全国で「生産者の“ものがたり”と“食品”が直接届く」体験を提供している『食べる通信』。いまやその総創刊数は50を超える(※2019年9月現在)。

今回、70seeds編集長の岡山が大分県の「大分で会いましょう。」という企画で訪れた佐伯市で出会い、取材させていただくことになった平川摂(ひらかわ・おさむ)さんが手がける『さいき・あまべ食べる通信』もその1つ。500を超える魚種に恵まれた九州有数の漁場、大分県佐伯市をホームに、海の幸とものづくりの魅力を発信する「街と海のつなぎ役」だ。

平川さんおよび『さいき・あまべ食べる通信』のユニークなところは、漁師=生産者だけでなく、あまり光の当たらない「加工を担う人たち」のことも届けるべく奮闘していること。

地域の人々に信頼される平川さんだが、インタビューでは「地元愛だけでやっているわけじゃない」とこぼした。その発言に込められた真意を紐解くと、地方の未来のつくりかたがちょっと見えてきたーー。

岡山 史興
70Seeds編集長。「できごとのじぶんごと化」をミッションに、世の中のさまざまな「編集」に取り組んでいます。
園部 優樹
1996年茨城生まれ。立教大学観光学部在学中。 地元を愛していますが、時間とお金があると色んなところへ行ってます。

愛ではなく誇り

8年前まで都市部の大企業で働いていた平川さんが、生まれ故郷である佐伯に戻ってきたのは2012年のこと。30代半ばまで地元に帰ろうという思いはなく、地元をなんとかしなくてはという思いもなかった。

顔中から優しさが滲み出ている平川さんだが、地元愛のようなものはあまりなかった、と語る。

「正直地元愛ってよくわからないんです。もちろん好きなんですけど。ただ、自分が生まれ育った町がなくなることは嫌だなとは思います。地元愛というよりは、地元に対する誇りの方が強いかもしれないですね」

「地元愛だけで動くわけじゃない」平川さんを動かすもっとも大きな動機は、2017年に創刊した「さいき・あまべ食べる通信」を通して、食に関わる人たちの誇りを伝えること。地元愛という曖昧なものではなく、誇りを持つ具体的な相手がいることが「誰のために動くか」を自分に教えてくれるのだ。

「昔から自分が関わる人、そのストーリーを意識して働いてきました。これからもそうしていきたいというのは全くブレません。そのためにも、(『食べる通信』は)単なる愛や想いだけでやるべきものではないと思っているし、収益にもこだわっていかないといけない」

いわゆるソーシャルグッドという言葉や概念に甘えることなく、読者数や収支的な部分も徹底的にこだわらないと続いていかない、という信念は平川さんの取り組みを現実的に支えるひとつの要素でもある。

理想は積み重ね

泥臭く活動を続けてきた平川さんは、ここ2、3年周囲の変化を感じる機会が増えたという。

「食べる通信を始めたことによって、自分たちが獲ってきたものを今誰が食べているのかを知るきっかけができ、生産意欲がすごく上がったという漁師さんがいたり、飲食店の人たちが地のものをもっと使おうとしたりとしているのが、目に見えてわかるようになりました」

冒頭でも触れたように、『さいき・あまべ食べる通信』は、生産だけでなく加工にもフォーカスし、消費者に届くまでの過程に光が当たりづらかったこれまでの情報流通のあり方を変えている。

そんな平川さんが目下直面しているのは、地方の人手不足の壁だ。

「人材がいないからマルチタスクでやらないとダメです。もちろん仲間を募り、仕事を分担してますが、人手が足りないんだったら色んなことを自分でやって、5人分働くぐらいの覚悟でやらないといけないと思っています」

人手不足と孤独。地方で新しい事業を起こすとき、必ずぶつかる壁だ。それでも取り組み続けられるのは、貢献する相手、すなわち「地域の人」の顔が見えているから。目的がはっきりしないままただガムシャラにやるのでは、途中で心が折れてしまう。

大きな理想を語るのがかっこいいという風潮に対し、理想の実現は積み重ねた先にあるもの、だと平川さんはいう。

「大きな理想を語るのが大事なのも分かっているんですけど、積み重ねていくことの方が続くためには大切なのではないかなと。時間はかかりますけど。理想と現状のギャップが大きすぎると続かないんです」

「覚悟を決めて責任を持ってやることこそが楽しさにつながる」というのが平川さんの弁。その楽しさを伝えていくためにただ行動するだけ。それこそが地域で周りを巻き込み、理想を実現していくための方法なのだ。

「数値化されづらい経験を形にして見せるには行動として見せていくことしかないんです」

あとに受け継ぐ

日々の生活の中ですでに当たり前になっていることに気づくことは難しい。それは佐伯の漁業にまつわる「技」や地元に根付いた「食文化」も例外ではなかった。

それまで情報として残されていなかったもの、残す必要がないとされていたものを取り上げている食べる通信。地域で生きる人達の生き様も含めて言葉として残している。

「情報を残すだけでなく、自分がチャレンジを続けていくことで、その精神も受け継いでいきたいですね」

『食べる通信』の取材をする中で、佐伯には知られざるすごい人たちがまだまだ埋もれていることに気づいた。60代、70代の先輩に比べるとまだ足元にも及ばないという思いもあるという。

だが、立場の上下関係なしに、いいところは取り入れていく。そして自分自身も進化し続ける。それがこれだけ多様化している現代を生き抜いていくために必要なのだ、と平川さんは最近覚悟を決めたという。

「最初は表に出ずにとか思ってましたけど、前面に出ていこう、自分を出そうとなりました。それはもっと意識していこうと思っています」

最近では仕事の枠を作らずに、大分県内外のベンチャーや行政機関、民間企業の協業やプロジェクトコーディネートも可能な範囲で手がけるようにしている平川さんの姿は、まるで「可能性の案内所」だ。彼が地元の「技」を持つ人たちに魅せられたように、いまでは平川さんの取り組みや汗を流している事実が、次の人を呼び込む魅力になっている。

自分で覚悟を決めて表に出て行くことを決めたからこそ地元の人が応援してくれる。そんな行動の流れが地域を超えた渦になっていく、佐伯はまさにその現場となっている。

「もし地元にいるひと達が知らなくて、自分が知っているもしくは経験してるようなことがあれば、それはどんどんどんアウトプットしていきます。それは小さなうねりかもしれないですけど、なにか変わっていけるんじゃないかなと。僕の行動が、誰かのちょっとしたキッカケになれば幸せです」

変化を生み出す行動は、いつだって顔の見える「誰か」のために小さく始まっていくのかもしれない。


※今回の出会いのきっかけとなった「大分で会いましょう。」サイトはこちら