京急本線の雑色駅から徒歩5分。街の中心を走る大通り沿いに、町工場のような空間がある。

開放的な入り口から見えるのは、内側が光る銀色の筒と、その中に長い棒を差しこむ人の姿。次の瞬間、棒が取り出されると、先端にはマグマのように赤くうごめく物体がついている。棒の反対側から息が吹き込まれると、それはぷくりと膨らんだ。——吹きガラスだ。

ここは、「東京ガラス工芸研究所」。吹きガラスをはじめ、切子やサンドブラストなど、さまざまなガラスの加工技術を教える、創立40年のガラス専門学校だ。著名人や企業とのコラボ企画など画期的な取り組みを次々と手がけ、業界内外から注目を浴びる集団でもある。

さぞ革新的な人物がリーダーなのだろう。そう思って代表理事の大本研一郎さんに行動力の源を尋ねると、意外にも大本さんは、恥ずかしそうにこう語った。

「僕の最終的な目標は、山にこもって黙々とガラスづくりをする生活なんです」

山ごもりを目指している人が、こんなにも挑戦を重ねる理由はなんなのだろう?

坂口ナオ
東京都在住のフリーライター。2013年より「旅」や「ローカル」をメインテーマに、webと紙面での執筆活動を開始。2015年に編集者として企業に所属したのち、2018年に再びライターとして独立。日本各地のユニークな取り組みや伝統などの取材を手がけている。

潰したくない、その一心で経営を引き継いだ

「実は、この学校をたたもうと思っています」

先代の理事からそう聞かされたのは、2012年の年末のこと。生徒数の減少による経営難の中、前年に起きた震災の影響で委託事業が次々と契約解消になり、学校は多額の借金を抱えていた。もともとこの学校の生徒だった大本さんは、卒業後にスタッフとして働きだし、10年以上もの歳月をここで過ごしてきた。もし倒産が現実となれば、居場所を失うことになる。

「ほかのスタッフは納得したようでしたが、僕は……。『潰したくない』という思いが捨てきれなくて、なんとか道はないかと探り始めたんです」

さっそく、経理をしている同期に人件費やガス代、賃料などを教えてもらった。その数字を見ながら、ここから黒字にするにはどうすればいいかを考え抜き、作成した再建案を提出。先代の答えは「そこまで言うならやってみなさい」。ひとまず一年間、大本さんに経営を任せ、成果を見ることになった。

「経営を引き継ぐことに関してはそこまで不安に思っていなくて。運営方法は分かっていたし、お金の面は計算ができていたので、一年はなんとかなるはずだと思っていました」

大本さんはまず、生徒数に対して広すぎる施設を手放し、その1/3程度の規模の施設に引っ越した。ほか細々としたコストカットに取り組み続け、一年後にフタを開けてみると、状況は改善に向かい始めていた。こうして大本さんは代表から直々に命を受け、経営を引き継ぐことになったのだった。

 

研究所の転機となった、不穏な呼び出し

「引っ越しによる大幅なコストカットのおかげもあり、借金も少しずつ返せるようになってきていました。なので、その場所でしばらく腰を据えてやろうかな、と思っていたんです。でも……」

と、大本さんは顔を曇らせた。引っ越した先の大家さんは、80代くらいの男性。過去に政治家の秘書をしていたり、会社を興したりと、なかなかやり手な人物のようだった。時折大本さんをつかまえては、小一時間経営についての訓示を垂れることもあったという。

ことが起きたのは、引っ越してから3年目の冬。そろそろ賃貸更新という時期に、大家さんの部下から突然「話がしたい」と呼び出しがあった。行ってみるとなぜかカツ丼をごちそうされ、おもむろに「君の会社を買い取りたい」と持ちかけられたという。

「うちの会社は特殊な事業なので『よそに売ればいいお金になるんだよ』と言われたんです。『売ったお金を俺たちで山分けしよう』と。それ聞いてもうびっくりして。そんなことになったらこの学校らしさが失われてしまう、早くこの人たちから離れねばと思ってすぐに移転を決めました」

こうして見つけたのが、今の雑色の建物だ。家賃は倍になったものの、広さも倍になり、駅から近く交通の便もいい。大通りに面しているから、車や徒歩で通りがかった人の目にも留まる。その上ラッキーなことに、ファミリー世帯が多く住む住宅密集地でもあった。

「以前から取り組み始めていた体験教室事業を、ここだったらもっと広めることができると思いました。案の定、夏休み期間には近隣の小中学生からの申込みが殺到し、体験教室は授業と並ぶ事業に成長しました。あのとき引っ越しを決めたことが、大きな転機になったと思っています」

画期的な取り組み、目的は「生徒のため」

東京ガラス工芸研究所が、ガラスの技術を学べる場としての顔だけでなく、コラボ企画などを手がける職人集団としての顔を持つようになったのも、大本さんが経営を引き継いでからのこと。

「先代の頃も、こういう引き合いはたくさんあったんです。でも『うちは学校だから、ほかの会社と組む必要はない』と、来たオファーを軒並み断っていた。その様子を見て、スタッフだった僕はいつも『もったいない!』と感じていました」

オファーを受けることで経営の補助になるのはもちろんだが、大本さんが着目したのは「学生にとってのメリット」だった。

これまで、学生に技術は教え込むものの、その技術を社会でどう活かし生き抜いていくかについては教えてこなかった。しかし、学生のうちから企業案件などに取り組めば、その縁で就職のチャンスを得られたり、仕事を通して「売れる物」とはどういう物かを学んだりできるはずだと考えた。

「十数年前までは、『とにかくガラスをやりたい』という学生が多かったのですが、最近は『ガラスは好きだけど、食べていけますか?』というマインドの学生が増えてきています。だからこそ、技術を身につけるだけで完結するのではなくて、稼ぐ道筋が見えたら彼らにとってもいいだろうなと思ったんです」

間口を広げると、魅力的なオファーが続々と舞い込んだ。「COREDO室町テラス」内のガラス体験教室の立ち上げ・運営補助や、有名ガラスメーカー「HARIO」で扱うアクセサリーの製作、建具メーカーとコラボしたドアノブの製作などなど……。

そうして得た報酬は最低限の経費のみを学校の取り分とし、残り9割は作り手に配分しているという。また、ガラス体験教室の運営補助は卒業生の就職先のひとつとなっているし、受注製作系の仕事は生徒も製作に関わることで将来像を見つける機会となっている。

「現在は、卒業生の作品を集めて販売する事業も始めました。リアルな店舗もオープンして、ガラスを使った何かが欲しいと思った時にここにくれば何でもある、という場所が作れたらいいなと思っています」

根底にあるのは、あまりにもひたむきなガラスへの想い

大本さんが経営を引き継いで、2021年で8年目。さまざまな取り組みの成果か、これまで微減続きだった生徒数にもようやく回復の兆しが見え始めたという。

「原動力としてあったのは、先輩方が大切にしてきたこの場所を守らなければという気持ちと、ひとりのガラス好きとして、同胞を喜ばせたいという想いだけでした。おそらく、単純にすごくガラスが好きなんですよ。その気持ちにシンプルに従って動いてきた結果が今なんです」

その言葉通り、大本さんは、経営者、そして講師として働く傍ら、自身の作品を作り続けた(実は権威ある賞を山ほど受賞もしている)。余暇の時間ですらガラスの個展に足を運ぶほどの熱中ぶりだそう。

「それに、いろんな取り組みをして、ガラスに興味を持ってくれる人が増えることは、山ごもりの夢と無縁でもないんです。だって、山でひたすらガラスを作って生きていくためには、技術力だけじゃなくて、作ったものをほしいと思ってくれる人も必要でしょう?」

「ガラスが好き」。そのひたむきな想いこそが、一度は潰れかけた学校を窮地から救い、ガラスの魅力を世の中に広める幾多のプロジェクトを生んだ。実は、これだけ色々な挑戦をしていながら、授業内容自体は何ひとつ変えていないという。伝統を守り続けることと、そのジャンルを活気づけることは両立するのだ。

「これからやりたいのは、同窓会づくりと後継者育成。今は卒業生の縦のつながりがほとんどありません。活躍している方も多いので、ここをつなげることができればもっと面白いことができるはず。また、山ごもり生活のためにも、後継者を見つけなきゃと思っています。山登りにたとえると、今は7合目あたり。ここから空気も薄く、天候も不安定になり、思わぬトラブルが待っているかもしれないですけど、頂上に向かって頑張ります(笑)」