福島県の小さな山あいの村で、季節のめぐりに寄り添い、畑から育てた植物の繊維をとり出し、糸を績(う)み、布を織りあげる。奥会津昭和村で植物の糸「からむし」のいとなみと、その魅力を伝えるために活動するふたりの女性がいる。

渡辺悦子(わたなべえつこ)さんと舟木由貴子(ふなきゆきこ)さんは、村のひとから受け継いだ想いをもとに、暮らしのなかに「からむしの居場所」をつくるため「渡し舟 ーわたしふねー」という屋号で活動している。

この春、ふたりが編者となった一冊の本が完成した。名前を『からむしを績む』という。それは、渡し舟が親しくしている村のおばあさんから託された一枚の布をきっかけに生まれた本だという。

どうして布をお預かりすることになったのか。そして、なぜ本にしようと思ったのか。託された布から本ができるまでの経緯をうかがった。

高橋 美咲
長野県出身。「紡ぎ、継ぐ。見えないものをみつめてみよう」という指針のもと、競争ではなく協奏できる生き方を模索してスロウに活動中。これまで手仕事やものづくりの現場取材を中心に重ねてきた。布やうつわなど、懐の深い生活道具(文化)の世界をこよなく愛す。

からむしと布の居場所をつくりたい

「からむし」はイラクサ科の植物で、別名を苧麻(チョマ)・青苧(あおそ)と呼ぶ。奈良の正倉院に記録が残るほど古くから、「上布」といわれる上質な布地の原料として用いられ、とりわけ昭和村で採れる繊維は品質が高く重宝されてきた。

出荷用として栽培するだけでなく、産地である昭和村でからむしの繊維から糸をつくり、布に仕立てるようになったのは戦後間もなく、麻の栽培が途絶えてからのこと。

結ばずに、次世代につなぐ植物の糸。

渡し舟の活動の原点には、この村の生活から生まれた、からむしと布の居場所をつくりたいという想いがある。

ふたりは、からむし織体験生「織姫・彦星」として20年ほど前に来村した、元織姫さんだ。からむしの栽培や技術継承の役割を各々が担うかたわら、2015年に「渡し舟」という名で自宅の一室を予約制のお店としてオープン。村のおばあさんから預かった布の加工・販売を通じて、村内外でワークショップやお話会などの取り組みを続けている。

その活動は彼女たちにとってのライフワークであり、屋号がつけられる以前からすでに始まっていた。

手渡された一枚のからむしの布

「大事にとっておいた布があるんだ。ずっと眠らせておいても仕方がないから、使ってみろや」

長年、親しくしているおばあさんから一枚の布を託されたのは、不意の出来事だったそう。

「そのとき私たちは、布を預かる用事で訪ねたわけではなく、県外からの友人を連れておばあさんの家に立ち寄ったんです。楽しくお話していると、おばあさんが急に思い立ったように、一枚の布を出してきてくれて」(渡辺)

からむしの栽培と出荷にたずさわり、村内でも指折りのからむしの引き手として一目を置かれる渡辺さんは、布を預かった当時を振り返りながら言葉を続けた。

「それは、彼女のお姑さんが繋いだ糸をつかい、おばあさんが織りあげた布でした。お姑さんの手跡があるものを何も残していないでは申し訳ないという思いから、これまで長いあいだ仕舞っていた。ずっと眠らせておいても仕方がないから、この布で何かつくってみたらどうだと、私たち(渡し舟)に預けてくれたんです。本藍染されたからむしの糸で織られた、見るからに良い布で。こんなに大切なものを突然にどうしようと思ったけど、ひとまず預かっていくねと。それが、2014年の夏のことでした」(渡辺)

布を託してくれたおばあさんと渡し舟は、「からむし市」という販売会を通じて知り合い、15年近く交流を続けている。からむし市は、村のひとが昔ながらの地機*1で織りあげた布の行き先をつくりたいと、織姫仲間の発案で2001年に始まったイベントで、渡辺さんと舟木さんはその運営にも関わっていた。

*1)地機:5世紀ころから日本で使われたとされる手織り機。地機での機織りは、床に腰をおろした状態で縦糸を腰に結わえて引っ張りながら、身体と一体で行う

行き場もなく、世の中に出ていなかった

「私たちが気がついたときにはもう世の中に、村のおばあさんたちが織り上げた布の行き場がなかったんです」(舟木)

国の選定保存技術でもある「からむし生産技術保存協会」の事務局で働きながら、渡し舟として活動する舟木さんが、布のおかれた実情について教えてくれた。

「昭和村でもともと手がけてきたのは、透けるように薄い『上布』とは違い、昔の名残りで働き着として使えるような丈夫で素朴な布。それは産業というよりも、生活の延長として生まれた布であり技術でした。時代が変わり多くの既成服が出回るようになってからも、村のおばあさんたちは布を織ることをやめずに、若いころに覚えた手仕事を続けていましたが、もはや家族も着ないし使われるあてもなく、布だけができてくる状態。そうした状況をどうにかしたいと考えられた場所が、当時のからむし市だったんです」(舟木)

布の行き先をつくるために販売会が企画されたものの、反物(着物一着分の布)のままでは高額になってしまい手が届きにくい。そのため渡辺さんと舟木さんは、織り手さんからお預かりした布を使い、座布団やバッグなど、現代の暮らしに取り入れやすい形へ加工する試みを少しずつ重ねてきた。

活動を通じてとりわけ親交を深めてきたのが、本をつくるきっかけとなった布を託してくれたおばあさんだった。

「仕事量が一番のひとで。私たちは彼女の布を扱うことが多くて、信頼も深まったと思います」(渡辺)

「もはやそんなひとは出てこない」(舟木)

「そう。それだけの仕事量を熟せるひとは、いないだろうな。戦争体験をある程度記憶していて、なんでも自分たちでつくってきた時代との境目なんだと思う。手がける量がまず違うのね。無駄にしないとか、遊びじゃない。そういう感じがします」(渡辺)

90歳を優にすぎたおばあさんは、生活に機織りが欠かせなかった時代を回想し、「大変だったけれど、あのころがいちばんよかった」と語っていたそうだ。自然の厳しさや時代の変化を受け入れながらも、手を動かし続けたひとたちの心根に突き動かされて、渡し舟の今の活動があるのかもしれないと、お話を伺いながら私は思った。

暮らしのなかで手にとり、そばに置けるもの

藍染のからむし布をお預かりしてから数年が過ぎ、おばあさんだけでなく渡し舟のふたりにとっても、その布は思い入れのある一枚となっていた。

「本という案が出るまでは、正直、何も思いつきませんでした。ただ、例えば羽織るものなど数人にしか行き渡らないものや、布を小さく切り離してしまうのも嫌でピンとくるものがないまま、何年か経ってしまって」(渡辺)

「大袈裟かもしれないけれど、おばあさんたちが手がけた布を扱うなかで、私たちは次第に昭和村のいとなみであり、からむしの布が持つ”精神性”をどうしたら伝えられるかと考えながら、物を仕立てるようになりました。でも、この一枚に関しては今までのようには布がさせてくれなくて」(舟木)

「同じような布は、きっともう生み出せないだろうという思いがあったんですね。それこそおばあさんのお姑さんが手がけた糸であり、峠を越えた南会津町田島にかつてあった紺屋さんで本藍染に染色されたもの。どれも一期一会なんだけど、特にこの布は見るからに力があったので、ずいぶん悩みました」(渡辺)

おばあさんが思い思いに織りあげた布を預かり、形ある物へ仕立てることを重ねていくなかで、ふたりはあらためて「布として、身近に親しんでもらうことの幸せ」を想うようになったのだそう。

「手にしたひとが毎日でも眺めたり、そばに置けるものってなんだろう。からむしや布好きといったジャンルを飛び超えて、哲学的な要素も含めた大きな世界に羽ばたいていってほしいという願いもありました」(舟木)

「伝えたいのは、布の持つ気配や昭和村という場所の持つ雰囲気。布としての存在感を残したいねと。舟木と相談を重ねるなかでようやく、本はどうだろう?悪くないんじゃないって」(渡辺)

からむしの布で本をつくる

2018年初夏、渡し舟は「からむしの布で本をつくる」という具体的な目標に向けて大海原へ漕ぎだしたものの、その道のりは困難に満ちていた。

「私たちが最初にイメージしていたのは外側の箱だけ。本という存在として手元に置かれたら嬉しいという考えのみで、あとは本当にノープラン。もちろん本づくりの知識もないなかで、関係者のみなさんも初めはすごく困っていました」(渡辺)

「本ってどうやってつくるの?というところから始まり、どんな本にしたらいいかという具体的なイメージはなかったですね。困り果てて中身は白紙でもいいんです、みたいな。無謀なスタートにも関わらず、テキストの鞍田さん、写真の田村さん、デザインの漆原さん、編集の丹治さん、制作チームのみんなが粘り強く力を貸してくれたおかげで、こうして形にすることができたと思っています」(舟木)

『からむしを績む』は、渡し舟が全体の「編者」という立ち位置で、テキスト・写真・アートディレクション&デザイン・編集など、専門分野で活躍するひとの力を借りて編みあげられた一冊だ。

とりわけ、テキストを担当された哲学者・鞍田崇さんは十年来にわたり昭和村に通い、長年、渡し舟と対話を重ねながら彼女たちの活動に伴走するひとり。

本書は、渡し舟が一年をかけておばあさんに伺ったお話をベースに編まれた物語でもある。記録された膨大な言葉の数々を受けとめ、『マルテの手記』(リルケ)に想を得た鞍田さんの言葉とともに、語り手のいくつもの声が重ねあわされるように描かれている。

不思議なほどに円環的な時間の流れを感じさせる物語を読み終え、さらに頁をめくると、写真家・田村尚子さんの撮影による昭和村、からむしの情景が次々と写し出される。最後に「からむしに寄りそう」と題した渡し舟の編集後記によってこの本は閉じられる。

おばあさんから託された布で包んだ特装版が80冊。銀の箔押しによって布の気配を纏った普及版が420冊。からむしの布が持つ力を見事に現したデザインにも圧倒される。

こうして長いあいだ眠っていた布に、「本」という新たな居場所が生み出された。

からむしがそうさせた

「完成してみると、最初からみんな布のために動いていたんだと思える仕上がりで、もしかしたらこれは本当に、手にとったひとの心に響いてくれる本になったのかもしれないと感じました」(舟木)

「『渡し舟』という名前で活動をしていますが、私たちはともに織姫のひとりです。からむし織体験生として何人ものひとが村にきて、いろんなタイミングや出会いによってこの本ができあがった。私自身の力ではない、からむしがそうさせたんだと思います。私たちはそれを少しお手伝いして、こうして形に残せたのはありがたかった。本を手にとってくれたかたと、少しでも共有していけたら嬉しいですね」(渡辺)

最後に、布を託してくれたおばあさんは今年96歳になった。不安な気持ちが入り混じるなかふたりで報告に向かったところ、『からむしを績む』を手にして顔をほころばせながら、本の完成を心から喜んでくれたそう。おばあさんの様子を受けてようやく、本をつくってよかったという気持ちが実感とともにこみ上げてきたと、渡辺さんと舟木さんは嬉しそうに語ってくれた。

*

布のもとを辿ると、どこまでも続く一本の糸であり、この土地の畑に芽を出した一本の植物だった。

「必然」という言葉をつかうのは大袈裟かもしれないけれど、おばあさんのからむしの布は長い年月、このときをじっと待っていたのではないか。

ひとが手をかけて守りたい、生きていてほしいと願うように、植物もまた自らの意志を持ち、その声を聞き届けてくれる相手へと想いを託しているのかもしれない。

「最初からみんな布のために動いていた」「からむしがそうさせた」という言葉のとおり、からむしが願ったのだ。

そして、村に生きて手を動かした女性たちは、『からむしを績む』という本の世界でからむしに寄り添いながら、この先も生き続けるのだと思う。

◇本について

『からむしを績む』
渡し舟(渡辺悦子・舟木由貴子)編著

文 : 鞍田崇
写真: 田村尚子(vutter kohen)
デザイン:漆原悠一(tento)
校正: 猪熊良子
プリンティングディレクション:浦有輝(アイワード)
編集: 信陽堂編集室(丹治史彦・井上美佳)
印刷: アイワード、日光堂
製本: 博勝堂
仕様: A5変形判(200×140ミリ)コデックス+スイス装 112ページ
発行: 渡し舟
特装版:限定 80 部
普及版:限定 420 部

◇刊行記念展覧会
昭和村:喰丸小 2021.04.25-05.12〈終了〉
京 都:かみ添 2021.07.23-27
松 本:10㎝  2021.11.03-07

直接のお問い合わせ先はこちらへ(宛先:渡し舟)
普及版に関しては、信陽堂編纂室さんからもお求めいただけます

*本記事の執筆に際して
本「からむしを績む」ができるまで、これから 鼎談
鞍田 崇 × 田村 尚子 × 渡し舟 – わたしふね - YouTube期間限定配信(終了)を参考にさせていただきました
・表紙(特装版・普及版)撮影者:木村幸央
・写真3枚目(渡辺悦子さん)撮影者:小松崎拓郎