本島最南端の佐多岬を有する大隅町は、手つかずの自然が残された風光明媚な土地として知られている。そんな恵まれた土地で育ったフルーツやハーブから作られているのが、お肌よろこぶ、大自然・鹿児島のサスティナブルコスメ『ボタニカノン』だ。

運営するのは、株式会社ボタニカルファクトリーの代表・黒木靖之さん。南大隅町の出身だという黒木さんは、大阪で化粧品会社を立ち上げた後、ある必然性を感じて鹿児島へUターン、ボタニカルファクトリーを設立した。

「私たちは地方の工場で自然由来の化粧品を作っていますが、大手が悪いとか、ケミカルだから悪いとかは一切思っていません。むしろケミカルを使ったほうが流通にも耐えられる安定したものができることを身に染みて分かっています」

一見、相反するケミカルと自然由来の化粧品。その両方の魅力や価値を理解した上で、鹿児島の土地で採れた素材を使うことを何より大事にする黒木さん。そこには、地元・鹿児島県だけでなく、日本全国、ひいては次の70年の化粧品業界を見据えた信念があった。

今回は『ボタニカノン』立ち上げの経緯と、その先にある黒木さんの夢を伺った。

天野 紗希
1990年東京生まれ。アパレルメーカー、PR会社、雑誌編集などを経て、現在はwebメディアの編集やライターとして活動しています。ドラマや映画、お笑い、旅行、スポーツ、古着、デニムが好き。将来は東京じゃないどこかとの2拠点生活をするのが夢です。

ヨーロッパ出張で感じた「いつかやりたい」を現実に

約25年ほど前に大阪で化粧品のOEM企画を中心に行う会社を立ち上げた黒木さん。そこから業界でのキャリアがスタートする。そんな黒木さんから見て、2001年の薬事法(現薬機法)施行を境に随分と化粧品業界を取り巻く景色が変わったという。

「以前から指定成分表示無添加というのは一部にはありましたが、当時はナチュラルなものがどうこうということはなく、大手ブランドのものを安心安全として選択していた時代です。それが2001年以降、法の整備とインターネットの普及に伴って、消費者自身が成分のことを気にするようになりました。雑貨化粧品でも売れればいい、という空気ではなくなっていったんです」

化粧品業界の変遷を身を持って体感した黒木さんの考え方に、さらに大きな変化を与えることになったのは、ヨーロッパ各国への出張だった。黒木さんの会社が総合代理店だったこともあり、コスメの輸入のため各地へ赴く機会が増えた。

「2006年頃から頻繁に行くようになりました。印象的だったのは、フランスやイタリア北部で、当時まだ小さかった『L’OCCITANE』や『WELEDA』の下請け工場を見学したこと。ヨーロッパでは、農作物と抽出工場、化粧品工場、病院までもが隣接し、ひとつになっているんです。これはいつかやりたいと思いました」

黒木さんは今から15年ほど前、つまりヨーロッパを訪れるようになってすぐに、その場で採れたものをフレッシュな状態で加工して化粧品にするという現地のやり方を取り入れるべく準備に取り掛かる。実行する場所として白羽の矢を立てたのは、黒木さんが生まれ育った鹿児島、大隅半島の最南端に位置する南大隅町だった。

「南大隅町は日本の最南端に位置している、ある意味秘境のような場所です。約4000種類の植物が群生していて、亜熱帯と温帯のちょうど中間の気候を持った土地。他にはない環境なので、他にはない化粧品が作れるのです。

仕事をするなら東京や大阪のほうが断然やりやすいですが、モノ作りをする場合は現場にいないと良さや臨場感が伝わらないと思いました。子どもがまだ小さかったこともあり、今のうちなら!と地元へUターンしてボタニカルファクトリーを立ち上げました」

食品のような化粧品であり続ける

黒木さんが秘境と表現するその場所で、『ボタニカノン』はスタートした。ヨーロッパを参考にした素材の栽培とモノ作りを同じ場所で行う上で、大切にしていることを聞いた。

「『ボタニカノン』で軸としているのは、地産原料を使用することです。安定的に採れる月桃やホーリーバジル、レモングラスなどを地元の方と契約栽培し、工場で抽出しています。ヨーロッパと同じように、素材から全部作る。その中で生まれたのが、『食品のような化粧品であり続ける』というコンセプトです。鹿児島が農産立県なので、せっかく鹿児島で作るなら口に入っても大丈夫なくらい安心なものを作りたかった」

売れればいいという従来の考え方から、ヨーロッパを参考にした生産環境を取り入れ、“安心”を重視したモノ作りへ。

大きく価値観が変化した背景には、黒木さんの娘さんがアトピーを経験したことも関係していた。症状が重くなる中で石油系の鉱物油が肌に与える影響を知り、自然な植物由来の油を使わないといけないという考えに変わったと話す。そのため、地産原料の使用に加えて、鮮度にもこだわりを持っている。

「私たちは素材自体の鮮度をできるだけ保ったまま、すぐに加工することに重きを置いています。そのため、容器を二重構造にするなど、鮮度を保つ工夫も行っています。鮮度と旬がテーマなので、“八百屋コスメ”と自称していますが、八百屋さんが『今のシーズンならこれが美味しいよ』というのと同じように、我々も四季を感じられるような化粧品作りを意識しています」

わざわざ“地元のため”と掲げない理由

地元鹿児島にUターンし、地元の素材を使った自然環境にも人にもやさしい化粧品を生み出してきた黒木さん。だが、あえて“地元のために”という言葉は使わないという。

「結果的にそうなったらいいなと思ってはいるけれど、本来の目的ではありません。私たちのコスメ事業は、地域の課題解決のために農業などと連携しながら実務的に機能して、商品を作って、都会で売れるようになることを目指しています。それが最終的に、あの会社に就職したいとか、魅力的な町があるんだなという注目に繋がって、地元のためになるという構造であるべき。だから、“地元のため”なんてわざわざ掲げる必要はないんです」

黒木さんが目指しているのは、何よりもまず、その地に根差した事業として成功すること。そうすれば、おのずと付加価値が生まれ、地域のリブランディングに繋がるからだ。

「私たちが価値を感じているものを『何こんなもん』と言われてしまうことが往々にしてあります。今まで捨てていたミカンの皮がオイルになることや、雑草のように生えていた月桃がローションになることの価値を、再創造することを使命としています。

そのためには、日本全国、もしくは世界の方にも使ってもらえるブランドになる必要がある。だから、それを目標に戦略を作っています。そうなれば巡り巡って、人の交流や雇用、投資も含めて地元に還元されるでしょう。多面的に還元性が広がっていくことこそ、本質的に地元のためになると考えています」

今まで当たり前だと思ってきた価値観を壊すことは、誰にとっても難しい。だからこそ、地元の人たちがこれまで見向きもしなかったものを価値あるものだと押し付けるのではなく、まずは都市部から評価を高めることで価値を付加していく方法を選んだ。

「地元民なので、田舎の人の特性をよく知っているから」と笑顔で話す黒木さんは、実に柔軟だ。

「ボタニカノン」はあくまでも通過点

100%自然由来の素材を使用しているからこそできる、鮮度と旬をテーマとした新しい切り口のコスメ『ボタニカノン』。慣れ親しんだ土地での事業化、成功には必然性を感じるが、これはあくまでも通過点だという。

「日本各地それぞれ地域のものを加工するやり方がボタニカルファクトリーの特徴なので、今回がたまたま鹿児島だっただけ。『ボタニカノン』というのは単なる先見事例なんです。個人的には、いろんなところに行って、その土地の問題を解決することをライフワークにしたいです。でもそのためには、ここ鹿児島である程度の形で成功させないと説得力がないでしょう」

力強く語る黒木さんが見ているのは、自然由来の安心な化粧品を作ることだけではない。規格外となったフルーツを積極的に素材として採用しているほか、点在する耕作放棄地の問題にも目を向けている。

「日本全土に虫食い状態で畑を放り出しているところがあり、問題になっています。これをうまく活用しないと、山も蘇らない。対策としては、ハーブなどを栽培するのが手もかからず有効なんです。それを原料とした化粧品を作れれば、付加価値の高いものができますよね。そういう風にして、課題解決に取り組めたらと思っています」

価値観の刷新ではなく、共存を

黒木さんの柔軟さは、事業の在り方だけにとどまらない。自然由来の化粧品づくりにこだわる彼は「ケミカルを使用した化粧品」との付き合い方についても話してくれた。

「私たちは地方の工場で自然由来の化粧品を作っていますが、大手が悪いとか、ケミカルだから悪いとかは一切思っていません。むしろケミカルを使ったほうが流通にも耐えられる安定したものができることを身に染みて分かっています。

ではなぜ自然由来のものを作っているかというと、使う方のレンジに合わせるため。長期的に使うなら自然由来を、すぐに結果を出したいならケミカルをお勧めします。例えば、明日が大事な日でそこまでに肌荒れを治したいと思ったら、やっぱりそれはケミカルに頼ったほうがいいでしょう。要は使用する方の時間軸の問題で、それぞれのコンセプトが変わってくる。ブランドによる違いはあって然るべきだと考えています」

つい対立させてしまいそうになる、相反する性質を持ったもの同士にも、それぞれのよさがある。だからこそ、化粧品業界にも自然由来とケミカルの共存が大切だと考えているのだ。これは黒木さんが長く業界に身を置いたからこそ、実感していることだろう。

「日本の化粧品の歴史はあまり長くありません。1890年代に資生堂が発売したオイデルミンからスタートし、戦後にカネボウなどが誕生、隆盛を極めていきました。合成界面活性剤が広く使われるようになったのもその頃です。マニシングクリームの感触を良くしたり、固形石鹸から液体石鹼に取って代わったり、界面活性剤によって豊かになっていきました。そこから約70年、現在まで続いています」

「だから、ある種ここからが原点回帰なのかな、と。『ボタニカノン』のようなコンセプトの化粧品にニーズがあるということは、これまで使っていたものが、長期的に見るとしんどいな、環境にも負荷を与えるな、ということに気付いてきたと換言できます。

今我々のやっているオーガニックコスメのマーケットは1500億円規模で、化粧品全体の6~7%くらいのシェアです。ドイツでは現時点で25%を超えているので、まだまだ先進地のヨーロッパと比べると3分の1ほど。

ここから70年後にケミカルをひっくり返すことは難しくても、もしかしたら半々くらいになっているかもしれません。それぞれの歴史のいいところ悪いところを総括して変化していくことは、選択肢も増えて理想的な状態といえるでしょう」

黒木さん自身としては、鹿児島以外の場所でも『ボタニカノン』と同じコンセプトで化粧品作りを行いたいという。

日本、ひいては世界各地の旬を化粧品から感じられるとは、なんて贅沢なんだろう。黒木さんの見る夢が、私たちの手元に届く日を願って止まない。