「こんなに“お股の話”ができる時代が来るなんて、誰も思ってなかったですよ」

「デリケートゾーン」「フェミニンケア」と聞いて、どのようなものを思い浮かべるだろうか。女性のライフスタイルだけでなく、家族や社会の在り方にまで関係する「生理」や「性」の話ができるようになってきたのは、本当につい最近のことだ。

「今までは”デリケートゾーン”って言うと、ヘルスケアの文脈ではなくて、いやらしい文脈だったり、美白とかの見た目の話が多かったんですよね」

そう話すのは、株式会社陽と人の小林味愛さん。デリケートゾーンに特化したのケア商品を扱うコスメブランド『明日 わたしは柿の木にのぼる』を展開している。専用のソープやオイル、ミストなど、顔や髪と同じようにデリケートゾーンをケアする商品は、女性でもあまり馴染みのない人が多いのではないだろうか。

小林さんは、かつて「鉄の女」と呼ばれた女性だ。国家公務員やコンサルとして、男性中心の社会のなかで、女性も男性と同じように働けると証明するために必死に働いてきた。

「いかに男性よりも体力があると思ってもらえるか。男性よりも心が折れないと思ってもらえるか。要は戦って生きてきたんですよね」

そんな彼女が、なぜ「フェミニンケア」と呼ばれる分野に取り組むことになったのか。デリケートゾーンと向き合うプロダクトを通して、小林さんが寄り添いたい人々のことを聞いた。

ウィルソン 麻菜
1990年東京都生まれ。製造業や野菜販売の仕事を経て「もっと使う人・食べる人に、作る人のことを知ってほしい」という思いから、主に作り手や物の向こうにいる人に取材・発信している。刺繍と着物、食べること、そしてインドが好き。

見て見ぬふりをしながら、がむしゃらに働いた

「昔から、いつも気を抜いたときに体調を崩すんです。連休とか、大きな仕事が終わったときとか。そのときに、とても多かったのが婦人科系の炎症。今振り返ると、生活習慣やストレスが原因だったとわかるんですけど、そのときは抜本的な解決法よりも、とりあえず病院で薬をもらって炎症を抑えて、また症状が出て……を繰り返していました」

小林さんは大学卒業後に国家公務員として働き、充実感を感じながらも忙しい日々を過ごしていた。当時の働く女性の多くがそうであったように「自分が女性であること」を意識せず、周りにも意識させずに働いてきたという。

「職場は圧倒的に男性が多いから、そこにいる私も彼らと同じように働けることが価値だったんです。『女性らしく働く』とか、『女性としての感性を生かす』みたいな発想は全くなくて。当時は今よりも長く、多く働いた方が評価される時代だったから、当たり前のように長時間労働をしていました。『鉄の女だな』なんて言われてて、それが褒め言葉だったんですから」

朝から晩まで働いて、睡眠不足が続く。何時間も続く会議に耐えられるように、夜用のナプキンで長時間過ごす。我慢やストレスを抱える人間関係。それらが自分の体調を蝕んでいることに実は気付いていながら、見えないふりをして走り続けていた。

女性のデリケートゾーンには何種類もの菌が共存し、バランスを取ることで膣内が良い状態に保たれている、と小林さんは説明する。睡眠不足や食生活の偏りによる免疫力の低下やストレスなどによって菌の共存バランスが崩れてしまうと、悪い菌が暴走したり外部から別の菌が入ったりして炎症につながるのだ。

またデリケートゾーンの衛生状態が悪化することによっても炎症は起きやすくなる。それが、紙ナプキンやおりものシートなどによる長時間の蒸れや、適切なケアができないことでの汚れだったりする。

「身体の免疫力と衛生状態を保つのは、両方ともデリケートゾーンにとっては大切なこと。でも、当時は周りは男性ばかりで相談できる人もいないし、『デリケートゾーン』って言葉自体が浸透していなかった。産婦人科に行って『ストレスが原因ですね』って言われても、そんなのしょうがないじゃんって思ってましたね」

みんなが自分を守れるようになるために

自身が悩みを抱えていた経験から、小林さんが今取り組んでいるのは「フェミニンケア」という分野。デリケートゾーン専用のソープやオイルなど、まだまだ浸透していない分野でのプロダクトは購入客を狭めることにもなるはずなのに、なぜだったのか。疑問を率直にぶつけると、そこには思いがけないメッセージが込められていた。

「公務員のときも、その後転職した民間企業を辞めるときも、挨拶のメールに『これから何ができるかはわかりませんが、女性が生きやすい社会の一部を担っていきたいと思います』って書いてたんです。そのくらい、きっと当時の形で女性が働くつらさを感じてたんだと思います」

男性の多い会社で、女性も同じ条件で働けることが“対等”だと、誰もが思っていた時代。世間では「女性活躍」が叫ばれ、女性が役職を担ったり、主導権を握っていくことが推奨された。

「でも、出産や病気でレールから外れたら、もう戻れない。一生無理して働かなきゃいけないのかって思うと、ふと、私たち女性は、いつまでこうやって戦い続けられるんだろうって」

「それに、家事や子育てはまだまだ女性の負担が大きいのに、女性の活躍ばかりが叫ばれる状態にも疑問が湧いていました。周りの働く女性たちも、同じような人が多かったように思います」

女性にとってようやく掴み取った権利であり、選択肢のひとつのはずが、今まで以上に「がんばる理由」が追加されてしまった感覚。多様性、選択肢としての女性の活躍が、いつの間にかそれに苦しめられている人たちがいることに、小林さんは疑問を拭えなかったという。

また、女性たちが自分の体に無理をさせないといけない社会は、男性にとっても生きやすいとはいい難い。公務員や会社員のとき、振り返ることも自身に向き合うこともなく走り続けた自分の姿がよぎった。

「みんなで声を上げていけば、徐々に社会は変わっていく。でも、それって時間がかかるんです。だったら“今”戦っている女性たちは、自分で自分を守れないと潰れちゃう。何か苦しいことがあったときに、まずは女性自身が体も心も大事にできる環境を作りたい。私はそこに寄り添いたいって思ってます。このメッセージを考えたとき、女性の心と体のバランスを菌が司るデリケートゾーンに特化した方がいいと思いました」

ブランド名『明日 わたしは柿の木にのぼる』の、「明日」には「今日やらなくちゃ」と焦る女性たちに「明日でいいんだよ」と伝える意味が込められている。そして、あいだに入った半角のスペースが一呼吸つかせてくれる。

「自分が作りたい社会に対するメッセージを発信できるプロダクト。本当にそれを実現したいから、これからも心が折れることはないと思います」

“心動く”東北の地に寄り添って

働く女性たちの他にも、小林さんがプロダクトを通して寄り添いたい人たちがいる。それが、『明日 わたしは柿の木にのぼる』の商品が生み出されている福島県国見町に生きる、地域の人々だ。

「なんで東北に惹かれるのかって説明できないけど、“心が動く”って感じ。輝かしい歴史も悲しい歴史もちゃんと残っていて、そこに住む人々の営みとか奥ゆかしさを感じ取っているのかもしれませんね。わからないけど、自分に足りない部分が東北にあるような気がしていました」

東北は、大学時代に温泉にハマり、卒業旅行も宮城・福島を訪れるほど惹かれていた場所。東日本大震災のときには真っ先に宮城へ向かい、ガレキ撤去のボランティアに赴いた。

そんな小林さんが公務員から民間のコンサルティング会社に転職し、多くの地域を訪れるなかで、心動かされたのが福島県国見町だ。

「国見町に関わっているうちに、なんとなく『ここでやりたい』と思ったんですよね。当時、東京から人が来る理由もないような町で、当然移住者もいない。でも、誰もやっていないなら自分でやろうかなって思ったんです」

大きな企業でなくても、地域の人たちが本当に必要としている寄り添い方ができたら。そう考えた小林さんが会社を辞め、独立を決意するまで長い時間はかからなかった。3年間勤めたコンサルティング会社を退職して1ヶ月後には、株式会社陽と人を設立。しかし、事業内容を詰めていったのはその後だ。

「農家さんや地域のいろんな人のお手伝いをしながら、『何か困ってることないかい?』って話をするところから始めましたね。だんだん打ち解けてきて、彼らの生活を知るうちに『そんなところに困っていたんだ』って見えてきた感じでした」

そうして見えてきたのが、せっかく育てた農作物の廃棄率の高さ。少し見た目が悪かったり大きさが満たないものは『規格外』とされ、少なくとも全体の生産量の1割は収入にならない現状があった。

陽と人では、そういった農作物を全部買い取って都内の八百屋や小売店に卸す、「新しい物流と商流」をメイン事業として、小林さんは地域のための仕事を模索し始めた。

地域のもったいないをコスメにする挑戦

この頃には、自身の体調と向き合い、デリケートゾーンやフェミニンケアについても知見を深めていた小林さん。そんな彼女が、国見町の農作物と出会ったからこそ『明日 わたしは柿の木にのぼる』の商品は誕生した。フェミニンケア商品の原材料となっているのは、本来であれば廃棄されてしまうはずだった、柿の皮だ。

小林さんは、化粧品会社で働いていた母親の影響で、コスメ自体が身近な10代を過ごした。それと同時に、自身が重度のアトピー持ち。自分が使えるオーガニックのコスメを作りたい、というのは長年の夢でもあったそうだ。

国見町で農作物の廃棄問題に気づき、小林さんのなかで点がつながった。捨てられてしまう農作物で、身体にやさしいコスメが作れないだろうか――。

桃やアスパラガスなど様々な農作物で試作をするも、失敗の日々。なかなか実現できない願いを持ち続けられたのには、彼女が現場を見て感じた想いがある。

「農家の“若手”ってもう60代なんですよね。農業を、もっと若い人たちが関わりたいって思ってもらえる産業にしていかないと、日本で食べ物が作れなくなっちゃう。それを実感しているからこそ、なんとかしたいっていう想いがずっとありますね」

突破口が見つからないまま農家さんたちと過ごすうち、冬になった。この季節の国見町は、特産品である干し柿『あんぽ柿』が一斉に干され、町中がオレンジ色に染まる。

「近くで見ていたら、あんぽ柿を作るのって本当に大変なんですよね。柿を育てて収穫して、ひとつずつ皮を向いて干して。手間がかかって大変なのに、儲かるというものではない。何かできないかなって思ってたら、みんな柿の皮を捨ててたんですよ、畑にポイって」

え、捨てちゃうの――?廃棄してしまうものをどうにか活かしたいと考えていた小林さんには、当たり前のように捨てられている柿の皮も気になる存在だった。野菜や果物は実と皮の間に栄養があると聞いたこともある気がした。

「話を聞いたら『だって皮なんて何も使えねえべ』とか言いながら、『でも栄養いっぱいあるから、昔は子どものおやつで食べてたんだぞ』って言うんですよ。それで、柿の皮の研究を始めたんです」

柿の皮の成分を研究してわかったのは、ポリフェノールが大量に含まれていること。これでコスメが作れたら、毛穴の引き締め作用や消臭効果が期待できる。

これらの特徴を知ったとき、小林さんのなかで再び点と点がつながり、フェミニンケアに特化したブランドを作ることに決めた。こうして、コスメブランド『明日 わたしは柿の木にのぼる』が誕生したのだ。

フェミニンケアは「健やかに生きるわたし」を作るものだ

小林さん自身、フェミニンケアで自分と向き合う時間を作るようになってから、体調の変化に気づきやすくなったという。

「毎日ケアしていると『ちょっと変だぞ』とか『痒いかも』ってだんだん分かってくる。そういうときってやっぱり『最近、がんばり過ぎてたな』と思うときなんです。そこに気付けたら『じゃあ明日はゆっくり休もうか』って、自分のライフスタイルの判断とか仕事の仕方も考えられるようになりました」

フェミニンケアは、女性の精神やライフスタイルに大きな影響がある。だからこそ、女性に関わり、女性とともに生きる男性たちにとっても、決して他人事ではない。

「生理やPMS、更年期なども含めて、女性の身体のメカニズムと人生が大きく関わっていることは、男性にも知っててほしいなとは思いますね。実は最近、嬉しいことに『パートナーへのプレゼントに』『出産でありがとうの気持ちを伝えたい』って購入してくださる男性が増えているんです。ブランドメッセージの『自分を大事にしてほしい』とか『ちょっと休んでいいんだよ』っていうメッセージと一緒に贈ってくれる人が増えていて。男性にも知ってもらうことで、よりお互いをわかりあえるきっかけになるんじゃないかな」

以前の自分と同じ悩みを抱えている女性たち、寄り添い方を模索する男性たち。『明日 わたしは柿の木にのぼる』の商品を通してさまざまな人に出会えるのが楽しい、と小林さんは笑う。その楽しさを原動力に、彼女は今、自分らしく、自分のペースで前に進む。

仕事に没頭する日々を過ごしても、目標に向かって走り続けても、柿の木にのぼってもいい。それはあなたの個性、あなたの選択だ。でも、1日10秒でいいからそんな自分と向き合う時間を持てたなら、自分をもっと大切にできる。

それが、かつて「鉄の女」と呼ばれた女性が提案したい「自分への寄り添い方」なのだ。