佐賀県唐津市の最北端に位置する加唐島(かからしま)。この島にはたくさんの椿が自生していて、椿油の産出が漁業に並ぶ主要産業となっている。毎年秋になると種は島民によって採取され、公営の『島つばき工房』が買い取る仕組みだ。

「その後、種は搾油と濾過を経て業者に販売されます。売買は島との直接取引。従来に比べて買取価格が約2倍になれば、島全体の収入が増えると考えました」

こう話すのは、佐賀県唐津市呼子町出身のグラフィックデザイナー・松尾聡子さん。株式会社バーズ・プランニングの代表取締役として、2015年に地域の活力となる看板商品を開発するプロジェクト『地域まるごとデザイン』を立ち上げた。その一環として、椿油を使った化粧品ブランド『TBK®︎』も主宰する。

椿油には、保湿、殺菌、皮脂コントロールや皮脂を柔らかくする作用などが備わっていて、化粧品にはうってつけ。これを松尾さんは、石鹸や美容オイル、スキンローションなどの5種で展開する。

その活動の背景にあるのは、現在の環境を含めた島の存続、ひいては佐賀県全体の振興だ。その想いを伺った。

松本 麻美
1988年生まれ関東育ちのフリーエディター。彫刻家を目指して美術大学に入学するも、卒業後は編集者の道へ。世界中の人間一人ひとりがお互いに尊重しながら自由に生きていけるようになればいいのにと思いながら日々仕事をしている。好物はスイカ。本、映画、美術、社会課題などさまざまな分野の間を興味が行ったり来たりしています。

 

恩返しで始まった「地域まるごとデザイン」

松尾さんの活動は、福岡での株式会社バーズ・プランニング設立にさかのぼる。2010年、仲間とともに3名で立ち上げ、グラフィックデザインを業務としていたが、方向性の違いからほどなくして解散。松尾さんは、会社とともに地元である佐賀県唐津市呼子町に戻ってきた。

理由は、唐津市から請ける仕事が多かったため。「唐津市の企業から得た収入を、税金という形でも福岡市に落とすことに違和感があったんです」と話す姿からは、実直さがうかがえる。

じつは松尾さんは、15歳で呼子町を出ている。会社の移転に伴う帰郷となったが久しぶりに目にした町の姿に驚いたという。

「呼子町には『日本の三大朝市』と言われる朝市があって、地元の漁師さんが釣ってきた魚を、その奥さんが売っています。帰ってきた私が見たのは、15歳で家を出たときから全く変わらない地元の人々の顔ぶれでした。変化がない町全体は寂しく、『みんなの意識を変えないと、このままひっそり消えてしまうのではないか』と思いました」

「仕事を通して商工会の人にも出会い、地域のことをこんなにも考えている人がいることを知りました。そこで、デザインでできる貢献として『地域まるごとデザイン』というプロジェクトを立ち上げました。最初の3、4年くらいは試行錯誤しながらノベルティやグッズを作っていました」

情報を集めながら商品開発に取り組む日々。そんななか「地域資源を活用したスキンケア用品を試してみるのはどう?」とアドバイスをくれた人と出会う。

そこでまずは、唐津市特産の甘夏みかんでハンドクリームの開発に着手。農家さんと直接取り引きして、規格外だったり見栄えが良くなかったりして流通に乗せられない作物を活用した。

しかし、一つの疑問が浮かんだという。

「私と直接取引をしている甘夏みかんの農家さんだけが儲かる仕組みになってしまっていて、これでいいのだろうかと思ったんです。一部の人だけではなく、地域全体の農家さんや関わった人たちみんなが儲かる仕組みこそが、地域をまるごとデザインすることだと考えていました。甘夏みかんでは限界があるとわかり開発をストップしました」

こうして次の素材を探しているうちに見つけたのが、加唐島の椿油だ。加唐島の椿油は、その生産と売買に島民全員が関わっている。つまり売上が上がれば、その分島内地域全体が潤うのだ。まさに、松尾さんが探して素材だった。

島の人々の想いを化粧品に詰めて

加唐島の椿油を使うには、島の人たちに承諾してもらう必要がある。松尾さんは島を訪ね、油の取引を申し出た。

しかし、島の人々がこの取引を受け入れるには、全体の種の収量を増やす必要がある。高齢化が進み後継者がいないなかで「そんな余裕はない」「新しいことはしたくない」と反対の声が上がった。出鼻をくじかれた形になってしまった松尾さんの救いとなったのは、次の働きかけが見えていたことと、力になってくれる人がいたことだ。

「反対の理由を聞いてみると、草刈りができない、体がきつい、という問題があることがわかりました。そこで商工会に相談をしたんです。商工会の人たちは、地域のためになることで困っているなら、と快く協力してくれました」

知恵を絞った末に考えたのは、みんなで行う草刈りと種の収穫。商工会を通して広く参加者を募り、イベントとして実施した。島の人と顔を合わせ、一緒に作業をする機会が増えたことで、島の人々からもだんだん認められるようになったという。こうして、全島内から島の人の手によって集められた椿油を買い取らせてもらえるようになったのだ。

松尾さんは取引が決まってからも、草刈りや種の収穫、取材などで月に2〜3回は島へ行く。島の人との結びつきも「次はいつ来るね〜?」と聞かれるほどに強くなった。さらに、新商品が完成したときには、必ず直接報告しているという。その背景にはある想いがあるようだ。

「ある時『椿油を作っても、どんな商品になっているのかわからない。虚しい』と言った人がいました。私は島の人たちには、自分がやっていることに誇りを持ってほしいと思うし、みんなで地域の発展という未来を描いていきたい。だから、私が関わっている限り、絶対に『虚しい』と感じないようにしないといけないと思ったんです」

「報告をすると、『頑張ってよかった』『これからも頑張って(種を)採らないかん』と言ってくれる人がいて、笑顔を見る機会も増えました。やってよかったなと思います」

松尾さんの話を聞いていると、関わる人々の想いを何よりも大切にしていることがよく伝わってくる。商品のデザインについても同様だ。椿油の製品のパケージには花がデザインされていることが多いが、TBK®は種がモチーフとなっているという。

「商品自体は無添加で、自然素材を求めるような人をターゲットにしています。だからデザインはシンプルに。でも種を我が子のように扱う島の人たちの温かさも感じてもらえるようにと考えて形にしました」

人々を巻き込み拓く未来を

呼子町に戻ってきてから、松尾さんは活動分野をどんどん広げている。「15歳で家を飛び出したのは地元が嫌だったから」という言葉からは想像もできないほど、生まれ故郷を活気づけるため新しい取り組みに奔走する松尾さん。この数十年でどんな変化があったのだろうか。

「正直に言うと今でも地元そのものへの愛着は特にないんです。でも帰郷してすぐ仕事がなくて「明日生きていけるのか」という状況になったとき、助けてくれたのは地元の人たちでした。仕事を紹介してもらい本当によくしてもらったんです。私が頑張る理由は、地元の人たちに恩返しがしたい。それだけですね」

素直に、正直に、自分の気持ちと周りの人たちに向き合うまっすぐさは、何よりの彼女の魅力なのかもしれない。デザインの領域から飛び出し、未経験で化粧品作りに挑戦することに躊躇はなかったのかと尋ねるとすがすがしい言葉が返ってきた。

「もともと、『やってみらんとわからんし』というタイプなんです」

確かに、地域での活動は、関わる人々の思い入れがとくに強いイメージがある。商品を企画をしても思い通りになるとは限らないだろう。だからこそ、あれこれ考えるより先に「やってみないとわからない」と一歩踏み出す姿勢が、何よりも大切なのかもしれない。

そんな松尾さんは今後、より深く地域に関わる仕組みに挑戦したいと考えている。

「素材を高く買って地元の人たちに還元する。それが地域デザインの一歩でした。でも最近、それはきっかけに過ぎないと思ってます。これからはもっと入り込んで、売買だけでない仕組みで地域をデザインできたらなと考えています」

いま温めているアイデアは、TBK®の石鹸が1つ売れると島にいくらかでもが寄付される仕組みだ。

「その寄付が積み重なって、芝刈り機や耕運機になったらいいですよね。そんなふうに消費者も目に見える方法で巻き込みたいと考えています。始めてみたものの、私ひとりが『地域まるごとデザイン』と言うには、規模が大きすぎると感じています。県内外の人みんなが納得できる方法で、力を合わせて地域をなんとかしていくのが良いのかなと考えています」

化粧品に限らずドレッシングの開発にも着手している。農家の熱意や恵まれた環境など、新しいことに踏み出したからこそ知る地元の魅力はとても多い。佐賀県ブランドの全国的な繁栄も、彼女の願いだ。

現在に至るまで、松尾さんは地元の人々のさまざまな思いに触れてきた。

「行動することで、新しい人に会う。とても恵まれているなと思います」

松尾さんは今後も、多くの人々に出会い、さらに唐津市の人々を巻き込みながらともにパワーアップしていくのだろう。その先にはどんな町の姿が見えてくるのだろうか。