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ナチス時代の国民車がサブカルチャーの象徴になるまで 「ビートルの戦後史」

戦後の日本において、もっとも人々に愛された輸入車「ビートル」。
今回はビートルが作った歴史に迫るべく、自身も1975年式のビートルのオーナーであるという、フォルクスワーゲングループジャパン広報の池畑さんにお話を伺いました。

 

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−ビートルが日本で販売され始めたのはいつ頃ですか?

 

池:1952年、当時のVWの社長ハインリッヒ・ノルトホフが、極東アジアにおける商売の可能性がないかという事で、2台の「Type1 ビートル」と2台の「Type2」を持って、販促プロモーションに訪れました。このプロモーションは非常に好評で、1953年に正式に日本での販売が開始する事になります。

 

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▲日本で販売が開始されたビートル © Volkswagen Group Japan K.K.

 

−そもそもビートルの誕生には戦時中のドイツが深く関わっていたと聞きます。

 

池:まだ第二次世界大戦が始まる前、当時ダイムラー・ベンツにいたフェルディナント・ポルシェ博士が、広く国民に普及するような「国民車」を作りたいという夢を持っていて、当時のナチ党が掲げた「ドイツ国民車構想」に参加し、車の開発が進んだという背景があります。
その後、ポルシェ博士はビートルの原型となる「VW38」というプロトタイプを完成させます。

 

Der Aufsichtsratsvorsitzende des VW-Konzerns Prof. Dr. h.c. Ferdinand K. Pi ch wird 70 Jahre alt/1949, Ferdinand Porsche mit seinen Enkelkindern Ferdinand Pi ch (rechts) und Ferdinand Alexander Porsche, in der Hand hat er ein Modell des Porsche 356 Nr.1
▲ビートルのプロトタイプ「VW38」を開発したフェルディナント・ポルシェ博士(中央) © Volkswagen Group Japan K.K.

 

−しかし、直後に第二次世界大戦が始まってしまったというわけですね。

 

池:そうなんです。基本設計が非常に優れていたビートルのプロトタイプは、残念ながら水陸両用車であったり、装甲車であったりと戦争に使われる車に変えられてしまったのです。

 

−戦後ビートルが復活するまでにはどのようなエピソードがあったのでしょうか。

 

池:終戦後、ビートルのプロトタイプを生産する為の工場は、空爆の被害を受けていたものの、他の軍需品を作っていた工場と違い、操業を禁止されていませんでした。

 

そこで、戦後ドイツを占領していたイギリス軍の需要を満たす為に、キューベルワーゲンというビートルをベースにした軍用オフロード車両の生産を計画するのですが、部品調達の関係などを理由に月4000台の生産計画を断念し、代わりに民間用に設計されたビートルが生産される事になります。

 

−ここで我々の知っているビートルが誕生する、と。

 

池:一つの時代の始まりですね。そして、誕生したビートルはあまりに優秀な操作性、整備性だったものですから、瞬く間に世界中の足になっていく訳ですよね。そして、1949年には輸出用ビートル「エクスポートモデル」が生産され、フォルクスワーゲンの会社自体が勢いに乗ってきました。

 

一方、終戦後の日本はアメリカに統治され、1949年の自動車生産制限が解除されてからもしばらく後も自由に車を作れない状況が続きました。そんな状況の日本でビートルが売れるかどうかの検証が、1952年の販促プロモーションだったのです。

 

−販売開始後、日本ではどのような人々がビートルを買っていったのでしょうか。

 

池:終戦後の日本では外貨規制があったので、輸入車を買うというのは高嶺の花だったと言えます。1952年当時は多くの国産メーカーが外国車のノックダウン生産をようやく始めた時代で、国産車の生産も本格的に行われていなく、車自体が凄い存在だったと聞いています。なので、販売開始当時は、限られた大企業の社長さんやお金持ちが買っていったそうです。

 

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▲ビートルが店頭にて販売される様子 © Volkswagen Group Japan K.K.

 

そんな時代の中、販売当初は当時進駐していた米軍の将校や軍人がビートルを買っていく事があったそうです。先ほど述べた通り、外貨規制もあって、360円=1ドルの時代が長く続きましたので、あのビートルが安価で買えるということ日本で購入し、自国に持ち帰るアメリカ人が沢山居たそうです。

 

面白いエピソードですね。(笑)

 

池:これが60年代になると大企業の社長が高級車であるベンツに乗り、副社長以下が比較的安価なワーゲンに乗るという形に変わっていったそうです。

 

また、始動性の良さから患者の元にすぐ駆けつけられるという事で、お医者さんの間でドクターカーとして評判が上がりました。
この頃から多くの人がビートルに接する機会が増えてきた事から、「ビートルは凄い車だ!」というのが人々の間で広まっていきました。

−人気が広まったのは、やはり口コミの影響が大きかったのですか?

 

池:もちろん口コミが広まったのもあったのですが、ビートルは基本的に大きなモデルチェンジがなく、息が長かった事。それから、70年代に入ると10年や15年落ちのビートルが中古車市場に大量に出回っていたことに加え、アメリカで生まれた数々のサブカルチャーの影響も大きかったと言えます。それゆえ、当時の若者達が「憧れのビートル」に乗り始め、一斉に大ブームが起きました。

 

現代のビートルカルチャーが固まったのもこの頃でしょうか?

 

池:今のカルチャーのベースになっているのは間違いなく70年代でしょう。
70年代中頃というのは、丁度サーフィンブームに代表されるように、カルフォルニアなどのサーフカルチャーを取り上げた「ポパイ」などの雑誌が大流行し、西海岸の香りが一気に入ってきた時期でした。
その雑誌に乗っていた「カルフォルニアではビートルをこんな使い方をする」「こんなカッコイイシールの貼り方がある」というのが、西海岸に憧れを持つ人々にモロに刺さったのでしょう。結果、ビートルは当時のファッションとして定着しました。

 

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photo by The Pug Father

 

−車単体ではなく、一つのカルチャーとしてビートルは世間に受け入れられたのですね。

 

池:ビートルほどカルチャーを作り上げた車はないと私は思っています。
普通の車ではなく絵になる車を探している人は、ビートルやワーゲンを所有する事に自分のステージを置いている、そんな気がしてなりません。

 

−なんとなく分かります、その気持ちは(笑)

 

池:そうでしょう?一度ハマったら抜けられない沼のようなものですよ。特に、ビートルは(笑)

 

−現行モデルでも「ビートル」の名前がついた車が売られていますね。

 

池:ビートルファンの方々が沢山いるおかげで、ビートルに対する思いは継承され続け、1999年に発売された「ニュービートル」や2012年に発売された「ザ・ビートル」に繋がっているのだと思います。

 

次回記事ではワーゲン愛に満ち溢れた池畑さんに、フォルクスワーゲンブランドの持つ魅力について語って頂きます。

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dito

島系男子

1990年、神奈川生まれ。島とメディアをこよなく愛する25歳。