毎日着ている服。その材料である、布。あたたかい布、つるつるした布、分厚い布。自宅のクローゼットだけでも様々な種類の布地が存在している。その布地たちがどこで作られているか、考えたことはあるだろうか。
日本全国に布地が作られている産地は、約20箇所。その中のひとつである山梨県富士吉田市。高速バス新宿〜富士五湖線で2時間弱。
今回の取材先は、日本の「布地をつくる産業」を、公務員として見守り、地域産業の成長に尽力する、五十嵐さん。「星を見るのが好きだったから、山梨の綺麗な空が好きでね。住み着いちゃいました。」と語る彼が約20年かけて関わってきた、「山梨の布地産地の実態」を聞いた。
産地のブランド力が削られた、受注生産の時代とバブル崩壊。
山梨県富士吉田地区の産地の主商品は「絹織物」だった。「甲斐絹(かいき)」と呼ばれ、作家夏目漱石の「虞美人草」や金子みすゞ「二つの小箱」に登場するなど、当時の風俗のなかに浸透していた様子が伺える。しかし今「甲斐絹」と言われても、ピンと来ない。
「ここまで産地の知名度・ブランド力が弱くなったのは、戦後なんです。問屋がからの様々なデザインの依頼をいかに早く布にして納品できるか、という生産効率が求められたことでOEMという”他社ブランドの製品を受注生産”する体制となりました。当時は、それぞれの工場にオリジナリティが必要とされない時代だったんです。」
(画像:布地の生産には、たくさんの工程があり、その数だけ職人がいる。)
「さらに、産地はメーカーから「うちの商品の布地を作っていると言わないでくれ」だとか、完全に黒子に徹することが求められていたんですね。それが続けば、一般の消費者には産地の情報は届かないですよね。そういう歴史があって、日本の産地はブランド力が削られていったんです。」
高度成長期は日本全体での服飾消費量も増え、かなりの工場が産地で稼働していた。しかし2010年代の今、当時に比べて稼働している工場は9割以上減った。このような状況のきっかけはバブル崩壊だという。
「バブル崩壊後、まず受注量が減りました。海外で生産するアパレルメーカーも増えていきましたからね。しかも布地問屋側に、デザインに関して把握している人材が少なくなり、産地の工場にデザイン提案を求めるようになったんです。たとえば「あのメーカーのデザインに合う色の布を作ってくれ」だとか。」
産地の工場は、だいたい家族経営の零細企業だという。社長自ら営業活動を行うような規模だ。だから専属デザイナーなどいない。けれども問屋やメーカーからの要望に答えなければならない。生産性・効率の追求から、デザインまでも手がける自社発信できる体質への変換を求められ、その変化に対応できない工場は消えていった。今も毎年、いくつもの工場が廃業している。
そのような状況下にある地域産業を、公的な機関として支えているのが、五十嵐さんが勤める山梨県産業技術センター富士技術支援センター繊維技術部である。
シケンジョの役割は「外の力との架け橋」
山梨県産業技術センター富士技術支援センター繊維技術部、通称シケンジョ。地域社会に必要なモノづくりが健全に存続していくことを支えている、山梨県の機関だ。明治38年創設という、長い歴史を持つ。
「私たちは、自分たちのことを”地域産業の社外ラボ”というように思っています。布地の生産工程は、とても細かい分業制なのですが、工場にはいないデザイナー部門を担い、色や形、デザインを検討する工場の職人さんたちのサポートをしています。布地の丈夫さを確かめる堅牢度(けんろうど)試験や、紫外線を当てて色落ちしないかなどの品質試験、布地の織り方を調べる織物分解なども行っています。」
専門用語が飛び交う、まさにラボだ。五十嵐さんはこのシケンジョに所属して約20年。その存在理由は、設立した明治当時と現代では異なる。配属当初は「とにかく自分ができることで産地の方々が喜ぶことはなんだろう」と模索した日々だったという。その中で、行き着いたのは、ラボから飛び出し、外部の力を取り入れるプロジェクトだった。
そのきっかけは、マリメッコなどのデザインも手がけるテキスタイルデザイナー鈴木マサルさんへの展示会ディレクション依頼だった。
「鈴木マサルさんと出会うまでの産地の展示会は、布地をただ並べるだけに近いものだったんです。展示会に参加した産地の工場メンバー達も「俺たちのブースがこんなにかっこいいなんて」とか「今までと同じ技術で作った布地を出しているのに全然違うものに見える」って、「見せ方」の大切さを初めて体感しました。」
さらにこの鈴木マサルさんとの出会いが、産学共同開発企画「富士山(ふじやま)テキスタイルプロジェクト」へと続く。布地のデザインを学ぶ、美大生たちとの出会いだ。
「来てくれている学生たちは、自分たちで糸を染めたり織ったり、布について学んでいるので、職人がやってることが理解できるんです。だから工場では「すごい、すごい!」の連発で、大喜びしてくれます。職人からしたら当たり前のことだから、何をすごいと言っているのかわかってないという点もポイントなんですけど(笑)鈴木マサルさんをきっかけとした、この2つの経験を通して、ちゃんと受け止めてくれる人々に見せれば、魅力やすごさが伝わるんだってことが本当によくわかったんです。」
「山梨県の産地がこのまま知られないまま消えてしまうのはもったいない」。そう思った五十嵐さんはさらにスピードを上げて動き出す。ファクトリーブランドを集めた移動販売プロジェクト、産地の工場をめぐるバスツアー、都内の百貨店での展示販売、大規模展示会への出展。近年では地元自治体もこの動きにシンクロするように全国の産地に声をかけて、産地が一堂に会するフェスも開催している。
「僕らがいつも話を伺う工場の人々に、どうやったら喜んでもらえるか、と考えた時に学生たちを連れてきたら、違う発想が生まれるんじゃないかな、とその重要性を感じて一生懸命に応援しました。僕と企業さんだけでやっていたら今の様々なプロジェクトは無かったと思っています。」
産地が、メーカーと対等になること。
五十嵐さん達が企画するプロジェクトには、産地の中でも、「自分たちで前に進もうとして新しいことに取り組んでいる工場」が率先して関わってくれているという。
「ある傘の布地メーカーの話なんですが…。クライアントは傘メーカー。メイン商品はもちろん傘。百貨店で売る。でも、我々産地のメーカーだって、傘の布地を作っているのだから、自社の傘も作りたいわけですよ。そしてそれを売りたい。でも百貨店に営業に行くと、クライアントと競合してしまう。だから同じ売り場で並べることはどうしてもできないんです。」
となると、自社のブランドを売るにはどうするか。かぶらない催事やイベントへの出店を狙っていった。ひっそりと地道に自社ブランドでの販売を積み重ねてきて、お客さんにも認知されるようになった。
「その結果、嬉しいことに知ってくれている一般のお客さんからクライアントの担当者に『その織物工場で作っているなら、なんでその名前を出さないの?』と要望があったそうなんです。お客さんの方から「日なたに出てきて」って。そうなるとクライアントと産地の職人が対等になるわけです。その話を聞いてすごく「よっしゃ!」って思ったんですよね。」
職人や工場たちに光が当たることで、「よっしゃ!」と叫びたくなる五十嵐さんの想い。ものづくりに関わる人なら、この気持ちがわかるだろうか。
生産ラインの死守が間に合うかどうか
そんな想いを抱える五十嵐さんが向き合う、目下の課題は産地の後継者のサポートだ。織る以外の工程(染める、整経する、特殊加工をする等)をやっている自営業の職人はたくさんいるが、後継者がいない。今年80歳で後継者がいなければそこは数年後にはなくなってしまうだろう。
「糸から始まって布にするという線の工程が、虫食いのように欠けていってしまうかもしれないんでう。線ではなく、完全に点の集合だけになると、産地の規模は、縮小する。その欠けていきそうな部分を、これは私たちシケンジョも一緒に考えていかなければならない重要な課題だと思います。」
今までは、情報発信やマッチングで新しい人との繋がりを増やし、産地に入ってくるお金の単価を、自分の力で決められるようにしてきた。つまり力をつけるフェーズ。各工場は確かに力がついてきてるそうだ。
「そうやって十分に潤っていけば、後継者を取り込むこともできるんですが。大半の工程にはまだ…。それをどうやって間に合ううちにしていけるか、というのが今の僕らの課題です。間に合わせないといけない。」
産地の活性化につなげるためには、シケンジョの活動域も広げていかないと、と五十嵐さんは言う。
「産地のサポートのひとつとして、我々シケンジョ自体が、テキスタイル開発にもっと深く関わっていきたいなぁという野望があります。」
今までの技術では表現できなかった画像処理技術を開発したり、大学と一緒の共同研究。他にない独自の技術とデザインを生み出すことにも意欲的だ。
「個人的に、ムーミンの作家トーベ・ヤンソンの小説の挿絵が好きなんですよ。たとえば月夜のシーン。点描のような白と黒のグラデーションで表現していてとても美しい。そのパターンに惹かれるんですよね。実は、織物のデザインもそうなんですよ。パターンが徐々に変化しながら、柄やデザインを作り上げていく。ノイズではなくて美しい新たなパターンを、自分の手で実現したいなと思っています。」
地域への使命感も個人的な野望もひっくるめて、五十嵐さんは今日もハタオリ産地のサポートを続けている。
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