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映画『なごり雪』舞台で「大林組」映画作りに行ってきた(前編)

大林宣彦監督のふるさと・広島の尾道を舞台にした映画『転校生』『時をかける少女』『さびしんぼう』は、「尾道三部作」として親しまれ、幅広い世代が今もなおロケ地巡りで尾道の街を訪れている。

 

現在も精力的に「古里映画作家」として、古里の明日を「映画」でつくろうと日本各地で映画製作をしている大林監督は、今年2月、大分県臼杵市でひとつの短編映画を撮影した。その驚きの映画制作現場に、70seeds編集部スタッフが潜入。濃密で贅沢な、2日間の体験を、お届けします。

 

 

参加費「無料」の映画づくりワークショップ

 

「大林監督の映画学校が、大分県の臼杵で開催されるらしい」との話を耳にしたのは、昨年の秋。
別府や湯布院とは異なる魅力が溢れる映画の街・臼杵が一体どんな街であるのか。
期待を膨らませながら、「大分行き」と真っ白な2月の手帳に予定を書き込んだ。
「古里映画」を教科書にした「臼杵古里映画学校」は、2015年2月13日から15日までの3日間、臼杵市民会館で開催された。映画の上映、市民交流会、映画づくり公開ワークショップ、市長が集うサミットと、映画を肴に豪華プログラムが満載である。

 

2日目に開催された大林組クルースタッフとキャストから直接指導が受けられる「映画づくりワークショップ」の授業料は「無料」。
大分までの交通費が授業料だと考えても、願ってもない経験ができる絶好のチャンスである。

勇気を出して、ワークショップへの参加を申し込んだ。

 

 

名前入りの「台本」が到着

 

申し込み後、すぐに自宅へ台本が届いた。

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脚本は、公募から選ばれた臼杵市民作の長編映画シナリオ『べえが戦争に行った日』を、映画学校の授業用として使用するために、大林監督が短編用に手を加えたもの。

 

女優・常盤貴子さん、須藤温子さん、俳優・細山田隆人さんらの名前が並ぶ中、配役に自分の名前を発見。

 

舞台設定は平成27年8月15日。
戦後70年を迎える今年の夏。
外は今にも雪が降り出しそうな凍てつく寒さの2月、夏服を鞄に詰め込み、大分へ向かった。

 

 

石仏さんがお出迎え

 

大分県臼杵市は、人口約4万人の小さな城下町。戦災に遭わず、高度成長期も変わらぬ街を守り抜いた古里である。

 

臼杵駅まで、大分駅から特急列車で揺られること30分。人気の少ない臼杵駅に到着した。

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イルカのカバーで一躍ヒットした「なごり雪」(伊勢正三作詞・作曲)を元に製作された、大林監督の映画『なごり雪』(2002年)の舞台は、一つ手前の上臼杵駅。

 

臼杵に近づくほど、映画の世界へと様変わりする車窓の景色に、胸が高鳴った。つい、ホームで「君」を待つ姿を探してしまう人は、少なくないだろう。

 

そんな旅行者を、「ようこそ」と出迎えてくれる石仏さんに、まずはご挨拶して会場へ向かった。

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「校長」は元臼杵市長、「名誉教授」に大林監督着任

 

今回、初開校となる「臼杵古里映画学校」は、臼杵を「古里としてのたたずまいと心意気が生きつづける街」として守り続けて来た、後藤國利・前臼杵市長が映画学校の「校長」を務め、「古い里にいまなお残る古人(いにしえ)の教えを、映画で学び戻そう」と、大林宣彦監督が名誉教授に着任。

 

政治家、芸術家、協賛企業、実行委員会スタッフとあらゆる「市民」が一団となって作り上げた映画学校だった。

 

映画学校のタイトルに、2015年の課題『9.11から3.11を経て、町残しの古里・臼杵から、明日へ。』とある。
時は遡ること14年前。
2001年に大林監督が臼杵と出逢い、映画『なごり雪』の撮影がクランクインした翌日、米国同時多発テロが発生。

 

「30年前から変わらぬ町」を保存してきた臼杵から、日本の敗戦後の復興のありよう、古里の志を、今一度問い直してみようと大林監督は映画を通じて考え続けてきた。

 

あれから3.11を経て、今もなお数々の「古里映画」を作り続ける大林監督の作品を、この機会に出発点の地で鑑賞できることも贅沢な機会。

 

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いざ、会場に到着すると、映画づくりワークショップは、すでにクランクインしていた。
後編につづく

 

 

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okawa

南国帰りの行動派

1988年、神奈川県生まれ。 大学卒業後マーシャル諸島で3年間働いて帰国。夢はマーシャル人も驚く大家族の肝っ玉母ちゃんになること。