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大志を抱かなくても大丈夫。新卒「地域おこし協力隊員」が悩みの果てにみつけたもの

「今度田人町(たびとまち)に着任する地域おこし協力隊、女子大の新卒らしいよ」。

 

4年前に福島県いわき市に移住し、現在「いわき経済新聞」を運営する私のもとに、こんな話が飛び込んできたのは1年と少し前。

 

真っ先に思ったのは、「地域おこし協力隊なんて、決まりきった業務がないものに、社会人経験がない女の子が着任してやっていけるのかな」ということでした。

 

2017年4月に、福島県いわき市南部の緑深い里山地域・田人町の地域おこし協力隊に着任した舘野眞歩(たての・まほ)さん。僭越ながら同じ移住者として、折に触れ声をかけながら、ひっそり見守っていました。

 

着任から1年がたち、「自分の居場所が見つかった」と笑顔を見せた舘野さんに、「地域おこし協力隊」についてじっくり聞いてみたいと思い、田人に足を運びました。

 


 

先輩の存在と留学での気づき。でも協力隊になったのは「勢い」

 

 

そもそも「地域おこし協力隊」を意識したきっかけは?

 

出身の清泉女子大学の先輩に、長島由佳さん(茨城県常陸太田市地域おこし協力隊/2011年~2014年)という、地域おこし協力隊の先駆けみたいな方がいて、OG訪問的な感じで大学に講演へ来たんです。

 

そこで初めて地域おこし協力隊という仕事があることを知ったのですが、当時は自分が仕事に選ぶなんてことは夢にも思いませんでした。

 

―就職活動はしていたんですよね。

 

途中で嫌になってやめてしまいました。日本の就職や労働環境に疑問を感じてしまって。

 

―なぜそう思ったの?

 

大学3年時に1年間フィリピンに留学したんですが、そのときに、日本に研修生として来日予定のフィリピン人たちに日本語を教える仕事していました。

 

日本の大学に通っている中では出会わないような、低所得層の人たちとかかわることになったんです。自国で働いていては家族を養えないので日本に働きに行く、切実な状況の彼らを目の当たりにしました。

 

そんな経験から、組織の中でシステマチックに働くのではなく、人と直にかかわりながら働きたいと思うようになったのですが、日本の就活でそのように思える企業はなくて。

 

―就活をやめたあとは、何を?

 

就職はもういいから、卒業したら自転車で日本一周しながら自分探しの旅に出ようかと思ったりしてたんです。ちょっと血迷っていました(笑)。


大学では「地球市民学科」という学科を専攻していて、座学だけではなく、フィールドワークなども多いところでした。 先生も山にこもったり、平和について説いたり、個性的な人が多くて。その中の一人に「就職先に迷っているなら、地域おこし協力隊はどうか?」と勧められたんです。

 

―勧められたときは、どう思いました?

 

ほかの地域おこし協力隊の人の話を聞くと、なんだか皆さん大きな思いを持って始めてるんですけど、私はそういうのがなくて。「え? 協力隊行けるの? ラッキーかも!」くらいの、本当に軽い気持ちでしたね。実は、田人どころか、いわき市にも行ったことがなかったのに…。

 

 

地域に入ってみて気付く「危機感」と、それ以上の「ポテンシャル」

 

―採用が決まってから、着任するまでに何回か田人に足を運んだと聞いています。

 

担当の職員の方が、地区振興協議会の集まりに連れて行ってくれて。地域のキーパーソンとなる人たちに、4月から地域おこし協力隊として入るからと顔合わせの機会を作ってくれました。

 

また、勤務先はいわき市田人支所なのですが、女性の支所長であることもあってか、始めから非常にきめ細やかにサポートしていただきました。

 

舘野さんの勤務する、いわき市田人支所の玄関

 

いわき市田人支所周辺は、深い緑の山々に囲まれています

 

―地域の担当職員の対応って、とても大事ですよね。

 

はい。地域によっては、自治体との考えがマッチングせずに、役所のお手伝いさんのように思われてしまったり、協力隊が孤立してしまうこともあるそうです。田人では、区長さんや職員の方が「この子は地域を勉強して、やりたいことを見つけに来ている」と地域に根回ししてくれていたり、協力隊の任期(3年)後のことまで考えてくださっていたりするので、とても活動がしやすく、本当に恵まれていると思います。

 

―ただ裏を返せば、それだけこの地域の人たちが危機感を感じているということでもありますよね。いわき市全体の高齢者率(65歳以上)が約28%なのに対して、ここ田人地区は42%を超えています(いわき市ホームページ「地区別年齢別人口」2017年1月10日更新、より算出)。

 

東日本大震災と原発事故の影響で、小さな子どものいるご家族や移住者が避難したまま戻らないことで、高齢化と人口減少が加速しています。4つあった小中学校も閉校し、今は小中一貫の学校が1校だけになっています。人口が少ないことで、区費(町内会費)を値上げせざるを得ないなど、目に見える負担も増えています。

 

―でも逆に、「田人に来てほしい」というポテンシャルの高い人も多くいる印象です。

 

そうなんです! 今日の取材場所の「MOMO Cafe」は、私もすごくお気に入りで、女性用の旅行本『ことりっぷ いわき』の表紙になっているくらいの人気店です。1月~6月中旬までいちご狩りのできる「田人観光いちご園」や、国内最大規模とも言われている「クマガイソウ」の群生地など、田人の魅力を伝えようと活動している人がたくさんいます!

 

MOMO Cafeでリラックスする舘野さん

 

MOMO Cafeは「猫のいるカフェ」としても有名です

 

 

着任早々、自分の業務は自分で決める?

 

ー舘野さんは、具体的にどんな業務をされてるんですか?

 

「SNS等を活用した情報発信」と「豊富な地域資源の磨き上げ」というミッションがあり、その手法については自由にして良いというものです。なので業務開始時から、協力隊自身が活動内容を設定しなくてはなりません。今となってはすごくやりやすくてよかったなと思いますが、始めた当初は辛かったです。

 

―社会人経験もなく、舘野さんの場合は同期も同じ地域にはいないですもんね…。

 

私に主体的に動いてほしいという思いから、担当職員の方からは好きにやっていいよと言われるのですが、最初はそのことがなかなか理解できませんでした。何をやっていいのか全くわからないんです。実は、その方に当たってしまったこともありました。

 

着任したばかりの頃は気軽に相談できる方もまだ周りにいなくて、話せるのは身内だけ。でも「帰ってきてもいいんだよ」と言われると、「聞いてほしいだけなの」と言い返してしまったり。辞めたいわけではなく、自分が地域の役に立っている実感がなくて、日々悩んでいたんです。

 

―どのように辛い状況を脱却したんですか?

 

とにかくインターネットで検索をして、協力隊の先輩方のブログを読み漁りました。実際に自分が協力隊になってみると、ブログに書いてある良いことも悪いことも納得できるようになっていて、ダメだなと思っていた自分の活動もこれでいいのかもと思えたりして。もちろん、いろいろな方にお話を伺ったりもしました。

 

―具体的な行動としては何を?

 

とにかく、地域の人が集まるところに出かけましたね。「名前はわからないけど、いつもいる子」と思ってもらえるように。地域のお祭りに参加したり、フリーペーパーを作って配ったり。

 

なかなか手ごたえがないので、悩んだりもしていたんですが、だんだんとお互いに理解し合えるようになってきて、今では「あそこに行けばあの人に会える」と足を運んだり、町を歩いていて住民の方から「まほちゃん」と声をかけてもらうことも多くなりました。これは田人に暮らしているからこそで、ただ訪問しているだけではなし得ないことだと思います。

 

「なんか遊んでるみたいですよね」と笑顔でいちご狩り(田人観光いちご園)

 

田人観光いちご園では、1月~6月中旬までいちご狩りができます

 

 

自分の役割がわかった瞬間、本当にホッとしたんです

 

―お仕事として自信を持って動けるようになったのはいつ頃ですか?

 

着任して約半年経った9月頃、でしょうか。田人地区の今後の方針を話し合う会議があったんです。そのときに、住民の方が必要だと思うことと、私がこうあったらいいなと思っていたことが重なったのを感じました。

 

私は社会人経験がないから、とにかく住民の方から学ばなくてはと活動してきたものの、外から来た立場として、田人に足りないものやあってほしい姿が少しずつ見えてきていたんです。それが住民の皆さんと合致していた。私が考えていることは必要なことなんだと思えたんです。

 

―それは具体的にどのようなことだったんですか?

 

田人には、みんなが気軽に立ち寄れるような「場」がなく、減ってしまった子どもたちが放課後に安心して遊んだり勉強したりする「場」もありません。くつろぎながら地域の方々が子どもたちを見守ることもできて、外から来た人も立ち寄ることのできる場所があったらな、と。

 

最近、地方では古民家カフェやゲストハウスのような場所が増えてきていて、田人にもそういう場所があればいいなと思っていたのですが、住民の方も賛同してくれて。

 

田人支所での活動報告会で発表する舘野さん

 

―カフェと学童が一緒で、外の人も立ち寄れるコミュニティスペースみたいな…?

 

そうですね。すでに改修した古民家があるので、そこを利用しようと。いまは仮で「田人みんなで作るコミュニティハウス」と呼んでいます。

 

意見がひとつ出ると、どんどんアイデアが広がっていくのですが、他の人は本業があるので動くことができません。そのときに仕事として動けるのが「地域おこし協力隊」なんだなって。自分の役割を自覚できて、一番私がホッとしたんだと思います。

 

 

よそものである「地域おこし協力隊」だからできること

 

―役割が自覚できてから、どのように行動に移したんでしょう?

 

コミュニティハウスという「場」を実現するためにどのようなことが必要か、シミュレーションしていきました。子どもたちが遊べる場所が田人にあったら、自由にお茶を飲みながら語り合える場所があったら、郷土料理や伝統芸能を伝えられる場があれば…。そんな「たら、れば」を、できる「かも」しれないと、どうすればみんなに思ってもらえるのか。

 

―地元の人の思いが動かなければ、実現出来ませんものね。

 

そうなんです。そのためには、地域おこし協力隊である自分が何を「つくりだせる」か示す必要があるし、機会やお金をどれだけ外から連れて来られるかだな、と考えて、それにはまず「田人面白いことやってるじゃん」って田人内外のみんなに思わせなきゃって。

 

―それで、田人の若者たちが集まる場をつくっているんですね。

 

「TBT」(Traditional taBito Tanoshimu-kai=伝統的な田人を楽しむ会)と名付けて、2017年9月から月に1回を目安に開催しています。はじめは支所やキーパーソンの人の力を借りて、片っ端から若い人に声をかけていたのですが、今は毎回10~15人くらいが集まってくれます。

 

TBTの会場の一つである「いちごハウス」は、田人観光いちご園に併設

 

―毎月、毎回10人以上って、田人の規模(人口約1,494人/2018年5月1日現在)からしたらすごいですね!

 

そうなんですよ! でも実際に開催してみると、みんな年の近い人とただ集まって話したり、飲みながら地元のみんなと楽しい時間を共有したりしたかったんだなと感じます。

 

地方では今でも、若い人が声をあげづらい場面があります。自分たちのやりたいことをやりたいと言える場所が必要で、遠くない将来訪れる、自分たちが意思決定の主体になるときにきちんと地域のためになる決定ができるように、TBTで挑戦と失敗を繰り返していけたらと思います。

 

―TBTは、舘野さんがいなければ実現できなかったのではないですか?

 

私はただ、場を設定しているだけだと思っているんですけど、TBTを通して田人の内外の人がつながって、新しい動きになっていくのを目の当たりにしています。

 

同じ田人にいても、今までつながる機会はなかったみたいで、よそ者である自分が来たからつながれたのかもしれないと思うと、地域おこし協力隊としての存在価値を感じられます。あとは単純に「仲間ができた」「居場所ができた」と感じられることが、一番うれしいです。

 

TBTの会場の一つである「いちごハウス」は、田人観光いちご園に併設

 


 

【編集後記】

 

今、日本全国には、4,830人の地域おこし協力隊が配置されています(2017年度、総務省「地域おこし協力隊推進要綱」に基づく隊員数)。福島県内にも、2018年4月1日の段階で102人の協力隊がいて、舘野さんは、その内の一人です。

 

「3年の任期後は、田人に定住するの?」と聞いてみたところ、笑顔で返ってきた答えは「まだわからない」でした。地域おこし協力隊は、活動に入った地で起業し、定住することを期待されています。新卒で入った舘野さんは、ようやく自分の居場所と役割を見つけましたが、残りの任期の間に何が起こるかわかりません。やるべきことが見つかったからと言って、このタイミングで「定住」を判断できないのは当然かもしれないと思いました。

 

こんなに多くの地域おこし協力隊がいるのだから、働き方に「正解」なんてなく、実際に動いてみなければわからないことばかりなのだと思います。ただ笑顔で、「自分で一から仕事をつくり出していくことが楽しい」「地域の人から学ぶことが楽しい」と心から言える舘野さんの活動する田人地区を、これからもわくわくしながら見守っていきたいと思っています。

 

田人町地域おこし協力隊ブログ −まいにち、たびと−

 

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山根麻衣子

いわき経済新聞ライター兼デスク

高校生の時にライターを志すも、東日本大震災まではサービス業に従事。震災を機に情報発信に目覚め、気づけば記事を書くように。2014年、福島県いわき市に移住。 移住して出会った、福島県浜通り地域の素敵な人・ことを伝えていきたいです。