「アート」と聞いて、思い浮かべるのは何だろう。
「アーティスト」と聞いて、思い浮かべるのはどんな人だろう。

華々しく、苛烈で堂々とした存在。繊細な内面や感性の、時に痛みさえ伴うような発露。それが、「アート」や「アーティスト」なんだと思っていた。

けれど、どうやらそれだけじゃないらしい。

日本のアーティストたちの表現やその価値を大衆に届け、「アート」と人の距離を近くする。文化の土壌をつくるためのプラットフォームとして、WEBメディアやイベントをはじめ、アートを誰もが手にする機会をつくる「KUJI」という新しい仕組みを社会実装しようとしている、「KAMADO」という存在がある。

わかりそうでわからない、知っているようで何も知らない、“自分たちの足元にある表現”というものについて、KAMADO編集長の柿内奈緒美さん、アートディレクター・デザイナーの黒野真吾さん、WEBエンジニアの眞舘悟志さんにお話をうかがった。

中西 須瑞化
言葉に救われて生きてきた、PRもする文筆家。「生きる選択肢を示す」を軸に、フリーランスで活動中。新卒3ヶ月でフリーランスになったことや自身の生育環境なども踏まえ、「生きづらさ」「家族」をテーマにしたイベントや作品制作等も実施。「恋に落ちるほど好きになった相手としか仕事をしない」社会課題解決に特化したPR会社morning after cutting my hair,Inc.発起人の一人。2018年より、藤宮ニア名義で小説執筆活動もおこなう。家族と居場所を題材にした青春短編小説『リトルホーム、ラストサマー(NovelJam2018秋・花田菜々子賞受賞作品)』著者。

KAMADOという存在

渋谷のど真ん中。スクランブル交差点が見下ろせる場所にある「渋谷スクランブルスクエア」の15F「SHIBUYA QWS」で、KAMADO編集長の柿内さんと顔を合わせた。現在、会員制スペースSHIBUYA QWS(渋谷キューズ)が行うQWSチャレンジプログラムに採択され、ここを拠点に活動している。

綺麗なプラチナブロンドに、青磁と月白の間のような色のお洋服。自分の心が気に入るものを、自分を和らげる状態を保つために身に着けることができている方。そんな印象だった。

「KAMADOはチームではなくて、表現を支えるプラットフォーム、土台です」

形式張るわけでもなく始まった取材で、まずはKAMADOという存在について改めて教えていただく。“プロジェクト”と呼ぶのも“チーム”と呼ぶのもなんだか違う感じがしていたので、直接聞こうと決めていた。

KAMADOは、アートや表現を身近にするための情報を発信しているWEBメディアだ。けれど、ただ情報を集めただけのWEBメディアではない。そこからアートとのリアルな接点を生み出すイベントを企画したり、新たな仕組みを生み出そうとしたり、まさに「表現を支える」プラットフォームとして機能している。

「もともと、日本の表現を伝えるための、ウェブマガジンを作りたいと考えていました。前職でもアート系のウェブマガジンを作る仕事をしていたのですが、その当時から国外への発信の必要性を感じていて。バイリンガル化して、ちゃんと“日本の足元にある表現”を発信していきたい。そんな想いが募っていたとき、福岡の竃門(かまど)神社に行ったんです」

神社。まさかこんなところでそんな単語が出てくるとは思っていなかった。竈門神社のWEBページを見てみると、ひらひらと桜が舞っていてうつくしかった。
“かまど”というと、石や土で火を囲い、煮炊きをするあの古い調理設備のことだろうか。日本昔ばなしなんかで出てくるあの形を、頭に思い浮かべる。

「いい名前だな、と思って。かまどって、農耕民族だった日本の暮らしを支えてきた知恵・道具じゃないですか。それってすごく、私の目指すものとも近いのかもしれないなと。私たちは表現を支える土台になりたい。だからKAMADOという名前をつけました」

 

アートと個人の距離を縮めるために、大衆へ「足元」を伝える入り口となる

“日本の足元にある表現”。

柿内さんの印象的なこの言葉について、もう少し深く聞いてみることにした。

「前職で携わっていたウェブマガジンでも、たくさんの方にインタビューさせて頂きました。インタビューさせて頂く方は皆さん、苦しくても自分のやれる事、社会の中で立つ場所を自分なりに見つけてる方です。そして他者と自分の違いを認め合って全てを是認してます。それを読者に届けたかった。けれど、掲載すると読者にとっては『すごいなぁ』だけで終わってしまってる感覚があったんです」

メディアで発信する以上、そこには華々しさが伴うことが多い。既に成功されていたり、完成されているというようなイメージを持たれてしまうという側面も、もしかするとあるのかもしれない。

「どうしたら、もっと『自分ごと』として受け入れてもらえるのだろう?と考えました。それには、他人の価値観を受け入れることに参加すること。そしてやはり実体験として表現に向き合うしかないと思いました。

日本という国に置き換えてみた時には、それは工芸や民藝、モノづくりという自分たちの国である日本の表現の足元をちゃんと見ているか?という話にも通じます。今の日本は効率化を重視して土地の個性を失くしかけてます。もっとこの国で生まれた表現を知って欲しい。なのでKAMADOではアート以外にも工芸・民藝・モノづくりの情報も掲載してます」

KAMADOのデザインを担う黒野さんは、KAMADOというプラットフォームについてこう語る。

「日本の農耕民族の暮らしを支えてきた「かまど」のように、「KAMADO」は古き良き伝統・文化、また、これからの文化・表現を支えるプラットフォーム。燃え上がる火を消えないように風から守り、そこで生まれる料理=創作や文化を支えていく媒体です。

これからの僕たちに圧倒的に必要なのは、人の手、ものづくりに対する想いや熱量、効率化が重要視されてきたなかでポロリと抜け落ちてきてしまったものなのではないかと思うんです。だからこそ「KAMADO」は、情報を伝えてきた紙の匂いや人の手の感触が感じられるような“生きている”ウェブマガジンにしたいと思いました」

KAMADOのミッションは「文化の土壌を創ること」だと柿内さんは言う。

「それはアートや表現を大衆に届けるということ。これを読めば入り口がわかるというウェブマガジンであり、プラットフォームであることを目指しています」

WEBエンジニアとしてKAMADOにコミットしている眞舘さんは、読者を自身と重ねている。

「もともとアートに興味はあったのですが、どこにいけば良い展示に出会えるのかがわかりませんでした。僕はまさに今のKAMADO読者や、これから届けていきたい人たちと同じ気持ちだったんです。KAMADOでは、大きい小さい・無名有名を問わず、KAMADOのフィルターを通して選んだ情報を提供し、読者に新しい興味を沸き立たせていく。その姿勢に共感しています」

大衆へ届ける手段として、KAMADOでは「かまめし会」というイベントも定期開催している。少人数限定で、ゲストアーティストや創り手を囲み、「同じ釜の飯を食べながら」、ゲストも含めておしゃべりをするというものだ。

「さほどアートに興味がなくても、ご飯につられて来る人が多いです(笑)。でも、それくらいがいいかなって思うんですよね。もっと気軽にアーティストたちの人柄にも触れてほしいし、もっと自然な形でアートに近づく機会も増やしたい。だから、かまめし会の場で参加者に制限はかけませんし、求めることもそんなにありません。

ひとつだけ、この場では『自分の考えを話す』ということを大切にしているんです。どんな内容でもいいから、感じたこと、考えたことなんかをちゃんと声にしてもらうためのリアルの場でもあります」

 

自分の「好き」を信じ、他者との違いを認め合える世の中にするための「アート」

柿内さんとお話をしていると、これまで漠然と抱いてきた「アート」の、極彩色のようなイメージが和らいできた。KAMADOにとって「アート」とは、どんなものなんだろう。

「アートは『問い』です。その人にしか投げかけられない問いかけ。だから、手法や技法や知名度は問いません」

問いを表現する方法は、絵でも写真でもパフォーマンスでも、それらの枠にはまらない何かであってもいいという。

「アートって、コンセプチュアル(概念的)なものはわかりにくいものも多いと思います。KAMADOでは、「分からないから面白い」をもっと発信して行きたいと思います。ただ単純に観たままを感じてもらいたいです。作品は作品だけでは成り立ちません。観た人の人生の背景や想いがあるから成り立つもの。だから、何を感じてもいいんです。その感覚に正解があるわけじゃないから。

私は『百花繚乱の世界を創る』という目標をもっているのですが、1人ひとりが無理することなく、自分らしく生きていける世の中にしたいんです。自分の感覚的なことを表現するのに慣れるためにも、アートに触れることはとても良いツールになります。自分と異なる意見を知って、自分の意見も話す機会が多くなれば、違いや多様性を認め合う文化にも繋がるはずです。こうした感覚が根付いていけば、日本の表現はもっと花開けると信じています」

昨今、日本の未来に対して嘆く声を聞くことも多い。そんな中でも「花開く」日本を信じて行動する柿内さん。その想いの原点は、「半径数メートルの人たちに幸せに生きてほしい」という気持ちだという。

「今の日本って、20代や30代の若者の自殺がすごく多いと聞きます。考えてみたら、情報が溢れる社会の中で、周りの情報や意見を受け止めすぎて『見えない鎖に縛られてしまうのが原因のひとつなのかもしれない』と思ったんです。人が自分のことをどう思っているか考え過ぎる、必要以上に『期待に応えないといけない』という思い込みの社会が根底にあるんじゃないかって。

個人の多様性をもっと認め合える、やれる人がやれることをやる。他者との違いを認め合える社会になってほしいと思いました。それに正解のないアートで、それぞれが自分の意見を言い合える土壌を作れるんじゃないかと」

日本がどうすれば精神的に幸せであり続けられるのか。「見えない世界をカタチする表現方法」として育まれた工芸技術など、この国独自の文化から生まれた表現を知ることも、日本で幸せに生きていくための誇りとなる。柿内さんは、そんな『アート』のあり方を醸成したいと考えている。

 

KAMADOが目指す「文化」との付き合い

既存の評価軸にとらわれず、「個」の感性を表現し、違いを認め合う国になっていくためのツールとしてのアート。花開く日本の土壌づくりの一歩として、KAMADOでは「KUJI」というサービスを立ち上げている。

読者はまず、WEB上でアート作品についての作り手の想いのストーリーを読み、コメントをすることが出来る。さらに、少額のお金でKUJIに参加することができ、もしかしたらアート作品をもらうことができる仕組みだ。「KUJI」という名前のアーティスト支援になっている。

「仕組みとしては寄付のような感じもありますが、できる限り高尚なものにはしたくなくて、おみくじを買うような感覚。『いい年になりますように』と運試しで願うように、『この国の表現がもっと面白くなりますに』って感じで文化にお金を払うイメージを作りたいんです。ワクワク感を大事にしつつ、ハズレても心は満たされるようなものにしたい。なので、KUJIの下にはIRORIというコメント欄があり、国内外の人の価値観に触れられる場になってます」

アートに触れる機会を増やしながら、ワクワクと人との繋がりを求めて、人々はKUJIをする。結果、自分が投じたお金はアーティストたちへの支援になるのだ。知らない間に、文化にお金を払っている。単純に、すごく気持ちの良いお金の廻り方だなぁと思った。

「『アートや一点物は高いお金を出さないと手に入らない』という考えを根本から変えつつ、人の想いやぬくもりが感じられる新しい文化圏を構築したいと思っています」

日本の表現、日本のアートを育て、『土地も人も違うからこそ面白い』という考えの社会を作る。そのために文化に使われるお金を増やしたり、国内移動費の公助の取り組みをしていきたいと話す柿内さん。公民館のアップデートや創り手のベーシックインカム制度など、KAMADOではまだまだ計画中の土壌づくりがある。

「より多くの人がアートや表現に触れられるような活動をしていきたいと考えています。アートに触れる人が増え、文化が育つ土壌をつくることが、日本の幸せな未来のためにはきっととても大切になっていくと思うんです」

子供の頃から、絵を描くことや雑誌を見ることが大好きだったという柿内さん。お気に入りのファッションやインテリアやプロダクトのデザイン写真を集めてスクラップブックに切り貼りすることで、自然と自分の「好き」が集約され、可視化できていたという。仕事としてアートに触れ始めるようになってからも、時間をかけながら自分の「好き」を見出していった。

「とにかくたくさんのアートに触れていいものを知っていくことで、少しずつ自分にとっての『軸』ができていく感じがありました。私自身は田舎の出身で、小さい頃にアートやライフスタイルに触れるような環境がなかったんです。絵を描くことが好きで賞をもらったりもしていたのに、美大に行く選択肢を知らなかった。

だから、アートを誰でも手にでき、情報だけじゃなくて実際に『触れられる』ようにしたいんです。地方でも公民館に行けばアートが楽しめる状態にまでもっていって、多くの人が文化に触れるために日本を行き来できる仕組みをつくりたい。そして世界の人たちにも日本中の表現を届けていきたいと思っています」

表現って面白い。人って、こうでいいんだ。自分って、こうだったんだ。

そんな、手触りのある発見を与えてくれる、ひとつひとつが一点ものの表現である「アート」。暮らしのすぐそばにあるKAMADOの上で、色とりどりの表現が弾け佇む未来を、柿内さんたちは日本という国に描こうとしている。

日本にある表現のさまざまを知ることは、自分たちの足元を見据え、その先の未来に希望を灯す行為でもあるのかもしれない。