どうしてこんなに、生きづらいんだろう。
周囲と違う道を歩むことが怖い。いつも周りの目を気にして疲れてしまう......。

もし、大切な人からそんな悩みを投げかけられたら。このインタビューを終えたばかりの今の筆者なら、きっとこう答えるだろう。

「自分がしたい方を素直に、選んでごらん。まずは小さな日常の選択から」

この言葉を教えてくれたのは、100ヶ国を目指して世界一周の旅を続ける、角谷 法子(すみや のりこ)さんだ。

周りの空気を読むことに必死で、自分自身の感情を押し殺して生きていた、と過去を振り返る。

「でも、自分の気持ちを後回しにするのを止めたら、生きることが楽になりました」

朗らかな笑顔で肩の力を抜き、自身の変化を話してくれた。周囲の顔色を伺ってばかりいた少女が「人生は、楽しんでいいんだ」と思えるようになった人生の旅路は、どんなものだったのだろうか。

貝津美里
人の想いを聴くのが大好物なライター。生き方/働き方をテーマに執筆します。出会う人に夢を聴きながら、世界一周の取材旅をするのが夢です。

「ふつう」になりたい。

「学生時代は、周囲から『変わっているね』と言われることが多かったです。みんなと同じじゃない。ふつうじゃない。そんな自分がコンプレックスで。生きている意味がわからない、と思うこともありました」

そう、生きづらさを抱えていた過去を、打ち明けてくれた法子さん。具体的に、周囲の目にはどんなところが「変わっている子」に映ったのだろうか。静かに耳を傾けた。

「いわゆる「良い人生」と言われる決まったレールに乗ることに興味がなくて、価値観が周囲とズレていたんだと思います。高校生の頃は、クラスメイトがなぜ“良い”大学へ行きたがっているのか、理解ができませんでした」

「進路面談のとき。担任から、興味もない教師になることを勧められたことがありました。きっと、先生なりに一つの正解を提案してくれたんだと思うんです。勉強ができないわけじゃないんだから、少しでも偏差値の高い大学に行って、安定した職に就け、と。でも、なんでそれが“良い”のか、全くわからなかったんですよね」

そもそも「良い」ってなに?そんな疑問に顔をしかめる、制服姿の法子さんを想像する。でもここで一つ、ふと疑問が浮かんだ。なぜみんなが求める「良い」人生に興味を持たなかったのだろうか?

「幼い頃からよく父に『良い学校・良い会社・良い結婚をしなくてもいい。死ぬときに後悔しないように生きろ』と言われて育ったからだと思います』

素敵なお父さん! と、思わず笑みがこぼれる筆者。

「でも、だからといって、『自分は、自分でいい』と割り切ることまではできなかったんですよね。ただただ、自分と周りの価値観の違いに、生きづらさを感じるばかりで。『変わっている』と言われる度に『ふつうになりたい』と思っていました。さらには『ふつうになれない自分はなんてダメなんだ』と責め続けて。自分の感情を押さえつけることが癖になっていきました」

父からもらった言葉を、大事に胸にしまって成長した法子さん。だが、同調圧力の強い学校生活のなかでは「周りと違うところが、自分らしさである」と捉えることは難しかったのだ。

周囲に合わせた立ち振る舞いは、知らぬ間に身体に染みついていく。次第に「自分がどうしたいか」ではなく「周りはどう思うか」ばかりを気にするようになっていったという。

生きる意味は、「いつか、世界へ旅に出ること」

先生やクラスメイトが“良い”とする人生を選ぶことへの違和感はあれど、周囲と違う道でやりたいことも見つからない。「自分の気持ち」がわからないまま、とうとう卒業後の進路を選び取ることができなかった。

フリーターとして1年間過ごした後、就職。電車に揺られ出勤し、仕事をこなし、帰宅をする。淡々とした過ぎていくだけの毎日に「このままでいいのかな……」と、モヤモヤする感情は常にはあった。

だが、ある日を境に、彼女の日常は一変する──。

「会社のデスクに置かれた『世界の絶景カレンダー』に目が留まったんです。『こんな綺麗な景色があるんだ……。世界には、こんな場所があるんだ! 』と、みるみるうちに引き込まれて。来る日も来る日も、夢中になって眺めました」

“行ってみたい” 。次第に、強い意思が心に浮かんだという。

「『世界中を旅したい』。その気持ちが高まり、生きているうちに世界100ヶ国を制覇したい、と明確な目標を立てました。すると、生きる気力が湧いてみなぎってきたんですよね」

誰かに押し付けられた理想の人生ではなく、「自分にとっての幸せな人生」を目指すスタートラインに立った瞬間、拓けた「生きる意味」。灰色だった世界が、突然パッと明るい彩りで満たされていく。生きる意味がわからない、と下を向く少女の目に輝きを灯したのは『世界の絶景カレンダー』だったのだ。

「海外に行ったこともなければ英語も喋れなかったので、何年もかけ、0から準備を始めました。英語は1日最低1時間〜3時間は勉強して、必死に習得。旅の資金を貯めるために寝る間を惜しんで働きましたね。朝ごはんを食べ、仕事をし、気づけば夜の23時だった。仕事に夢中になっていたら、除夜の鐘が鳴るのが聞こえる。なんてこともあったくらい(笑)。まさに盆も正月もない生活をしてました」

驚いた。自分だったらどうだろう?正直、そこまで頑張れないかもしれない。そう口をあんぐりさせている筆者に構わず、法子さんは続けた。

「夢を追いかける日々は、生きる意味そのものでした。なんのために生きているんだろう、と考えていた日々の中、初めて夢中になれるものを見つけたんです。もう、つらいことがあってもへっちゃらなくらい、楽しかったですね。毎日に張りも出て、朝起きたら『よし! 今日も夢のために頑張るぞ! 』という感じでした(笑)」

宙ぶらりんな目をした少女は、もうどこにもいなかった。カレンダーの中で眺めているだけだった世界の絶景は、自分の目で見てみたい夢となり、それを追いかける日々そのものが、いつしか人生の目的となっていったのだ。

自分を、裏切った代償

夢に向かい邁進する日々。気がつけば、30代になっていた。資金の準備も整い、さぁいよいよ出発!するかと思いきや……。どうしてか、踏みとどまってしまった。

なぜ?あんなにも頑張ってきたのに?純粋な疑問が口をついてでた。

「執着してしまったんです。安定した日常に。仕事も軌道に乗り、順調にキャリアを積んでいました。友達は結婚・出産・子育ての真っ只中。仕事を辞めれば、きっとキャリアを積んでいる同僚には先を越されてしまう。そうなったとき、私ってどうなっちゃうんだろう? あれこれ考えるうち全てを手放して旅に出ることが怖くなってしまったんです」

充実した何不自由ない日々を手にしていた法子さんは、無垢に夢を追いかける自分と、現実を見つめ世間体を気にする自分との狭間で葛藤を抱くようになっていたのだ。だんだんと、夢と向き合えなくなっていき、ついには旅に出たい気持ちを抑え、仕事に励む道を選んだという。

「求められているのだから、期待に応えたい」。自分に言い聞かせた法子さんは、自分よりも場の空気や周囲の気持ちを優先させる少女に戻りかけていた。

「仕事に打ち込むことで、旅に出たい気持ちをかき消そうとしていました。でもある日、突然スイッチが切れたように無気力になってしまったんです。自分の心に嘘をつき続けた生活に、身体がついていかなくなってしまいました」

ストレスが要因で免疫力の低下を招き、頻繁に風邪をひくように。自律神経失調症、歯根嚢胞、蓄膿症、過敏性腸症候群と、立て続けに病にかかってしまう。1ヶ月に支払った医療費が10万円を超えた月もあったという。地獄のような日々。

「ベッドから起き上がることができず、『このまま死ぬのかな』と呆然と思いました」

もう一生元気になれないのでは?このまま大きな病気になってしまうのでは?そんな不安が頭をぐるぐると巡ったそのとき、はっきりと浮かんだ意志があった。

「旅に出たい」

食欲もなく、睡眠薬がないと眠れないほど体調は悪化していた。それでもなお、「旅に出たい」という欲は、法子さんの身体から消えてなくならなかったのだ。そしてそのことに一番驚いたのは、法子さん自身だった。

「どれだけ旅に出ることが自分にとって大事な夢なのか、思い知らされました。『あの絶景を見ないまま、死ねない』と、焦りがじわじわと身体を覆い尽くすようでした」

いてもたってもいられなくなり、考えるより先に心が動いたのだろう。会社に辞表を出し、住民票の手続きをし、ビザを取り、予防接種を受けた。出発日を決めるまでにそう時間はかからなかった。

「きっと私は、旅に出るために生まれてきたんだ」

心の底から湧き出る旅への執念に、そんな確信が頭をよぎったという。自分の心に素直になりたい。自分と向き合った先、やっと夢への切符を掴むことができたのだ。

心の声に従う日常は、生きやすかった

念願だった世界一周の旅に出る、という夢を叶えた法子さん。旅のなかで気づいたのは、「NOとはっきり言えない自分へのもどかしさ」だった。

「日本人は、相手の表情や仕草、声のトーンなど細かい感情を読んでなんとなく察してくれたり、配慮してくれたりしますよね。それで会話が成り立つから、はっきり断る必要がなかったりする。でも海外では空気を読む文化がないので、言葉の背景まで汲み取ってくれないんです。

『YESなのかNOなのか、あなたはどうしたいの?』と聞かれたとき、言葉に詰まってしまう自分がいて。NOと言ったら相手に悪いかな。この場の空気が悪くなるかな。そんなことばかり考えてしまう。いかに今まで、周りに合わせ空気を読んで生きてきたのか、思い知らされました」

そう言われてハッとしたのは筆者だった。確かに。日本では「本音と建前」という言葉があるように、相手の感情の機微を読んでコミュニケーションをとる文化がある。それに助けられ、ときには流され、自分の選択を決めていることもきっとあるのだろう。日本人とだけ接していては気づきにくいことだ。

旅で法子さんの価値観を変えた、あるエピソードを話してくれた。

「エジプトに滞在していたとき、宿にいたアルゼンチン人女性から、みんなで海に行くから、一緒に行こうと誘われたんです。『私、泳げないんだよね』とやんわり断ったのですが、察してもらえず(笑)何度も誘ってくるんです。もしかしたら男性ばかりのメンバー構成が嫌で女性の私に付いてきてほしいのかな? と気を遣い、結局は誘いに応じました」

ところが次の日、集合場所に行くとあれだけ誘ってきたアルゼンチン人女性はいなかった。え?なんで来ないの?他のメンバーに聞いた法子さん。返ってきた答えは、まさかの理由だった。

「『ネット通販で安売りセールが始まっちゃったから、来ないって』。そう言われたんです。もう衝撃でした。え!?誘ったのそっちじゃん!って(笑)。

自分の気持ちよりも、周りの空気や人間関係を優先して生きてきた自分にとって、忖度をしない・空気を読まない外国人とのコミュニケーションは、価値観を揺さぶられる体験そのものでした」

笑いながら、でもしみじみと語ってくれた法子さん。

ある日、宿で出会ったフランス人に、日本人はなかなか相手にNOが言えないんだよね、とこぼしたときのこと。聞けば、フランスでは自分の意見を論理的に伝えられることが自立の証だという。「意見をはっきり言えない人は子どもだと思われるか、下手したらバカなやつだと思われるよ」という彼の言葉に、呟いた。

でも、日本は違うんだよ……。その瞬間、不思議そうに顔を覗き込まれ、問われた。

「心から嫌なことをされても、本当にNOって言わないの?」

「そのひと言が棘のように胸に突き刺さって。ハッとしたんです。NOと言いたいけど言えない。その積み重ねが、どれほど自分の心を傷つけてきたのだろう、と。周りの顔色ばかりを伺って、その場で最適な振る舞いをすることばかりを考えて生きてきた。でもそれって、自分に対してすごく失礼な生き方をしてるんじゃないか?って思ったんです」

「変わっている」と言われることが嫌で、周囲に合わせて過ごすことが当たり前になってしまった高校時代。世間体を気にして自分の気持ちに嘘をつき、旅に出る夢より仕事を優先させてしまった会社員時代。

自分を大切にできなかった出来事が、鮮明に蘇ってきたのだろう。

それからは、場の空気に合わせず、自分が心からそうしたいと思う方を選ぶよう心がけたという。

「『今日は自炊する?レストランに行く? 』『みんな観光地に行くって言っているけど、本当に行きたいの? 』そうやって、どんな小さな行動ひとつでも、心がYESと言うほうを選ぶことにしたんです。周りの顔色を伺ったり、その場の空気を読むことをやめました」

一見、外からはわからない小さな努力の積み重ね。でも確実に法子さんの内面は変化を遂げていった。

「自分の気持ちをはっきり言えるようになったら、生きることが楽になっていきました。自分との信頼関係が築けて、安心感で自分を満たせるようになったんです。自分の気持ちを後回しにする生き方は勿体無い。堂々と、したいことを選んでいいんだと思えるようになりました」

嬉しそうに話してくれた。生きていることが楽しい、と言わんばかりに。自分が本当にやりたいことであれば、困難な状況でもきっと乗り越えられる。仮に乗り越えられなかったとしても後悔はしない。そんな根拠のない自信も生まれたと話す。

現在、渡航した国は80ヶ国。一時帰国をし、自宅にいる時間がほとんどだという彼女は、これからどんな生き方を選んでいくのだろうか。

「正直、旅を通じて成長したいとか、旅の経験を将来に活かしたいって気持ちはないんですよね。旅をしている最中も、今を全力で味わい尽くすことだけに集中していました。だって、先のことはわからないじゃないですか。自分も世界も、刻一刻と変化しているのだから。それなら心の声に従って「今この瞬間を楽しむ」ことのほうが大事なんじゃないかって思うんです。その選択の積み重ねが、自分が描きたい未来そのものですね」

「変わっている」と言われ、生きづらさを抱えていた学生時代。世間体、場の空気、相手の顔色、それらを気にして生きてきた自分に気づき、心の声に従って生きることを選んだ旅路。法子さんにとって旅は、自分らしさを取り戻すための人生そのものだったのかもしれない。