自分にしかできないことをしたい――。考えたことがある人は多いのではないだろうか。

挑戦と悩みを重ねて、ついに自分のやりたいことを見つけ、真摯に取り組んでいる人がいる。

広島県福山市で、「藍屋テロワール」で藍の栽培、染色を行い、デニム
ジーンズへの思いを胸に、染料の藍の生産に関わることを決め、藍の染料の制作、プロダクトの企画や、ワークショップをも手がけようとしている。


「藍染め、そしてジーンズという価値観を、人生をかけて多くの人に伝えていきたいんです」

熱をこめて語る湯浅さんが、どうやってジーンズと藍染めという「自分にしかできないこと」に出会ったのか、そして取り組みの先に何を求めているのかを伺った。

鈴木賀子
ジュエリーメーカー、広告クリエイティブ領域の製作会社、WEBコンサルティング企業を経て、2016年より70seeds編集部。アンテナを張っているジャンルは、テクノロジー・クラフト・自転車・地域創生・アートなど、好奇心の赴くまま、飛びまわり中。

ジーンズと僕

湯浅さんが初めてジーンズに出会ったのは小学生の時。サッカー少年だった彼はいつも半ズボンを履いていたが、両親は夏の暑い時期にもジーンズを履いていて興味を持ったそう。

初めて本格的なジーンズを自分で買ったのは高校3年生の時。海外ブランドのOKAYAMA spiritsという2万円するモデルを勇気をだして手に入れた。色落ちなどの加工されていないジーンズを「生デニム」というそう。自分で手を入れて毛羽や色を落としていくことを愛好家の中では「育てる」と表す。

当時から7本育て、20本以上持っているジーンズひとつ一つの物語を紐解くように語る湯浅さんにとってジーンズとは、どのような存在なのかを伺うと、神妙にこう切り出した。

「ジーンズは、自分の生きてきた証なんです」

その背景には、生い立ちや学生時代の経験があった。

「僕が学生時代のとき、父の体調が悪く家庭内が暗い時期があったんです。家族との関係も悪くなってしまって……。どうすればいいかわからず悶々としていました。そんな中、父と一緒にジーンズを買いに行くことがあったんです。それがきっかけで会話が生まれて。徐々に父との関係も改善していきました。なかなかコミュニケーションが取りづらい中で、“ジーンズ”という共通の話題を見つけられたことは、嬉しかったですね」

その後もジーンズは、人とのコミュニケーションにおいて欠かせない存在になっていったと言う。

「大好きなジーンズの魅力を、先輩や恩師にもよく話していたんです。そこから、色落ちやおすすめのブランドについて話しあう機会も増えたりして。僕が起点で、ジーンズにまつわるコミュニケーションが生み出せることがとても嬉しかったですね。だから、僕にとってジーンズは、人とつながるための魔法のアイテム、なんです」

さらに、大切に思っている「ジーンズの価値観」についても語ってくれた。経年によって生地に変化が生じるジーンズは、着て過ごした日々が、時間が、生地に反映されていく点が魅力だという。

「何十年と着続けられるジーンズは特異的なものだと思うんです。移り変わりが激しいデジタルへのカウンターでもあるのかな。破れてもかっこいい素材はジーンズだけですから」

文化的背景から見るとジーンズは労働者の仕事着として生まれ、カウンターカルチャーとしてのアイコンでもあり、自由と反抗の精神を表すファッションとして位置づけられている。ファッションを自身の価値観表明のツールとしたとき、ジーンズはそれぞれの文脈で思いを表現できるものでもある、と湯浅さんは教えてくれた。

1を聞けば10返ってくる、湯浅さんのジーンズ愛は留まることを知らない。

「ジーンズ」に決めたときのこと

人生をかけてやりたいことは、ジーンズ。今でこそ、堂々とした口ぶりで語る湯浅さんも、最初からすぐに答えが見つけられたわけではないと話す。自分にしかできないことをやりたいと、積極的に考えられるようになったのはいつからだったのだろうか。

「沖縄の大学に進学後、社会問題に取りくむ活動を行うコミュニティに入ったことから、人生が変わり始めたと思います。娯楽だけに時間を費やして大学生活を楽しむ先輩たちより、社会問題に取り組む先輩がかっこよく見えたんですよね」

そう思った湯浅さんは、沖縄という環境もあり、米軍基地と学生の交流活動や、県知事候補者に政策提言をする取り組みなど、精力的に活動を行った。

「僕自身、太平洋戦争の傷跡や米軍基地の問題が残る沖縄に住んでみて平和というものに強く興味を持ちました。日本の文化とちょっと異なる文化に触れ、今まで知らなかった社会問題に出会い、取り組み始めました。メディアに取り上げてもらえることもあって、最初は満足していました」

活動を続けることが難しくなり辞めざるおえなくなった時、ふとこれまでの活動を振り返ると「自分はわかりやすいものに飛びついてしまっていたのではないだろうか。誰かのためにはなっているけども、そこに自分が見えてこない」と感じてしまったそうだ。

「今の活動は、自分の意志や過去からの原体験によって出てきたものをやっていない。それはつまり、自分の人生を生きてないのではないか」と思って、すごく悩みました。誰かの困りごとに応えるため活動に取りくんで、与えることは簡単にできる。でも僕自身が発信して届けられるもので、誰かが喜んでくれることとは、似てるようで違うと気づいてしまって。大きな挫折感に打ちのめされました」

それまでの学生生活では「自分が提供できる価値があること」を念頭にサッカー部や、生徒会活動で様々な取りくみをしていたと湯浅さんは語ります。

「サッカー部では、自分の価値をなにかしら発揮しないとチームに貢献できていないような気がして。だから自分の強みを見つけて、スキルを高めて、実際に試合で発揮できるように、トレーニングを積む。そうしてベンチ入りはできたものの試合には出れませんでした。生徒会の先生に繰り返し「お前じゃないとできないことをしなさい」と言われていたのも、頭に残っていました。今までやっていた大学での活動は、自分の強みや原体験から生みだした価値ではない。じゃあ、自分にしかできないことはなんだろう?という問いが、この時生まれました」

この問の答えを見つけよう。そう考えて、今までの人生を時間をかけて振りかえる中で見えてきたのが「ジーンズ」だったんです、と湯浅さんは言った。

「僕にとって、大きな喜びを感じる起点になる魔法のアイテム「ジーンズ」で行こう、と決めました」

行動力の源は

そこからの湯浅さんの動きは凄まじい。ジーンズでの活動に集中するためまず大学を休学した。

そしてデニムの一大産地、岡山県倉敷で新進気鋭のデニムブランドを立ち上げた『EVERYDENIM』(現ITONAMI)の山脇・島田兄弟の元に、単身飛びこむ。彼らの運営するホステルの泊まり込みスタッフをしながら、県内のジーンズに関わる工場に足を運び、教えを乞い、多くのデニムに関わる人と関係性をつくって、デニムについての知識を貪欲に身に着けていった。

倉敷で過ごした1年半の間に、オリジナルブランド『LEGIT』を立ち上げた。2度のクラウドファンディングでは、達成して成功を収めた。そして2020年の秋から広島県福山市に移住を決め「藍屋テロワール」に参画し藍の生産、染色を手掛けている。なぜ、ここまで怒涛の行動することができたのだろうか。

「ジーンズに人生をかける、と決めた夢を応援してくれる人の存在が僕を突き動かしてくれました。大学時代にスタッフをしていた、沖縄の「Yume Wo Katare Okinawa」というラーメン屋さんがあって。関わるお客さんや関わる人の夢を応援してくれる店主がいる店なんです。スタッフは、お店に行くとラーメンをタダで食べさせてもらえるんですよ。僕が休学をして倉敷に住む込みで修行に行くと報告しに行った時も『結果出すまで絶対帰ってくんなよ』って言われて」

店主に恩を返すために、一番最初に自分ができることは夢を叶えることだろうと思っているんです、と湯浅さんははにかみながら語る。

「クラウドファンディングをした時には、店主やメンバーが支援してくれたりして、更に恩をもらっている段階なんですけどね。自分の生きざまを見せたい人がいると、頑張ろうと思えますよね」

自分のルーツをひもとき、取りこむこと

ジーンズから始め、今は染料の藍の栽培と染色を手がける湯浅さん。次の目標は「自分で作った藍で自分の手で糸を染めて、藍染ジーンズを作る」ことだ。

「天然の藍染は、染料の生産に発酵させる工程があったり、染めに熟練の技術が必要になったりと課題も多く、生産する農家さんの収量も年々減少してきています。特に備後地域の藍染は、デニムなどの繊維産業の背景となっているにも関わらず、藍染のデニムは現在ほとんど生産されてないんです。日本の伝統的な技術である藍染のことを知るほど、自分の手で藍染めしたジーンズを作り、岡山の藍染を継承していきたいと感じました」

一般的なデニムジーンズのプロダクトは合成インディゴによって染められている。工業生産のインディゴは安価で大量生産が可能であり、天然の藍染よりも濃く染めやすい。そういったメリットを踏まえつつも、藍染を継承したいという湯浅さんの強い気持ちは揺らがない。

「藍染はすでに僕のルーツの一つだと気づいたんです。2020年の春、新型コロナの影響で時間ができたとき、瀬戸内海を眺めながら自分のこれまでの人生と、住んでいたデニム産地である井原と福山の備後地域と呼ばれる場所のルーツを重ねて考える時間ができました。その時、藍染に取りくむべきだと思いました」

僕にとって「ルーツをひもとき、取りこむこと」は大切な行いなんです、と語る湯浅さん。ジーンズに人生をかけると決めたときも、同じようにルールをひもといてきた。大学時代に過ごした沖縄という土地で学んだことも、岡山のデニムブランド『EVERYDENIM』に住み込み、ジーンズに真剣に向き合ってきたことも、これから取り組む藍染も。どんなものでもルーツがあり、自分と重ねることで生み出せる「価値」がある。

「和歌山県に僕の名字と同じ名を関する湯浅町という町があります。自分の名字というルーツに縁がある面白さを感じて、町を訪れた時、醤油の最初の一滴ができた街と言われていることを知りました。醤油のように広くつかわれているものも、最初のパイオニアがいる。ああ、僕がやろうとしていることは、こういうことなのかもしれないと思いました。最初のテロワールを意識した藍染めデニムを作る。広く伝わり残っていくことは一代じゃ難しいかもしれないけど、僕が生きているうちに完成させたいなって思います」

自分の歩いてきた道のりと、ルーツを重ねあわせて、自分にしかできないことを見つけた湯浅さん。なにかをしたいと考える人は、ルーツを辿ってみてはいかがだろうか。