「常識」「普通」「当たり前」

これらの意味ってなんでしょうか。視覚障がいがある人たちが文字起こしをする「ブラインドライターズ」の女社長である私が、ずっと考え続けていることです。

今回のコラムの舞台は、イギリス。歴史ある数々の建物があり、設備としてはとてもバリアフリーとは言い難い国です。私が考えさせられた「完璧な」バリアフリーについて、ご紹介します。

kanako wakui
編集・ライター、少女マンガ研究家。4年ほど前から始めた事業が軌道に乗り、2019年4月に合同会社ブラインドライターズを立ち上げる

イギリスは日本よりもバリアフル?

2週間ほど、イギリスにいました。大英博物館ではマンガ展が開催され、テニスのグランドスラム大会、ウィンブルドンが開催中でして、マンガとテニスを生業にしている私には「イギリスは和久井のためにある!」みたいな感じでした。

 

同時に、ブラインドライターズを運営しているため、イギリスのバリアフリー情報がとても気になりました。ロンドンの地下鉄は世界最古で100年以上の歴史があるそうで、とてもバリアフルです。

 

ホームと車両の距離があったり、高さが違うところもあってMind the gap(足元注意)」どころの話じゃない。大股で電車に乗り込みながら、アスレチックみたいだ、と思うほどでした。

 

しかしエレベータがある駅には、車いすの方への表記があり、すぐに自分が行くべき方向がわかります。これは私のような大きなスーツケースを抱えた旅行者にも、とてもありがたいものでした。

 

ところが、エレベータのない駅も多いのです。乗り換え案内に従って歩いていると、いきなり階段に出くわすことも多かったです。他の経路があるかどうかもわからないので、本を買い込んで30kgくらいに膨れ上がったスーツケースを抱えて、えっこらしょガタン、ふんこらしょバタン、と上り下りするハメになります。

 

そういうとき、たいていの場合に手助けをしてくれる人が現れました。「持ちましょうか?」と声をかけてくれ、男性たちが軽々とスーツケースを運んでくれるんです(女性が手伝ってくれたこともあります)。

 

トッテナム・コート駅に降りたとき、オリエンテーションの最中なのか、おそろいのリュックを背負った中高生たちが何十人も列をなしていました。ちょっと急いでいた私は「邪魔だなあ」と思いながら、その合間を歩いていたんです。

 

そこに長い階段が現れました。仕方なくまた、えっこらしょガタン、ふんこらしょバタン、とやっていたら、後ろから男子がやって来て「お手伝いしましょうか?」と声をかけてくれました。華奢な子でしたが、軽々とスーツケースを上まで運んでくれるんです。好きになってしまうかと思いました……。

 

そして、彼がスーツケースを降ろした瞬間、周囲の仲間からヒューヒュー大きな拍手が沸き起こりました。ヒーロー誕生の瞬間です。こういう経験はきっと、彼にとって何度も人を助ける原動力になるのでしょうね。

 

アレルギーがある方は、注文時にスタッフに原料をおたずねくださいという表示や、サイトにて確認できますといったシールといったように、アレルギー表示もさまざまな場所で見かけました。

 

また、パブに行ったときのことのこと。白杖を持った男性がひとりで飲みに来ていました。その方が帰ろうと立ち上がって、折りたたんでいた白杖を広げていると、サッとパブのスタッフがやって来て店の外までアテンドしていました。日本では、視覚障害のある方が一人歩きすることも珍しいですし、あんなふうにスマートにヘルプができる人もなかなか見かけません。

 

スタッフの方に声をかけてみたところ、「視覚障害者の人はよく来るからアテンドするけど、それがなにか?」とのこと。なぜ私が驚いていたのかわからない様子でした。スタッフの方にとっては「手を差し伸べるのは当たり前」だったのでしょう。

 

もちろん、イギリスがすべてに対して気が利いているかといえば、まったくそんなことはありません。改札内に交通系ICカードのチャージ設備がなく残額不足で出られなくなったり、バスはおつりが出ないので乗車賃分きっちり小銭を用意する必要があります。ホームにある駅名の表示には、日本のように隣の駅名がないので、乗り間違えてもしばらく気づけません。

 

そういう点では、日本のほうが気が利いていると思います。つまり、国によって「持っている常識」がかなり異なるのです。日本を当たり前だと思って海外に行くと、その多くが覆され結構辛いですね。

 

取材で見えてきた日本のバリアフリー

編集・ライターの赤谷まりえさんと一緒に制作した「首都圏 バリアフリーなグルメガイド」(交通新聞社刊)が2019年7月16日に発売になりました。一都三県の飲食店を取り上げ、店内の段差の有無、ドアの形態、テーブルやトイレの設備などの情報を掲載しています。

 

日本は現在、建築法によりユニバーサルデザインが定められているため、新しい建築物にはフラットな床面や多機能トイレの設置が必須です。そのため、古い街並みが色濃く残るイギリスに比べると、バリアフリー化が進んでいるように思います。

 

しかしガイドブックの下調べをしているなかで、いくつかの店舗から「混んでいるときに車いす客は困る」「完璧なバリアフリーではないから掲載はしないで」と否定的な意見が出ました。せっかく設備が整っていても、気持ちがまったくバリアフルなのです。

 

「完璧な」バリアフリーってなんでしょう?

 

イギリスへ行く前、成田に向かっているときも私は駅の階段でえっこらしょガタン、ふんこらしょバタン、とやっていました。そこで手を貸してくれたのは1人だけ。韓国人の男性でした。

 

英語には日本語で言う「頑張る」に相当する言葉がありません。hung in there やgo for it はそのように訳されますが、前者は「逆境に耐える」という意味で、試合に負けているときなどにかける言葉です。後者は「そのまま行け!」といった意味で、試合の応援なら勝っているときに言います。

 

帝京大学の大川清丈准教授によると、日本語の「頑張れ」はとても汎用性の高い言葉で、何かにつけて「頑張って!」と声をかけることができますが、その裏には「頑張れば100点が取れる」という意識があるそうです。「頑張っても50点しか取れなかった」は言い訳で「頑張らなかったから50点だった」と考えます。

 

でも、人の能力はそれぞれ。そもそも不得意なことは頑張ったって100点は取れないのかもしれません。視覚に障がいがある人に「頑張れば見える」、車いすの人に「頑張れば階段は上れる」とは言いません。けれども「何かができないことは、100点を取れないこと」だと考えると、100点が取れない時点で見下されたり、差別につながるとも言えるのではないでしょうか。

 

イギリスで感じたのは「誰でも、何でも、100点満点ではない」という考えでした。100点は取れないのだから、できないことに手を貸すのは当たり前。その代わり、設備も完璧ではないので、助け合うことを前提としてバリアの情報が掲示されています(そしてそれも完璧ではないけれど)。

設備がないなら気遣いすればいいじゃない!

どこかの国の首相が、歴史的建築物のリノベーションをした際に取り付けたエレベーターについて「残念ながら」と発言して話題になっていましたね。

 

ここで、2つの例を出してみたいと思います。ひとつはイギリス王室の別荘であるホリールード城。もうひとつは私邸のハイクレア城です。

 

スコットランドの首都、エディンバラにあるホリールード城は900年の歴史を誇る古城です。その伝統ある城の館内にはにエレベータが設置されています。メアリー・クイーンとその夫ダーンリ卿の寝室を結ぶ細い通路の入口には「この先には25段の階段があります。スタッフのヘルプが必要な方はお声がけを」と掲示してありました。

 

一方で、個人の邸宅であるハイクレア城には、バリアフリー設備はありません。入口に「手押しの車いす、電動車いすは入場できません」と表示されています。ここは公共の施設ではないので、バリアフリーにする必要はありません。しかし「バリアがある」ことが前もって知らされているのです。車いすの方々を無視するのではなく、存在することは当たり前だという意識です。これはとても大事なことです。

 

ハード面のバリアを軽減させるのは、ソフト面である人の気遣いです。実際にガイドブックの取材をする際に印象的だったのは「できることはすればいいのだから、設備が100%バリアフリーである必要はない」と何人もの方が言っていたことです。

 

その「当たり前」は誰にとってのものか

ガイドブックの取材で高尾山へ行きました。ロープウェイは車いす対応だったので、山中にある薬王院までは、ちょっと頑張って漕いだり押したりすれば車いすで登ることができます。そして薬王院から山頂までのルートはふたつあって、片方は階段を含急な坂道、もうひとつは比較的なだらかな道を上るルートです。

 

後者は目立った段差がないため、「車いすでも登れる」という情報もあります。しかし実際に行ってみると、道は舗装されておらずでこぼこで砂利道。ここを車いすで通るのがいかに大変かは、スーツケースを引っ張って歩いたり、ベビーカーを押した経験のある人なら想像がつくでしょう。

 

とてもじゃないけど段差がないだけで「車いすで山頂まで行ける」とは言いがたいのです。そして、石畳の急なスロープの先に、建築法によりユニバーサルデザインになっている建物と多目的トイレがあります。しかしそこにたどり着くまでのバリアの高いこと!

 

これ、めちゃくちゃ矛盾してませんか?

 

一方、階段のついた近道のほうは、ロータリークラブからの援助できれいに整備されていました。木のデッキが作られ、階段があることを除けば、よっぽどこちらの方がスムーズに車いすで走れそうです。

 

バリアフリーに着目してガイドブックを作った身としては、階段のないでこぼこ砂利道のほうこそ整備をするべきではないのか、と思ってしまいます。どちらが正解とは言えません。いろんな価値観がありますし、すべての人に開かれた設備を用意するのは難しいとも思います。

 

でも、自分の「当たり前」「常識」を、少しだけ思いとどまって考えてみて欲しいのです。多く人が通る階段のある急な近道を整備するべきなのか、段差のない車いすが通れる道を整備するべきなのか。もしかしたら後者を整備すれば、そちらに人が多く通うかもしれません。

 

海外に行くと、次々と自分の常識が覆る経験をします。それはとても刺激的で、硬くなった頭にカンカンとトンカチを打ち付けられるような気持ちになるのです。バリアフリーの視点も同じで、一度別の視点を持ってものごとを見てみると、自分の常識が覆るのがわかります。

 

自分にとっての「当たり前」や「常識」は、別の誰かにとっても同じものであるか。そういう視点を持って、多くの人が多様性やバリアフリーを考えるようになればいい、と思うのです。