兪 彭燕
1989年、上海生まれ日本に根を下ろしてはや20年。音楽とサッカーが好き。バイブルはスラムダンクと寺山修二の「書を捨てよ、町へ出よう」

ドキュメンタリー映画、「筑波海軍特攻隊」が8月1日に公開される。戦後70年目の夏、4名の元特攻隊員の方々にインタビューし、多くの証言を集めた本作品の監督・若月治さんに、話を伺いました。

 

 

最初は劇映画がやりたいと思っていた。

‐『筑波海軍航空隊』を撮られる前にも、『新せっけん物語』など社会問題をテーマとした作品を撮られていますが、監督はいつからドキュメンタリーに惹かれていったのでしょうか?

映画が好きで、もともとは劇映画を撮りたいと思っていました。

黒澤明の作品見て凄いなと思っていましたし、劇映画がやりたくて、大学に通いながら、夜間は「アテネ・フランセ文化センター」の映画技術美学講座に通っていたんです。もう40年前になりますが。

そこで、土本典昭さん(1928-2008、水俣病を扱ったドキュメンタリー映画で知られる)と出会ったことがとても大きかったです。

‐土本さんとの出会いによってドキュメンタリーを意識し出したのでしょうか?

そうですね。卒業制作では「東京クロム砂漠」(1978年)という、六価クロムの公害による被害者たちの群像を追いかけて撮りました。

仲間6人で3年間かけて。そのときに指導してくださったのも土本さんで、ドキュメンタリーの面白さを知りました。

 

 

20分の映像から始まった『筑波海軍航空隊』

 ‐本作品は、どのような経緯で撮られたのでしょうか?

最初は、筑波海軍航空隊記念館で上映できるような、筑波海軍航空隊の歴史を簡単にまとめたものを作って欲しいとの話がきたんです。その撮影で出来た付き合いもたくさんあり、せっかくだから映画を作ろう、と。

‐最初は記念館で上映する映像だったとは驚きました。その映像も今回の映画に活かされているのでしょうか?

柳井さん(元・特攻隊員)へのインタビューの一部はそこから来ています。

‐お話をいただいたときに迷い無く引き受けたのでしょうか?

僕自身、最初に記念館での歴史を伝える映像をつくったときは、よくわかりませんでした。

でも撮っていくうちに、歴史だとか、どういう人たちがそこを巣立っていったのかを知っていきました。

僕の親父も、学徒出陣で戦争にいった世代でもあったし、ちょうど親父たちの世代ぐらいの人がここで訓練受けて戦争にいったわけだから、ちゃんと知らなきゃいけないな、と思いましたね。

日本の戦争について深くドキュメンタリーを撮ろうと思いました。

 

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

 

 

戦争の悲しみは癒されないし、憎しみは倍増されていく。

‐どういうことに注意を払って本作品をつくられたのでしょうか?

声高に、戦争はダメですよ、悲惨ですよと大上段に言うのではなく、当たり前に暮らしていた若者たちが戦争に巻き込まれていったときに、何を考えて、どういう決断をして、命を失うことになってしまったのか。

その事実経過をもう一度きちんと検証することが大事だな、と思ったんですよ。

‐その事実経過は広く知られていないのではないか、と思います。

うん。どうしても、特攻隊は文脈として勇ましい話として語られることが多いですから。ただ特攻隊の彼らだって、普通の、今いる若者たちと同じような青春を送っていたんです。

それが、戦争で青春を、命を奪われてしまって、その無念さを一つ一つ拾い上げていくことが必要だと思います。

‐若月さんは以前にも、戦争を題材とした作品を撮られていたのでしょうか?

実は、ユーゴスラビアの内戦のドキュメンタリーをテレビでやりました。

僕たちが取材に行った国は、クロアチアだったのですが、クロアチアとセルビアが戦争をして、ちょうど国連による調停がなされている時期だったんですね。

だけれど、国境沿いのところでは、国境の向こう側に自分たちの家があるけど、まだ帰れない人たちとか、自分の目の前で父親を殺された娘さんとか。

そういう人たちにずいぶん話を聞いてきました。

結局、戦争の悲しみは癒されないし、憎しみは倍増されていくんです。

お互い近所づきあいしていた人たちが、戦争を境に、お互い憎しみあい、悲しみの記憶を残していくことの無意味な虚しさ。

それはユーゴであろうが日本であろうが同じだと思います。

 

 

「戦争は勝ったものも、負けたものも、みんな損しているんだ。」

‐この映画では、特攻隊で突っ込まれた側であるアメリカの視点も入れていらっしゃることが印象的でした。

うん。日本だけが被害を受けたわけじゃないし、日本もアジアに対して暴力を振るっていますし、特攻隊が突っ込んだ側のアメリカでも若者がいっぱい死んでいるわけで、木名瀬さんが言う様に誰も得しないんです。

‐誰も得しない、まさにそうだと思います。

戦争のとき、互いに正義を主張するんだけれども、それを戦争という最終的な解決で押し通してしまうことの無意味さを一番知っているのが、今生き残っている彼らだと思うんです。

彼らの言葉というのは、その当時をただ記録するだけじゃなくて、現在に対しての問題提起でもあると思うんですよね、それを、いま、私たちがどう受け止めるかが大事だと思いますね。

 

 

戦争になったとき、あなたはどうする?

 ‐8月1日に順次公開され、今は試写会の最中だと思うのですが、どのような反応をいただきましたか?

柳井さん(元特攻隊員)は、良かったとおっしゃってくれました。

実は、柳井さんは、戦争終わった瞬間に、一切海軍のことや戦争のことを話さなかったんです。家族にもずっと話していなかったみたいでした。

‐ずっと話してこなかったんですね。

やっぱり生き残ってしまったことに対する悔いみたいなものがあると思います。

生き残った人たちは生き残った人たちなりの痛みや苦しみを抱えながら、生きているんじゃないかと思います。

‐本作品の構成はどのように考えていったのですか?

お話をとにかく聞きました。みなさまのお話は、どれも個性的だったので、面白かったですね。

‐早稲田を出られた橋本さん(元特攻隊員)は、「司令官は、後から自分もいくと言うけれども、いかないんだよ!」とおっしゃっていましたね。

やっぱり、彼らの中に収めこまれている怒りみたいなのはあって、結局犠牲を受けるのは末端の兵隊たちですよね。

学徒出陣であったり、一般の兵士であったり。戦争を決めるのは上の方でも、実際に被害を受けるのは、彼らのような若者や一般市民であることが圧倒的に多いわけですから。

‐特攻隊は、ボタンを押しながら突っ込んでいって、そのボタンを押す音が途切れたら死んだということなんだ、という証言は衝撃でした。最後に、この映画をみる人たちへのメッセージをお願いいたします。

単に可哀相だというセンチメンタルな気分だけでこの映画を観るよりは、「あれ、もしかしたら今でも起こりえるんじゃないか?」「戦争になったときに自分はどう判断するのか?」ということを考えながら、この映画を観て、彼らの言葉に向き合って欲しいと思います。

そして、感想を多くの方から聞きたいなと思いますね。

 

 

OLYMPUS DIGITAL CAMERA