世界を舞台に活躍する起業家の瞳は、少年のようにキラキラと輝いていた。話を聞きながら、その瞳に吸い込まれそうになる。

「おばあちゃんに電車で席を譲るのと同じですよ。席を譲って『ありがとう』と言われると嬉しいじゃないですか」

無邪気に笑いながら語るのは、アフリカ・セネガルを拠点に西アフリカへ電気と通信を届ける起業家の佐藤弘一さんだ。

ゆったりと構え、世界を見渡す。前へ前へと進み続ける佐藤さんの現在に至るまでの半生に、思わず目を見開いた。

すべては"挫折"から始まったと、自身の弱みも赤裸々に語る。

就職活動を前に不安な表情を浮かべる就活生へ。「社会人なんてこんなもんだ」と自分を納得させながら必死に毎日を送る若者へ。不安定な時代だからこそ、こんなふうに「我がままに」人生を楽しむ“格好いい大人”もいるのだと、糧となる言葉を届けたい。

貝津美里
人の想いを聴くのが大好物なライター。生き方/働き方をテーマに執筆します。出会う人に夢を聴きながら、世界一周の取材旅をするのが夢です。

ときめく「自分の気持ち」を信じてフランスへ

佐藤さんの国境を越えた紆余曲折なストーリーは、大学受験に失敗した「挫折」から始まった。

仕方なく高卒で入社したIT企業で、不平不満を言いながら働く上司を見て「あんな40歳になりたくない」と早々に退職。その後、バックパックで世界中を巡った旅の末、選んだのはフランスでの役者生活だった。

「瞳の瞳孔が開くような、自分のときめく気持ちを信じたからです。フランスに決めたのは、単にフランス語の響きが好きだったから。『なんか楽しそう!やってみたい!好き!』その感情に従っただけなんです」

瞳をキラキラさせ、そう当時を振り返る。ここで、小さな疑問が浮かんだ。はて、それ以前から役者になりたかったのだろうか。

「『なりたかった」』のではなく、やってみたかったんです。大物俳優に『なりたい』のと役者を『やってみたい』は、別物。私はただ、やってみたかった。そこで『周りにどう思われるか?』『やって何の意味があるのか?』『失敗したらどうしよう』『自分に才能なんてないし』って思う人もいるかもしれないけど、それって考える必要あるかな?やりたい気持ちに他人の評価は関係ありません。

例えば画家だって、食べていけなくても好きなら描けばいいし、著名でなくても個展は開けます。そこで1人でも喜んでくれる人がいたら、良いじゃないですか。嬉しい成功体験だと思うんです。次に繋がるご縁が生まれることもある」

職業を最後まで突き詰めなくても「やってみたい」なら、やればいい。そんな0か100かで考えない物差しに、ハッとさせられる。「なる」ことが目標でなければ、案外軽やかに最初の一歩を踏み出せるのかもしれない。

そして、佐藤さんにとってはその軽やかな一歩が、20年間に渡るフランスでの移住生活の幕開けだった。その後は“縁”としか言いようのない繋がりに導かれ、役者、会社員、起業家へと転身を重ね、飛躍を遂げていくことになる。

20代で何も持たずフランスへ渡ったときの「ときめく気持ち」を信じた結晶が、現在の佐藤さんをつくっているのだ。

 

もともとは他人を気にするタイプだった

日本では「炎上」が常に隣り合わせだ。素直な気持ちを表現して炎上したり、周囲から距離を取られたりする。そんななかで生きていると、自分の気持ちを押し殺してしまったり、表現することが怖いと思ったりする人がいて当然なのかもしれない。

佐藤さんは人の目を気にせずに行動できたんですね、と聞くと、苦笑いしながら佐藤さんは首を振った。

「実は私も、他人の目を気にするタイプで。こう見えて繊細な性格なんですよ。SNS発信も頻繁にしていますが炎上は怖いですし。人前で話すことも苦手です」

はにかみながら、明かしてくれた。だから悩んでいる方の気持ちもよくわかります、と。では、どのようにして他人の目を気にせず「やりたいことをやる」自分になれたのか。なんとか糸口を掴みたいと、訊いてみた。

「ひとりでは難しかったら、仲間をつくるといい。肯定しあえる仲間です。フランスには褒め合う文化が根付いていて、相手の主張に対し否定から入る人はほとんどいません。肯定や尊重される環境では自分の意見も言いやすいですし、自分の感情や気持ちを大事にできるようになります。自分の可能性を信じるパワーが生まれてくる」

例えばね、と佐藤さんは笑いながら続けた。とある国の大使が夕食会の後、口笛を披露し始めたときの話だ。

「楽しそうに口笛を吹く彼に、なぜ口笛なのかと聞くと、『駅前で口笛教室を見つけ、面白そうだから習ってみたんだよ!』と。彼の頭のなかには、口笛なんて習ってどうするんだとか、周りからどう思われるか、なんて他人の目は存在しないんですね。自分がどう思うか。「やる」「やらない」の判断基準はただそれだけです。

もし今、周りにそういうことを肯定しあえる人がいないのなら、自分から出会いに行くといいですよ。興味のあるイベントに顔を出して、初対面の人と話してみるとか。自分にできることから少しずつでも始めると世界は確実に変わっていきます」

佐藤さんの笑顔に、ほっとした。そうか、佐藤さんが特別なわけではないのだ。ただ、他人の目を気にしてしまう自分を責めなくていいと気付いただけ。必要なのは、やりたいことを肯定しあえる仲間を見つけ、「気にならない」環境を築くこと。そうした積み重ねが、自分の手で道を切り拓く力になっていくのかもしれない。

 

「安定志向」だから、変わり続ける

フランスでの役者生活のあと、個人でパソコン修理をして生計を立てていた縁から大手IT企業へ現地就職をした佐藤さん。役者の下積み生活から一転、安定した会社員生活を手に入れた。しかし、20代に抱いていた「フランスに来たからには何かを成し遂げたい」「自立して生きていきたい」との想いが再燃し、フランスで日系総合ITシステム会社の起業を決意する。

現在は日本、アフリカ・セネガルでも起業し、変化を重ね続ける佐藤さんは、唯一無二の存在として輝いて見える。肩書や国境にこだわらず、変化し続ける理由。それは、不安定な世の中における「安定」の意味を問うたときの選択だった。

「安定志向だから、変化し続けるんだと思います。安定とは何か?現在の日本では、安定の定義を改めて考え直す時代に突入しつつあるように思います。

とりあえず会社に行けば毎月口座に給与が振り込まれる生活が安定なのか。それとも、もし仮に家族や仕事を失い、充実した日本のサービスが提供されなくなったとしても『生き残れる自分』であることを、安定と捉えるのか。

私にとっての安定は、後者です。『唯一生き残ることができるのは、変化できる者である』とダーウィンが残した言葉のように、生き残って家族と安定した生活を送りたいからこそ、変化をし続けています」

現代の日本では、多くの社会問題を抱えている。少子高齢化・年金問題・待機児童問題など、連日の報道に親や祖父母の時代と同じような社会保障が受けられないかもしれないと不安定な将来に危機感を抱く若者は多い。

「日本は情報も豊富で、インフラも整っているし、治安もいい。でもこれからの時代、『用意された中でしかできない』と言っていては、立ち行かなくなる可能性は0ではないですよね。

本当の意味で安定を手に入れたいのなら、『自分にできることを組み合わせ、仕事を生んでいく力』を若いうちから身につけておくことが必要だと思います」

実際、佐藤さんも何のつてもなくフランスに渡り、自らの手で生きる日々をつくってきた。お金がないときはアルバイトでも何でもした。フランスで起業後すぐにリーマンショックに見舞われたときは全く仕事がなく、地獄のような日々だったと話す。

今の日本を生きる若者へ伝わってほしいと、熱く語るときの力強い眼差し。ご自身のご経験から湧いて出てくる想いなのだろう。安定はどこかへ転がっているものではない。自分が今すでに持っているものに目を向け、どう活かしきるかを考える。

もしそのための知見や知識が足りなければ、何歳からでも学べばいいと話す佐藤さん自身も高卒で働き始めたがゆえ、スキルを磨き始めたのは社会人になってからだという。フランスで起業後に経営について学びたいと気持ちが強くなり大学へ。

卒業後は事業拡大へ向けビジネススクールに通い、周りと切磋琢磨しながらレベルアップを図った。そうした努力を絶えず積み重ねたその先に、誰にも奪われない安定が手に入るのだ。

 

「おばあちゃんに席を譲るのと同じ」アフリカ事業の原動力

佐藤さんが今、注力しているのが、アフリカ・セネガルを拠点に西アフリカへ電気と通信を届ける『TUMIQUI(ツミキ)プロジェクト』だ。電気が通らない真っ暗闇の病院で出産がおこなわれ命を落とす母子がいると知り、頭を殴られたような衝撃を受けたという。

フランスで経営していた会社を譲ってまで、なぜアフリカで事業を行おうと思ったのか。聞くと、しばらく沈黙のあと、なんてことないといった明るい声で語った。

「おばあちゃんに電車で席を譲るのと同じです。席を譲ってありがとうと言われると嬉しいじゃないですか。病院に灯りがあるだけで、死ななくて良い命が助かる。赤ちゃんが無事に生まれてくる。そんなの、やっていて楽しいに決まってる。だから「やりたい」んですよ。TUMIQUI(ツミキ)プロジェクトをやる理由はそれだけ」

フランスで会社経営しながらボランティアという形を取ることもできたはずなのに、なぜ起業したのか。その理由は、佐藤さんが目指す“創りたい世界観”と繋がっていた。

「ビジネスでやる理由は、現地で雇用を生むためです。やはりお母さんが路上でピーナッツ1個100円で売る生活じゃあ、生活は厳しい。それが、1000円、1万円になったらどうでしょう。子どもに習い事を通わせられたり、大学に行かせられるかもしれません。さらにビジネスとして成功すれば、私たちが次に解決したい課題への投資も叶えられる。そうやって良い循環を生むエコシステムをつくりたいんです。

私は、この世に産まれたからには何か役割を果たすべきだと思っています。それが、”使命”と言うのかもしれない。私にとっての使命は『おばあちゃんに電車で席を譲る』感覚と同じように、世界中で起こるあらゆる課題を解決すること。

泣かなくていい人を、この世界からひとりでも減らしたいです」

 

何に怯えていたのだろうか。取材を終え、私の心に浮かんだ言葉はそれだった。

先行きの見えない社会に不安を抱く気持ちは、いつの時代も、国境を超えても、同じなのだ。それならば、自分の「ときめく気持ち」を信じ、変化に躊躇わず生きるほうが人生はずっと楽しくなる。その矛先が、「相手の幸せのため」であれば、より一層人生は豊かになる。

波乱万丈でありながら、楽しそうに自身の人生を振り返る佐藤さんの瞳に「こんな大人になりたい」と心躍った。これからどんな人生を歩もうか、そんなことを考えながら興奮冷めやらぬまま帰路に着いた。