。職人として一人前になるために、3~4年で十分な人もいれば、10年経ってもできない人もいる。やる気に溢れている人は、習得のスピードも早いと渡部さんは言う。

「今働いている若い男性の一人は元々息子の友人で、8年前大学を卒業するタイミングでどこか職人のような仕事ができる環境を探していたんです。その時期は、なかなか仕事が見つかりにくい時で、話が合って渡部整経で働いてもらうことになりました。話が決まってから、京都市産業技術研究所で毎年開講されている西陣織コースに1年間通って西陣織について学んでもらいました。彼は、こういった作業が好きで今の仕事を選んだタイプです。」

もちろん、雇用を増やす負担は大きいという。渡部さんが社長になって十数年、経営が厳しく後継者の育成にまで力を注げなかった時期もある。しかしそう言っている間にも、業界は衰退して売上も減少し、今いる職人は高齢化していく。

「長くやっていこうと思ったら、やはり若い担い手が必要です。本当はもっと人手が欲しいが、売上が伸びていかないと新しい人は雇えない。だから、そこはひとつでも多く仕事を回してもらえるようにするなど企業努力が必要なところですね。僕が織り屋さんにいつも伝えるのは、自分は若い者をしっかり育てていきたいということ。これからも長く続いていくためには、後継者の育成ができるくらい、しっかりと仕事を出してもらう必要がある」

西陣織工業組合の調査によると、現存の西陣織の機屋で全体の3割は後継者がいなく、今の代で廃業になるという。共倒れせずに自分たちがしっかり生き残るためにも、そういったところに積極的に仕事を取りに行くことはせず、今後も長くお付き合いできる取引先を大切にし、確実に発注を受けることが企業努力であり、渡部さんの役割でもある。

西陣で整経組合の理事長を務める渡部さんによると、今西陣全体で17軒ある整経屋の中で後継者がいるのは3軒だけ。他は、団塊の世代で先5~10年の間に廃業する可能性が高いという。つまり、7割の機屋はこれからも生き残る中で、残る整経屋は3軒だけになる。西陣織の産業全体が無くならない限り、渡部整経を含む3社の業界シェアは拡大する可能性が高く、決して暗い未来が待ち受けているわけではないのだ。

「整経の値段が高い、値上げしたことについて組合で談合しているんじゃないかと機屋さんからは言われますが、そんなことはなく、価格を上げてでも後継者を育てて先に繋げていかないといけない。今のうちからしっかり仕事をいただけないと、残せるものも残していけなくなるわけです」

そう話す渡部さんからは、未来を見据えた強い覚悟を感じられた。

分業のあいだをつなぐ整経という仕事

呉服業界では、織り屋さんも問屋さんに商品を納品し直販していないケースが多い。そのため、作り手はどんな方がどんな風に自分たちが作った商品を手に取っているのかが分からないのが現状だ。

「自分が携わった帯がどんな風に身につけられているのか、実際に見てみたいという気持ちはありますが、誰の・どこの機場の商品かは辛うじて世にでることはあっても、誰が整経したかが世にでることはないです。自分も伝統工芸士ではあるが、それが直接商品に影響するという訳ではない。 15歳からから始めて60年間、街中で自分が携わった帯を見かけたことは一度も無くて、『こんな帯、やったんやで!』って言いたいこともあるけどなかなか言えないですね」

私自身はモノづくりをする身として、未来の使い手の姿を想像しながら作ることで辛い時も乗り越えられるし、そのお客さんの笑顔が楽しみでモチベーションになることが多い。しかし、整経屋は使い手の方の顔が全く見えないところにいる。

どんな仕事でも、続けていてしんどくなる時はあると思う。それでも頑張ろう、明日も明後日も続けていこうと思えるモチベーションになっているものが何なのかを尋ねてみた。

「何のために頑張っているか、と言われるとやはり生活のためです。西陣での整経は、帯だけではなくて、金襴の和袈裟やお守り用の糸の整経も多いので、そうなってくると、一度の糸の納品で、何百個・何千個という数の製品に関わってくるので、神経を使います」

こう語る渡部さんの姿は、とても強く、まさに職人そのものであると感じた。

最後に、人と人のつながりが支える西陣織の産業全体の未来に対して、整経屋としてどのような展望や考えを持たれているかを質問をしてみた。

「西陣織の織り屋はますます減っていくでしょう。かつて2000軒以上あった機場も今では300軒台になり、業界の体制も変革を求められています。西陣の中でもさまざまな人が動き出していますが、これからは織りを主に扱う西陣織工業組合だけではなく、分業制の関連組合も含めた全体で一致団結して頑張っていく必要があると思います」

西陣織の産地のなかで、整経という大切な役割を担う渡部さん。経糸を整えるだけではなく、分業制の中で職人と職人を繋ぐ大切な役割を担っている彼らの存在が、今後の西陣織産業にとって大切な存在であることは間違いないだろう。

日頃、人目に触れることはなく、直接使い手から「ありがとう」と言われるわけでもない。その仕事の存在すらも知られていないことが多い職業は、整経屋に限らずこの社会には多く存在している。もちろん全てを知ることはできないとしても、常に自分たちの生活の中で”当たり前”を支えてくれる存在がいることを忘れずに心に留めて生きていたい。そんな温かい社会の大切さを、日本のモノづくりを通じて感じていただけたらと思う。