「『平和』っていう言葉だけで平和を語っているうちは、たぶん、本当の意味では平和って伝わらないんですよね」

平和は大事である、ということは誰しもがわかっていることだ。しかし、どういう状態が平和であって、具体的にどう大事なのかを、自分の言葉で説明できる人はあまりいないのではないだろうか。

私も、もれなくそのうちの一人だ。2011年に東日本大震災を経験し、大学で原爆に関する研究をおこなっていても、「平和ってなんだろう?」と聞かれれば「戦争がない状態」「平穏な状態」などの、規模が広くて曖昧な言葉でしか表現することができない。

具体性を欠き、抽象のままで留まっているものは、自らの言葉、自らの意見として自身を構成していく血肉になっていかない。そんな状態で、どうやって震災や原爆を未来に残すことができようか。

そこで、2015年に「戦後70年の“知らなかった”と出会う」をコンセプトに立ち上がったウェブメディア70seeds編集長であり、学生時代から現在にかけて、長崎平和記念大使やNPO法人『ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会』などの活動をされている岡山史興さんに話を伺った。

「自分にとって曖昧なものである『平和』というテーマを、どのように文章化して、人に伝えていけば良いのでしょうか?」
そう聞いたときに岡山さんの口から出たのが、冒頭の言葉だった。

三瓶 湧大
福島浜通りに生まれ、東日本大震災を経験する。大学進学をきっかけに上京し、大学の中で復興支援団体に所属するなどして、震災自体や人と人とのかかわりについて思いを巡らせてきた。昨年からは原爆体験について学びはじめ、「非被爆者への継承」などに関心を持つようになる。震災や原爆と言った「想像力を超えてくるような存在たち」は私たちが「生きること」にどのように影響を与えてくるのか。他者の経験を伺う事を通して、文章を作り上げていく事を通して、考え続けていく。

具体性を獲得する「個と個のつながり」

「被爆者ではない人に原爆について伝えたくても、『原爆』という言葉だけでは伝わらないと思っていて。それをどうやって伝えるかを考えたときに、被爆者という括りで語られる人たちそれぞれの人生と、読者などの受け取り手を「人」として具体的に結びつける必要があるな、と考えるようになって。

例えば、被爆者のなかでキャリアを積んでる女性の話を聞くことで、仕事に悩んでいる読者のヒントになるかもしれない。そうやって、あくまでも個人と個人が結びつくことで、ようやく本当の意味で、原爆の体験の継承っていうのができると思うんですね」

「平和」を伝えるとき、「個人の話」という最小単位から見ていくのではなく、国際関係や、戦争、政治的な観点などの「大きな」枠組みから、具体性を模索していかないといけないのではないか、と私は思っていた。しかし、岡山さんの考えは全く逆のことであった。

岡山さんによれば、「平和」を一人一人が考えていく鍵となるのは「個人(被爆者)対個人(受け手)」の文脈のつながりを介して、受け手の自分ごとにしていくことだという。被爆者の持つライフストーリーを知り、そこから考え始めていこうということだ。

被爆者のライフストーリーを知るということは、「被爆体験だけ」を知るということでは決してない。1945年以前に生まれ、今に至るまで生きてこられた被爆者「個人」の人生すべてを知るということだ。

戦争から75年経った今、原爆投下後に生まれたほとんどの人間は、最初に「原爆」という大きな話題と、自らとの間に共通項を見出すことは難しい。しかし、例えば戦後キャリアウーマンとして活躍した被爆者のライフストーリーに、現在活躍するキャリアウーマンの個人がぐっと引き込まれるというのは十分にありえることだろう。

同様の境遇を歩んできた個と個が、その境遇をきっかけとして結びつき、被爆者の人生の文脈全体から原爆や平和が理解するという営み。このつながりを意識した営みを介せば、受け取った個人が「その人なり」の平和をイメージすることができるのではないか。

直接「原爆」や「平和」にたどり着かなくても、「キャリアウーマン」といった全く別のカテゴリを介して、被爆者と非被爆者が「個と個」としてつながること。そうして二つの文脈が重なった先に「平和」が「ジブンゴト」になっていく過程が生まれてくる。それを受け取り手個人の文脈に敷衍、適応させ、糧にしていくということが「継承」でもある、と岡山さんは話す。

教科書やニュースで使われている、字義通りの「平和」ではない。個人の文脈に根差した「私の形の平和」を構築していくのだ。「平和」という言葉や概念に引っ張られるのではなく、「私」という一存在から考えることの重要性にハッと気づかされた。

メディアには何ができるのか

では、その個人と個人をつなぐ役割を持つのは、どのようなものだろうか。直接、被爆者の方から話を聞くこともあるが、メディアという媒体を通して伝えていく意味を、私は考えていた。

このコラム記事を書き始めたばかりの私にとって、震災や原爆についてをメディアでどのように伝えるべきかは、大きな疑問だった。できるだけ多くの人に立ち止まってもらう記事を書くにはどうすればよいのだろうか、私はそればかり考えていた。

岡山さんによると、メディアの作り方を考える鍵となってくるのは、発信者との人間関係。従来の「マス」メディアの像、つまり多数に向けて情報を発信する立場を捨て、「メディア・発信者」自身の位置づけを明確にし、「人間関係」を意識していくことだという。

「情報が単純に存在してるだけだと、それは人に浸透していかない。それ以前に、発信する人や媒体が、どんな立ち位置や状態で何を言うのかがすごく大事だと思ってます。

通常だったら興味を持たなかった人に対しても、発信者との人間関係によって響くことは変わってくる。その時の役割は、マスメディアではなくて、もっとマイクロな人間関係だろう、と」

メディアと聞くと、私たちは情報を正確に、主観なしに発信するという「中間」としての役割を真っ先に思い浮かべるだろう。しかし無機質な「中間」のままでは、発信した情報は人を立ち止まらせられない。そうではなく、「私たちはこういう理念の下で情報を発信している」という、自身の立ち位置を持った「中間」になること。メディア自体もまた「個」としての立場を意識しなければならない。それによって、メディアの「個」に引き寄せられた人たちとの間に関係性が生まれ、情報が浸透するきっかけになるということだ。

「伝える」ときにもう一点重要になってくるのは、いかに受け取り手に解釈を任せられるか、「個人体験化」してもらうかということだ、と岡山さんは話す。

そのためには不特定多数に届ける意識を捨て、「この情報」は「特定のこの個人」に届けたいと考え、記事の内容、見せ方を練り上げることが必要になってくる。今回の記事であれば、私は「『平和』っていう言葉に距離を感じてしまうな」「どのように文章のなかで『平和』を見ていけばいいのだろう」と燻っているような方に届けたいという思いで書いた。

「できるだけ多くの人に読んでもらう」ための記事づくりばかりに目が行っていた私は、「伝える」上でも大切になってくるのは、具体的な「個と個の結びつき」だったのだと、岡山さんのお話を伺うなかで気がついた。広く応用できるような普遍的な文章を作り上げることではなく、文章の先にある「人」を意識するということ。「平和」も「文章」も現在を生きる人のために存在しているのだ。

過去を伝えた現在が、未来をつくる

「平和」を考えることから出発点し、その先に被爆者や、同じように思いを凝らす人とのつながりを発見する。そして彼らの持つ平和への願いや、社会が平和をめぐってどう構築されているのかということもまた顕わになってくる。

すると、私たちの今立っている地平は刹那的に生まれ、消費されているものではなく、過去・現在・未来の大きな時間の流れのなかに位置づけられているものであると気がつく。岡山さんは、平和活動やメディアに携わるなかで、時間についてどのように捉えているのだろうか。

「過去を変えることはできないし、未来を操作することもできない。だから、最終的にはやっぱり現在の行動をどう変えていくか。その結果、未来が変わっていくんですよね。未来は結果論でしかないから。

今これからを生きようとしている人たちに、被爆者のことを考えるのももちろん大事なんだけど、その情報が今生きてる人にどう作用するのかを考えるのが一番大事なんだろうなと思ってて。それがちゃんとした形で伝われば、被爆者が願う未来がちゃんとできていくよね。だから未来のために過去を使って、現在を一番大事にする」

被爆者の持つ体験、つまり「過去」のストーリーが、「現在」生きる人々に影響を与えていく。そうして「ジブンゴト」として受け取られたストーリーを組み込みながら構築された現在は、「未来」につながっていく。個と個のつながりは大きな時間の流れのなかに生まれ、そして私たちが「生きていく」ことに作用していくのだ。そしてメディア自身もまた「個」を意識した伝え方を行っていくなかで、つながりの生成に寄与していけるだろう。

「『平和』ってなんだろう?」と考える先には、字義そのままの「平和」の観念を超えた気づきを私たちにもたらし、それは私たちの人生の文脈を豊かにしていく。

「社会って全部、人でできてるわけじゃないですか」と岡山さんは話す。「人」のなかに、それぞれの形をした「平和」があり、それが社会を動かす未来となっていくのだ。