大川 史織
1988年、神奈川県生まれ。 大学卒業後マーシャル諸島で3年間働いて帰国。夢はマーシャル人も驚く大家族の肝っ玉母ちゃんになること。

こんにちは。

就職活動の真っ只中、『「戦争中の暮しの記録」制作秘話―「暮しの手帖」の戦後70年』から、暮しの手帖社が行った入社試験について、ご紹介いたします。

 

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(写真:お話を伺った河津さん)

 

‐河津さんが、暮しの手帖社に入社した経緯を伺えますか。

河津:「暮しの手帖」40号の時に入社いたしました。
大学で東京へ出てきました。

下宿していた親戚の家で初めて「暮しの手帖」を読みました。

田舎では母が「主婦の友」(1917-2008)や「婦人倶楽部」(1920-1988)をとっていたんですが、それらとはまったく毛色が違う、不思議な本でした。

 

今でも覚えているのがね・・・

そういって河津さんは、本棚から一冊の「暮しの手帖」を取り出した。

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河津:この記事(小紋)がね、生まれて初めて暮しの手帖でみた記事だった。

忘れられない。今まで読んできた婦人雑誌と違うことが書かれていましたね、フーンと思った。

編集者は誰だろうと思ったことを覚えています。しばらく経って、入社試験があるころ、暮しの手帖の募集が学校に掲示されていた。

あ、これだ!と思いました。入れるとは思わなかったけど、受けました。面白い試験でした。

‐入社試験では、どのようなところが印象に残っていますか?

河津:研究室(暮しの手帖研究室、53年に創設された)に集められてね、花森さんが出てきました。

一見風変り、めったに会えないような迫力ある人という印象でした(笑)。

「入社試験というものは、採る方も採られる方も気鬱なものでしょう。

でも、これより他にあまり方法もないからうちでもやります」とぶつくさ言ってね。

それから、「いまから中華料理のコックさんに酢豚を作ってもらう。

どんな質問をしてもよいから、それで料理記事を書きなさい」と。男連中はみな、えーと思ったけれどね(笑)。

二つ目の課題は、「これから(入社後)、君たちはいろんな人を訪ねなくちゃならんだろう、探さなくちゃならんだろう。

その予行練習として、書いてごらん」と言ってね、道順だとか、誰に聞いたのかだとか「研究室までどうやってきたのかを書きなさい」と。研究室は非常にわかりにくい場所にありました。

最後の課題は、「はじめにボクがみなさんにした話を○○字以内にまとめて下さい。」

3つの課題を翌日までに編集部に届ければよかった。わたしは書くのがのろいので、助かりました。

通知がきたときも、「ええ、本当?」と思いました。

後にも先にもこの採用方法は私たちの代だけだったのでラッキーでした。

―――

河津さんはラッキーだとおっしゃっていたけれど、『「戦争中の暮しの記録」制作秘話―「暮しの手帖」の戦後70年』(リンク)や、今回の就職試験の思い出話からも「暮しの手帖」への愛情がひしひしと伝わってきます。

「暮しの手帖」でいまだにわすられないと「小紋」の記事を嬉しそうに眺める河津さんの素敵な笑顔をみて、私も家にある大好きな雑誌をもう一度手にとって読みたくなりました。

入社試験というと気を張ってしまいますが、まずは愛がなければ始まらないのですね。

編集部・ゆう