滋賀県の東近江市に咲く、日本古来の植物『紫草(ムラサキ)』。その名の通り、根っこの赤紫色が鮮やかで、夏には白い花を咲かせる植物だ。

紫草は、かつては日本列島に広く分布し、紫色の染料や漢方として人々に親しまれてきた。その歴史は深く、万葉集で詠まれるほど。

「紫草(むらさき)の にほへる妹(いも)を 憎(にく)くあらば 人妻ゆゑに われ恋ひめやも」
【訳】紫草のように美しいあなたが憎いと思うならば、あなたが人妻であるというのに、私が恋しく思うことがありましょうか。(いや、憎いなどとは思っておらず、恋しく思っております。)

という恋の和歌にも登場している。

だが現代では、環境の変化が原因で、絶滅危惧種(絶滅危惧IB類/EN)に指定されてしまった。

この危機的状況を前に「もう一度、紫草を多くの人の生活に馴染む植物にしたい」と立ち上がった一人の男性がいる。株式会社みんなの奥永源寺・代表取締役の前川真司さんだ。

紫草の根である紫根(シコン)を使い、国産紫根のオーガニックコスメ『MURASAKIno ORGANIC』を開発。滋賀県東近江市、奥永源寺地域ならではの化粧品として地域を盛り上げている。

ところが、ただコスメを作ることが目的ではない。と話す前川さん。

奥永源寺が生んだコスメ『MURASAKIno ORGANIC』が誕生したきっかけはなんだったのだろうか。そこには、奥永源寺地域の活性化に奮闘する前川さんの熱い想いと、コスメを通じて実現させたい地域のあり方があった。

松本 麻美
1988年生まれ関東育ちのフリーエディター。彫刻家を目指して美術大学に入学するも、卒業後は編集者の道へ。世界中の人間一人ひとりがお互いに尊重しながら自由に生きていけるようになればいいのにと思いながら日々仕事をしている。好物はスイカ。本、映画、美術、社会課題などさまざまな分野の間を興味が行ったり来たりしています。

農山村に恩返しがしたい。人生の転機

前川さんは、1987年兵庫県宝塚市生まれ。小さい頃から農山村一筋に生きてきたという。大学まで農業を勉強し、東近江市で農業高校の教員と地域おこし協力隊を務め、株式会社みんなの奥永源寺を設立した。

「経歴を見て、優秀ですね!と言われたりもするんです。でも実際には、自己肯定感が低くコンプレックスを抱えた子どもでした」

詳細を伺うと、その人生はまさに波乱万丈だ。

「実は私は発達障害者としてADHDやアスペルガー症候群、さらには学習障害という特性をもって生まれてきました。そのため読み書き計算や推論、じっとしていることがとても苦手で、授業中には教室を飛び出してどこかへ行ってしまうことも日常茶飯事。通っていた小学校の先生には『手に負えないからもう学校に来るな!』と言われ、両親からはひどい叱責の毎日でした。一刻も早くこんな場所から逃げ出したい……。そう思っていました」

辛い思いを抱えながら幼少期を送っていた前川さん。だが、ある日「夢」を見つける。

「小学校1年生で阪神淡路大震災に遭い、3年ほど仮設住宅で暮らしました。その時の私の満たされない思いを感じ取ったのでしょう、父親が六甲山牧場に連れて行ってくれたんです。それがきっかけで12歳のころには『牧場主になりたい』と夢見るようになりました」

夢を叶えるため、中学生に上がるときに高知県土佐郡大川村へ山村留学をした。この選択が人生最大の契機となる。

「山村留学をした先の学校は、16人の全校生徒に対して30人の教師がいるところでした。ほぼマンツーマンで見守ってくれたことで、私自身の得意なことを見つけ、うまく伸ばしてくれたんです」

教員が勧めてくれた読書感想文やスピーチコンテストでは、文部科学大臣賞を受賞するなど結果を残すことができた。山村留学を通して自己肯定感が育ったという。

「農山村の学校だったから私自身の個性を存分に伸ばし、活かすことができた。もし都会の学校に通い続けていたら、いまの自分はなかったと思っています。文字通り、農山村に命を救ってもらったんです」

山村留学での日々は、日常的に村の人々と関わる機会が多く、家族以上のぬくもりを感じることも多かったそうだ。そうした経験から、「この心豊かで温かい農村こそ、日本が未来に残すべき宝だ」。そう深く感じたと前川さんは振り返る。とはいえ、農山村は当時から存続が危ぶまれていた。

「農山村に恩返しがしたい、農山村の価値や可能性を日本の未来に残したい……」

そんな思いで勉学に励み、高校は兵庫県立播磨農業高校の畜産科、大学は東京農業大学の国際食料情報学部へと進学。

大学卒業後はさらに渡米し、UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)に留学。延べ8年間で、農業技術と6次産業化のための経営学を学び、世界の農業・環境事情についての知識も得た。そんな前川さんが日本に帰国したのは、大学の恩師からの1本の電話がきっかけだった。

「滋賀県立八日市南高校の教員にならないか?」

新学期が始まる直前、3月9日のことだった。

「すぐに返事がほしいと言われたので、その電話で就職先を決めました(笑)」

しかしこれがもう一つの契機となった。赴任先の八日市南高校では、日本で唯一、絶滅が危惧される「紫草」の栽培研究がなされていた。前川さんが紫草に出会ったのだ。

「教員の仕事はやりがいがありました。でも、大川村を含め全国の農山村は刻一刻と衰退していく。八日市南高校では、奥永源寺地域での紫草栽培の研究をしていましたが、集落の高齢化が重なって途絶えてしまうかもしれないという危機感もありました。結局、自分自身がプレイヤーとなって活性化に挑戦したいという思いが捨てきれず、2014年4月に地域おこし協力隊になって、今住んでいる君ヶ畑の集落に移住を決めたんです」

 

直面した奥永源寺の課題

奥永源寺地域で暮らしていくうちに実感したのは、高齢化による村の人口減少と限界集落化だと言う。前川さんによると、東近江市の市域の56%の面積を占める奥永源寺地域に、市の人口約12万人のうち336人が住んでいる。50年前の国勢調査では、1つの集落で200〜500人もの住民が暮らしていたのに、時代を経るにつれて廃村になってしまったところもあるという。

前川さんが住む君ヶ畑町は、住民のほとんどが75歳以上の高齢者で、集落にある50軒のうち約40軒が空き家だそうだ。

「あと5年か10年かしたら廃村になってしまうのでは?という強い危機感があります」

高齢化に拍車をかけているのが、意外にもアクセスの良さ。君ヶ畑町に住んでいた人々のほとんどが、市内の中心市街地へと移り住んでいるのだという。山間部から市街地までは車で30分。通うのに難しい距離ではないが、子育てや通勤のことを考えると市街地への移住に軍配が上がってしまうそれに加え、奥永源寺地域では「紫草の安定栽培」という喫緊の課題がある。

紫草は「東近江市の花」に指定されていて、地域にとっては特別な植物だ。万葉集の時代に『標野(しめの)=蒲生野(がもうの)』と呼ばれていた東近江市は、天皇の御料地とされ多くの紫草が咲き誇っていた。

「紫草の根『紫根(シコン)』から抽出した染色液に布を浸すと、紫色に染まることから、“ムラサキ”と呼ばれているんです。冠位十二階最高位である紫色に染める染料として、天皇が指定する御料地でしか栽培されていなかったようです」

実は紫根は染料としてだけでなく、化粧品や医薬品などとしても注目されてきた。抗炎症、解熱、解毒などの薬用効果があり、現代でも、西洋紫草(セイヨウムラサキ)を原料とした漢方薬が広く普及し、日常的に使われている。

しかし環境省が作成するレッドデータブックには「近い将来における野生での絶滅の危険性が高い種(絶滅危惧lB類/EN)」として掲載されている。その原因は、地球温暖化による環境の変化と、栽培の難しさにあった。

「全国の紫草が消えてしまうなかで、この地域には原種の種が残っていました。自生地には昔は300株くらいが原生していたそうなんですが、去年調査で見つかったのはたった3株。というのも発芽率が3%。100粒種を蒔いて、3粒しか芽を出さない。人工的に栽培するのも難しくて、100株の苗を地植えにしても、95株が枯れてしまうんです。それでもまだ、標高が450mある奥永源寺地域では、冷涼な気候のおかげで紫草が育つ。希望はあるんです」

 

紫草の魅力を広めるためのコスメ

そうした紫草の歴史や人の営みを汲み取り、前川さんは地域おこし協力隊の集大成として、株式会社みんなの奥永源寺を2017年3月に立ち上げる。紫草の根である紫根(シコン)を原料とした国産紫根のオーガニックコスメ『MURASAKIno ORGANIC』を開発したのだ。

わざわざ新しく化粧品を開発した背景には、より多くの人々に、農山村の課題と絶滅危惧種「紫草」を知ってもらいたいという前川さんの想いがあった。

「地域活性化や環境保全、地球の未来を守るというメッセージを伝えるために、なるべく多くの人に“紫草で作った商品”を手にとってもらいと考えています。紫根は、栽培がとにかく難しい植物です。あまり数を確保できないし、染色した染め物は希少すぎて、一着2000万円もの値が付くものもある高価なものですから、皆さんの手元に届きづらい」

「でも化粧品であれば、1本の紫根から何本もの化粧品を作ることができる。商品数も十分確保できるし、手頃な価格での提供が可能です。これなら限られた資源でも多くの方に手にとってもらえるようになると、紫草を使った化粧品の開発に踏み切りました」

『MURASAKIno ROAGANIC』のラインアップは、化粧水、乳液、美容オイル、フェイスウォッシュ、ハンドクリーム、スカルプエッセンス。それぞれボトルやチューブに入った化粧品は、紫草のやさしいピンク色をしている。着色料や化学添加物は一切使っていない。

「紫根の成分が肌トラブルを防ぎ、肌のターンオーバーをサポートしてくれるので、日焼けが原因のシミやソバカスを改善してくれるんです。紫根の魅力と美しさを、皆さんに届けたいと思っています」

化粧品に使用している地域の素材は紫根だけではない。市内で生産されている『菜ばかり』という菜種油、甲賀市の『ひまわり油』、草津市の『青花』エキスなども使っている。『MURASAKI no ORGANIC』は紫草だけでなく、滋賀県の豊かさと魅力がたっぷりと詰まったコスメなのだ。

 

奥永源寺をみんなの居場所に

前川さんがこの先目指しているのは、多様な人々の「居場所」となるような奥永源寺地域だ。根底には「多様な背景を持った地域内外の「みんな」が手を取り合って、共に奥永源寺の未来をつくるんだ」というひたむきな想いが存在する。

例えば、株式会社みんなの奥永源寺の設立にあたっては、各集落の人々や協力者から、1口1万円の出資を募った。

「株式会社は株主のものですから。名前だけでなく、実態も“みんなの会社”にしたんです」

地域活性化の基となるのは、「奥永源寺地域の4つの宝」だと前川さんは言う。

4つの宝とは、「鈴鹿国定公園・政所茶(まんどころちゃ)、木地師(きじし)、紫草」。この一つひとつに、特産品の開発や販売、体験ツアーを企画・実施しており、事業は全て奥永源寺地域の人々が関わっている。

例えば『東近江ムラサキ紫縁(しえん)プロジェクト』では、地域住民や学校、行政、企業が連携。それぞれの団体が、栽培や普及、商品開発、広報などを担うことで、地域が包括的に活性化されることを視野に入れる。

『MURASAKIno ORGANIC』の開発もこのプロジェクトの一環だ。地域の高齢者とともに畑を開梱して紫草を栽培し、八日市南高等学校が栽培研究と苗作りを担う。行政的な支援は市役所が行っている。こうすることで紫草という種自体が存続し、全国に広く伝わるのだ。

会社の設立やプロジェクトの発足など、前川さんが奥永源寺に仕事をつくることで人が集まってくる。人口が増えれば、学校や病院、スーパーなどの生活に必要なものも充実する。そうすれば、この地域での子育ても安心してできる。

「株式会社みんなの奥永源寺が、衣食住・教育・福祉に関わる事業をさらに展開することで、地域が総合的に活性化されていく。その結果、奥永源寺地域の人口が持続的に増加し、地域の豊かさが未来に継承されていく。そんな「未来図」が、私の目標なんです」

前川さんが描く未来は、それだけではない。十分に資金を貯められた未来には、大人も子どもも学べる“みんなの学校”を作りたいと話す。

「障害があったり、コンプレックスを持っていたりしても、農山村には適材適所の多用な仕事があるんです。例えば、話すのが得意な人であれば地域のツアーガイド、逆にコミュニケーションが苦手であれば黙々とお茶を摘んだり木地をつくったりもできる。仕事を通して人々と関わり、役割を担っていくことで、自己肯定感を高めてもらえると考えています」

前川さんは、都会で居場所を見つけられなければ、農山村に居場所を見つければいい。この世に必要ない、役に立たない人間なんていない、と断言する。

古代からの文化が育まれている奥永源寺だからこそ、人々の多様性や共同体としての豊かさを取り戻せる、そんな日本の誇れる地域を作っていきたい。前川さんの想いが地域の人々をつなぎ、未来の奥永源寺を形作るのだ。

『MURASAKIno ORGANIC』が発足して3年が経つ。これからも、一人ひとり違った個性を持つ多様な人々の協力が集まるだろう。奥永源寺に、たくさんの白い花が咲き乱れるのもそう遠くない。