昨今注目を集める「地域商社」。その地域にある「いいもの」を活かして、新しい産業を生み出していく仕組みです。

ひとつのブームとなりつつある「地域商社」立ち上げですが、行政だけでは実行できない、民間だけではノウハウがない、よそものだけでは続かない、といったように様々な立場のプレーヤーが協力し合わないとうまくいかない、というのが実際のところ。

70Seedsでは、そんな「地域商社」づくりに挑む青森県三戸町の取り組みをサポート。この記事では2018年2月末、ついに取り組みの成果発表を迎えた三戸町で振り返る、行政と民間それぞれの声からのリアルを届けま

岡山 史興
70Seeds編集長。「できごとのじぶんごと化」をミッションに、世の中のさまざまな「編集」に取り組んでいます。

三戸町の「誇り」が生まれた日

 

「これは古くて新しい三戸の誇りです!」

 

そんな言葉が飛び出したのは、2018年2月26日に青森県三戸町で開かれた「三戸精品」のお披露目会でのこと。発言の主は地域商社プロジェクトの実行委員長を務めた井上浩さん。

三戸町商工会の副会長でもある彼は、「最初は意見を集約していくのも難しかったが、ついにお披露目会を迎えられた。生産者のみなさま、事業者の皆様に感謝している」と感慨深げに語った。

次々と運ばれてくる「三戸精品」を使用した食事に飲み物。町中からさまざまな立場の人たちが集まったお披露目会は、深夜の二次会まで大盛り上がりのまま続いた。

 

そんなお披露目会の中で、ひときわ頬を紅潮させながら周りと話し込む男性がひとり。三戸町まちづくり推進課に勤める佐々木洋さんだ。

 

 

今回のプロジェクトを役場側で支えた立役者でもある彼は、「地域商社」立ち上げをどのように、そしてどんな思いで進めてきたのだろうか。

 

 

「地域商社ってなに?」から始まった

このプロジェクトが始まった当初、「地域商社ってなに?」というところからのスタートだったと語る佐々木さんは隣町の南部町出身の44歳。このプロジェクトが立ち上がった当初のことをこのように語る。

 

「地方創生の仕事を担当していますので、もちろん(「地域商社」という)言葉は知っていました。しかし、なぜ地域商社を作る必要があるのか、三戸町で本当に成り立つのか、これを担当して、ひとりでやっていけるのかなど不安しかありませんでしたね。ですので、地域商社について色々調べるところから始めました」

 

たったひとりの担当者としてプロジェクトを任された佐々木さん、最初はシンプルに「地域に商社機能をつくること」と考えていた。だが、自分なりに「地域商社」を調べ、理解を進める中で大切なことに気づいたのだという。

 

それは「地域に根差したものじゃないと成功しない」ということ。

 

「生産者や地元の方といい関係を築かないといけない。企業というより、地域密着の事業をつくることだと思ったんです」

 

それから佐々木さんは、実行委員会に参加する住民を巻き込んでいくために奔走することになる。なぜなら、このプロジェクトにとってもっとも重要なミッションだと思ったからだ。

 

もちろん、たやすいことではない。悩みと苦労の連続だったというその過程について、佐々木さんに聞いた。

 

 

バラバラだった委員会が同じ方向を向けたわけ

‐プロジェクトが進む中で、町のみなさんとはどのようにかかわってきたんですか?

はじめに、町内のいろいろな分野の若者を集め、「地域商社構築委員会」を立ち上げ、さまざまな議論を重ねました。

最初の頃の委員会の会議では、委員それぞれの地域商社に対するベクトルがバラバラで、これからどうなって行くんだろう・・・と先がまったく見えなくて、とても悩んでいました。

 

「どこに向かってやっているんだ」という声があったり。「地域に根差したものにしなくてはいけない」「どういう地域商社なのか」そこから徹底的に議論を重ねました。

 

(写真:お披露目会当日、委員会メンバーによる最終打ち合わせの様子)

 

‐そこからどのようにまとまっていったんでしょう。

最終的には「まず商品開発、テストマーケィングを目指そう」という小さなステップを明確にしていくことで話がまとまりました。

でも、これは僕だけでなくまわりからの助言や手助けをいただきながら、なんとかここまで来たって感じですね。

‐委員を担ってくれた町のみなさんと佐々木さんとは、もともとよい関係ができていたんですか?

委員のみなさんとはもちろん顔見知りでしたが、こういうことを一緒にやってきたわけではなかったですからね。会議を重ねて議論が進む中で、絆といいますか信頼関係が生まれてきたのを感じて…。

そこからは私がどうとかではなく「頼むよ」「オッケー」みたいな、とてもよい関係が築けてきて、すごくありがたかったですね。

‐三戸は人口1万人くらいの町ですよね。住民間の関係はどうだったんでしょう?

町内会くらいの範囲ではまとまっているイメージはありましたね。ただ、くくりが大きくなってくると探りあい、というかそこまで密な関係があったわけではないんです。

ちょっとそれまでと変わったことをやりたい、というときに応援よりはまず様子見、みたいな。そうならないように新しい事業をスムーズに始められればと思っていましたね。

 

 

リスクがあっても動かなければ変わらない

‐今回のプロジェクトに対する、行政内部での反応はどうだったんでしょう。

行政って何と言うか、「失敗する可能性があるものをどうしてやらなければならないのか」という意識がすごく強いんですね。当たり前ですけど、儲けるという感覚がないじゃないですか。

今回にしても、商品を開発するのはわかるけど、次にちゃんとつながるの?みたいなプレッシャーはすごくありましたね。

‐行政としてはありがちな話ですが、「やってみないとわからない」という部分もありますからね…。

財政も厳しい中、年に何本もできるわけではないことですからね。街の一大プロジェクトとして実施していくのであれば、なんとかモノにしないといけない。

「これだけのお金を使っている」ということは感じているんです。いろんなところから意見もあって、それを聞きながら、すべてその通りにはいかないけれども…。

‐それでもやる覚悟を決めたのは?

例えリスクがあっても、今動かなければ、何も変わらない、このまま何もしなければ、三戸町が衰退していくだけだということを必死に考えて、訴えてきたということですね。

‐「地域商社」の立ち上げに関しては、外部の代理店や専門家に丸投げする場合もよく見かけますが、三戸町がそうしなかったのはなぜですか。

地域商社っていうものが地域に根差したものじゃないといけない、ということが最終的にはあります。

その土地で製造業とかお菓子屋さんをやっている人たち、その本気を引き出していかないと。あわよくばその中から地域商社のオーナーになりたい人が出てきてくれれば。

「他人ごと」ではなく「我がこと」にしてもらう。これからの三戸町はこうしていくんだ、と自ら言ってくれるようにしたい、そういうものでないと成功しない。

だいたい行政主導だったり外に丸投げすると失敗するんです。そういう意味ではいいスタートを切れたんじゃないかなと、メンバーにも恵まれましたしね。

 

 

若者が本気を出してくれた

 

「お披露目会はまだはじまり。これから何年かけて黒字化していくか、事業として成り立たせていかなくてはいけない」と、佐々木さんはこの先を語る。さらに、最初はなにもかもバラバラの状態で始まったこのプロジェクトがここまでたどり着けたこと自体がひとつの資産だ、とも

 

三戸に何があるのか、どんな産品を選ぶのか、何をつくるのか、どうやって届けるのか。そのひとつひとつのステップを通じて、町の底力が上がったということなのかもしれない。

 

そして佐々木さんは、それを象徴するできごとのひとつとして、委員会での若者による発言を挙げる。

 

「プロジェクトをサポートしてくれた外部の専門家がよそものとしてかかわってくれたことがとても大きくて。若者たちが『こんなチャンスはもうない』と自ら言うんです」

 

行政だけでも、住民だけでも、そしてよそものだけでも成り立たなかった「地域商社」の立ち上げ。逆に言うと、三者がほどよいバランスで関わりあったからこそスタートを切ることができたのだろう。

 

インタビューの終わり、佐々木さんは今後の展望についてこのように語ってくれた。

 

「3年後には黒字化なりの、事業が軌道に乗るめどが立っているようにしたい。厳しい期間設定ではあるけれど、絵空事ではない…できるんじゃないかなと思っています」

 


 

後編では、住民の視点から見た「地域商社」プロジェクトを語ります。

 

【関連記事】

・四国の片隅、「居場所をつくるまち」の話-たった3人から始まった挑戦の今

・増税してでも守りたいものがある-「日本一小さな村」に子育て世代が集まるワケ

・元転勤族のモヒカンブロガー・勝手につくば大使が見つけた「地元の風景」