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ゼロ戦は日本モノづくりの「中継点」 -里帰り飛行プロジェクト仕掛け人が語る

零式艦上戦闘機、通称「ゼロ戦」。戦前に設計され、太平洋戦争では日本軍の主力戦闘機として使われた「ゼロ戦」は戦争が終わった今でも様々な形で語り継がれています。

 

そして、ゼロ戦を里帰りさせ、日本の空で再び飛行させるプロジェクトが進んでいます。なぜ今になってゼロ戦を里帰りさせたいのか、「零戦里帰りプロジェクト」を進めるゼロエンタープライズ・ジャパンの石塚 政秀さんにお話を伺ってきました。

 

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ゼロ戦復活にかける思い

 

 

-「零戦里帰りプロジェクト」を自ら主導されている石塚さん。元々飛行機が好きだったと聞きます。

 

私は若い頃から世界を飛び回り旅することが好きで、30年前にニュージーランドへ移住し、永住権を獲得しました。そして現地で、フライトジャケットを販売する会社を設立して、事業を展開してきました。

 

-販売していたフライトジャケットはどのような方々が買われていたのですか?

 

ジャケットは航空ファンなどいった、飛行機ファン向けの雑誌で展開をしていたので、飛行機が好きな人々に販売させていただきました。フライトジャケット専門で事業を展開してきましたから、ファンはもちろん現役のパイロットの方々にも愛用して頂いています。また、映像作品においては、スティーブン・スピルバーグ監督の映画作品「ハンド・オブ・ブラザーズ」など、ハリウッド作品においても採用して頂きました。

 

-なるほど。飛行機の関係者に近いお仕事だった、と。

 

はい。そして、仕事をするようになってから、海外のパイロット、現役の民間機パイロットから、第二次世界大戦に活躍していたパイロットと交流をもつようになるのですが、知り合ったパイロット達が「ゼロ戦はすごい飛行機だ!」って言うんですね。

 

-海外の人がゼロ戦を評価しているんですか?

 

そうです。パイロットを始め海外の人たちは、基本的に「戦争」という目線でゼロ戦を見ることはなく評価していて、海外ではゼロ戦の復元飛行も行われているんです。

 

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日本は戦争に負けてしまったという立場ですから、ゼロ戦は負の遺産でしかないという捉え方をしている人が多いのが事実です。しかし、海外に行くと逆に評価されている。そして、日本国内で何故ここまで「負の遺産」として捉えられているのか不思議だ、いう意見なんかも聞きます。

 

-なぜ海外ではゼロ戦が評価されているのでしょうか。

 

海外においてゼロ戦は、戦時中において日本が持っていた技術を象徴するものだと捉えられています。ゼロ戦は二次大戦開戦当時、その航続距離や旋回性能において世界の頂点に立っていた飛行機です。ゼロ戦を越えるために、戦時中のドイツや敵国であったアメリカも技術を結集して開発を行ったという経緯があります。つまり、戦時中から「日本の技術」は海外において非常に評価されていたのです。

 

 -なるほど。海外と日本ではゼロ戦に対する評価が全く違うのですね。

 

もちろんゼロ戦誕生の背景には戦争があり、使われた目的も二度とあってはならないものを背負っています。しかし、ゼロ戦自体はあくまで、自転車や車といったものと同じ道具であり、それらを使おうとした人々に原因がある。ゼロ戦という飛行機自体には罪はない、と私は考えています。

 

-日本国内では、なかなか生まれてこない観点だと思います。

 

ゼロ戦についても、海外からの見方を取り入れると「戦争の道具」だけではなく「日本のモノづくり」という観点から見れるようになります。

 

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そして、「モノづくり」という視点を持った上でゼロ戦を紐解いていくと、戦後70年だけでなく、日本という国が出来てからの150年を考えられるきっかけになると思います。

 

-150年、長い期間の歴史ですね。

 

ゼロ戦には明治維新からの技術が全て詰まっているんです。そして、戦時中のゼロ戦はあくまで中継地点であって、戦後も零戦のルーツはたくさん残っています。

 

-現代に残るゼロ戦のルーツとはなんなのでしょうか。

 

戦後の日本は、アメリカによって飛行機の製造を禁止されましたから、ゼロ戦を作った技術者たちは、様々な分野の製造に関わるようになりました。一部の技術者は自動車の製造に関わるようなり、現代になって自動車大国と呼ばれるようになった日本の基礎がここにもあります。その他YS-11など国産初の国産型旅客機にもゼロ戦の技術者がたくさん関わっていました。

 

そういった意味でも、ゼロ戦は現代日本のモノづくりの原点なのだと考えています。

 

 

-現代にもゼロ戦のものづくり精神が受け継がれているという事ですね。

 

ゼロ戦を知ることによって、日本のモノづくりに関する歴史を知ることもできる。それを知った上でゼロ戦を作るための技術が、なぜ戦争に使われるようになったのか。70年ではなく150年という目で日本の過去を考えて欲しい。そういった思いで、ゼロ戦の復元に取り組んでいます

 

 

プロジェクトのこれから

 

 

-戦後70年目を迎える今年、ゼロ戦を飛ばすことはどういった意味を持つのでしょうか

 

我々のプロジェクトは8年前から進行しており、特に2015年の飛行を目指していた訳ではありません。しかし、4年前にあった東日本大震災で一度計画が流れてしまいました。その後飛行の準備を整え、今年になってプロジェクトを実行をしたという経緯があります。

 

しかし、このプロジェクトに興味を持っていただき、戦後日本を様々な世代に振り返って頂くには、戦後70年を迎える今年がちょうど良いタイミングだったとも思っています。

 

-実行にあたっては、政治的な意図などを聞かれることも多いのではないですか

 

最近では様々な社会情勢がありますが、我々は何かを意図して行っているわけではありません。特に政治的な意図に関しては、徹底的に排除して行ってきました。現在、ゼロ戦は自衛隊の基地にあって、国会では安保法案が審議されている真っ最中ですが、我々としては純粋にゼロ戦を日本の大空に飛ばしたい、という思いでプロジェクトを進めています。

 

-現状、プロジェクトの進行はどのようになっていますか?

 

現在は自衛隊の鹿屋基地で飛行の機会をうかがっている状態です。

 

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飛行に関しては資金面の課題もありまして、ゼロ戦を飛ばす為にはパイロットを米国から招聘したりする必要があるなど、様々な要因が絡み1フライトあたり2000万円ほどが必要です。先日、クラウドファンディングで2300万円を支援して頂きまして、この支援して頂いた金額で無事に機体を組み立てることができ、7月7日にエンジンを始動させることができました。あとは失敗せず飛行させたい、という思いで飛行の機会を模索している状態です。

 

-石塚さんはなぜここまで強い思いをもってゼロ戦を飛ばしたいのでしょうか。

 

昔ゼロ戦、という飛行機があってそれを単純に飛ばすことによって、見ている人に何かを感じて欲しいのです。

 

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今様々な社会情勢がある中で、日本の未来を考えるために、ゼロ戦という過去にあったものを知り、その背景などを考えてほしい。そういったきっかけを皆さんに与えるためにも、私の人生をかけて飛ばしたいという思いです。

 

-ゼロ戦プロジェクトが成功した際にはどのような展開を考えられていますか。

 

海外ではゼロ戦以外の戦時中の飛行機もレストアされています。ゼロ戦の飛行が成功した際には、紫電改や隼などといった飛行機を日本の空へ飛ばし、日本のモノづくりについて触れて頂く機会を作れればと思っています。

 

 

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dito

島系男子

1990年、神奈川生まれ。島とメディアをこよなく愛する25歳。