今から約3年前の2016年、70seedsでは東京から岩手に移り住み、復興支援や地方の衰退に立ち向かう『大槌食べる通信』の吉野さんを取材しました。
地方衰退を防ぐのはよそ者『大槌食べる通信』の挑戦
「東北へ移住した”よそもの”が見つけた、コミュニティの可能性-『大槌食べる通信』が挑む地方創生」
東日本大震災の復興支援を機に岩手に住み始めて8年。精力的に活動を続ける吉野さんの、その後のお話です。そこには、復興や地方創生だけでなく、現代を生きる若者への人生のヒントもありました。
その後、そして現在
よそ者として岩手県に関わるようになった吉野さん。被災した女性たちに手仕事をつくろう、という考えのもと始めた『大槌刺し子プロジェクト』など、「復興のために自分が出来ることをしたい」という一心で様々な活動に取り組んでいました。
その一環として始めたのが『大槌食べる通信』。2019年に入ってからは対象エリアを青森の八戸から岩手県沿岸部にまで広げ、『三陸食べる通信』として運営しています。その他にも、釜石での民泊やレジャーダイビング事業にも取り組み始め、ますます活動の場は広がる一方です。
「小学校3年生に道徳の授業をしたときに、自分のありのままを伝えたら『吉野さんみたいに人の役に立てるようになりたい!』と言ってくれた子がいました。ここの人の役に立ちたいと思ってしてきた活動ですが、今は次の世代に何を残すかを意識しています。そして、残すべきものは『思い』なんじゃないかと」
やりたいことがなかったり、将来を悲観したりと、若い人に夢や希望がないのは周りの大人たちがそれを見せていないからではないか。そう感じた吉野さんは、自分自身が楽しみながらチャレンジをすることで、次の世代に「人生はいつからでも切り開けるし、楽しめる」という『思い』を渡していこうとしています。
さまざまなプロジェクトで多くの人を巻き込みながら地域を盛り上げ、個人としても楽しみながら生計を立てている吉野さんは、まさにこれからのローカルにおける理想的な働き方を実現しているようです。
もう被災地じゃない
吉野さんが活動する三陸地域も、この8年で変わってきています。外から見るとまだまだ「被災地」というイメージを拭えない三陸地域ですが、現地では違った意識が広がっているそう。
「もう被災地とは言えないんじゃない?言ってはいけないよね。みたいな意識が現地にはあります。いつまでも被災地という言葉で人の注目を集めているようではいけないという意識の人たちが増えているのは事実です」
感覚的には、ハードやライフラインの面では9割ほどが元通りになっている大槌。震災前からあった産業の衰退、人口の減少にどう立ち向かっていくかが現在の課題だとされますが、被災地だから、東北だからというわけではなく、どの地方にも当てはまることです。
現在、三陸には日本中の過疎地域、地方都市の未来を作るモデルケースとなる取り組みが集まり、広がっています。それは、震災で注目が集まっていろいろな関係が生まれたからこそ。
「今後、現地にとって必要なのは関心を持ってもらうことでしょうか。三陸にはいいモノ、コトがいっぱいあって、いいヒトもたくさんいます。そのなかに引っかかるもの、少しでも関わってみたい部分があると、震災をきっかけにできた繋がりが途切れることなく、さらに広がっていくんじゃないでしょうか」
正解は人の数だけあった
今は楽しいという吉野さんの岩手での生活も、順風満帆だったというわけではありません。
「わからないことだらけで、しんどいことも結構ありました。でも、たくさんの方々のサポートがあってなんとかなってきたという感じです」
吉野さんが取り組む活動のひとつに、増えすぎたウニの駆除を体験型の観光コンテンツにしよう、というものがあります。
当初は漁業関係者からの了承がなかなか得られなかったため、活動の場を得ることがが難しかったりと、その道のりはまさにウニのようにトゲトゲでした。それでも諦めることなく取り組んだ結果、陸前高田では漁協からウニの駆除を依頼されるまでになりました。
また『大槌食べる通信』の対象エリアを広げる際にも葛藤があったと言います。
「エリアを変えるのはとても迷いました。大槌だからという理由で購読してくれている人もいたので。でも配送料が上がったことで、値段の見直しをする必要があったことと、僕自身の活動エリアが三陸に広がり、素晴らしい生産者さんや人々を見ていたので、大槌以外も特集をしていきたいと思うようになりました」
「エリア変更によって解約してしまった人がいたのは辛かったものの、それでも購読を続けてくれる人たちがいることに安堵しました」
購読する人のなかには、震災で被害を受けた地域を応援したいという人だけでなく、大槌、そして三陸のために活動する吉野さんを応援したいという人も日に日に増えています。
「どんどん活動の場が広がっていますけど、そのなかで出会う人たちが持っている課題はみんなそれぞれ違います。そのなかでいかに自分のできることを見つけ、行動に移していくかが人の役に立つ鍵だと気づいたんです。正解は人の数だけあります」
目の前にあることをひとつひとつ
震災直後は、東北のことをどこか他人事のように感じていたという吉野さんが、ここまで活動を続けてこられた秘訣を伺いました。
「やりたいことをやっていたら、こうなっていたというのが率直なところです。自分の目の前にある壁を乗り越えることや、人の役に立つことがしたいと思いながら動いているうちに、自然と今の場所にたどり着いていました」
最近は大学を出ていても有名な大学でなければコンプレックスを感じていたり、就活で自信をなくしたりする若者が増え、時代や環境は変えられないと将来に希望を持てない人もいます。それでも「全然大丈夫」だと吉野さんは笑顔を見せます。
「僕は中卒で働き出して、25歳まで日雇いバイトをしていました。そんな僕でも小さなきっかけから自分の生きたい道を進めるようになったし、やりたいことで暮らせています。どんな状況でも自分次第で、人生っていくらでも変えていける、切り拓いていけるんです」
目の前のことに向き合いながら、ひとつひとつ壁を乗り越えてきたからこそ言える言葉。そんな吉野さんが考える、人生を切り拓くポイントは「動いてみること」。
「考えているだけじゃ答えは出ないし、何も変わりません。例えば人の話を聞きにいくのもひとつです。とにかく何かアクションを起こしてみる。そうしたら、そこから何か生まれてきます」
どんな環境だろうと、そこでやれることをやる。それが次につながっていくことを、吉野さんは8年間の岩手での生活を通じて体現しました。時代や環境を変えていくのは難しくても、その環境を自分次第で楽しめるものにしていくことが、これからを生きる私たちにとって大切なのかもしれません。