「私の“平和”」という特集テーマを聞いたとき、すぐさま連想したのは、「暮らす場所を選択できること」だった。

「どこで暮らしてもいいんだよ」と言われたら、わたしたちは暮らしを営む場所としてどこを選択するのだろうか。今と変わらぬ土地だろうか、それとも全く異なる異国の地だろうか、昔訪れた記憶の中の街だろうか。

そんなことを自分自身にも問いかけてみた。これから全3回、自分に問うた“平和に暮らせる場所”へのアンサーを、記事を通してお届けします。よければお付き合いください。

鈴木詩乃
写真のライフスタイルメディア「Photoli」の編集者/ディレクター。多摩美術大学美術学部を中退後、デザイン専門学校在学中にライターとして活動を開始。日本と世界の文房具屋さんを巡りながら文章を書いて生きている。1995年生まれ。

「世の中が大きく変わっている。人々の“暮らす場所”が今、自由になろうとしているのだ」

この春、久しぶりに戻った実家でそう実感した。

東証一部上場企業に新卒入社、転職なんて頭の片隅にも置かず、毎日ぎゅうぎゅう詰めの満員電車に揺られながら会社に向かい続けた父が、生まれて初めてリモートワークをしている姿を見たからだ。

働く環境としてベストではないであろうダイニングテーブルに自身のスペースをこじんまりと設け、やれビデオ会議だ、電話だのと言いながら慣れない働き方にやや苦戦している様子で日々を過ごしていた。

デスクトップパソコンではなくノートパソコンが仕事のメインアイテムになったこと、それに伴い社内で働く席を自由に選べるフリーアドレス制が導入されたこと、さらに社員が自らの出社、退社時間を選択できるフレックスタイム制度が設けられたこと。

父から教えてもらう会社の変化は、わたしにとって社会の変化の縮図だった。

春先から取り入れられたリモートワーク制度によって、父はどこでも仕事ができるようになった。それは、きっと父の会社以外でも起きていることで、大きな大きな世の中の変化だと感じている。

そして、わたしは思った。

「ああ、人の暮らす場所はもっと自由に選ばれるようになるのだろうな」と。

先ほど「実家に戻った」なんて書いたが、わたしの実家も、一人暮らしをしている家も、どちらも都内にある。

フリーランスとして働き始めたばかりの頃、わたしはライターとして毎日のように取材のために都心に出向いていた。都心まで気軽に行ける場所に家が欲しいと感じて、一人暮らしを選択した。

そして、肩書きがライターから編集者やディレクターへと変わった今も相変わらず渋谷や新宿に赴くことが多く、都心の近くに暮らしたいという思いから都会で暮らすことを選び続けている。

ただ、わたしのライフスタイルは、都会に暮らし、都心で仕事をするだけではない。説明すると「1ヶ月のうち、1週間ほどは東京以外のどこかで生きています」となる。東京の自宅で暮らすのは月の半分〜2/3程度。残りの時間は、そのときどきで「行きたい」と思った場所へ旅をする。

2018年の初め頃から旅を始め、昨年には月初めになると旅の計画を立てて毎月どこかしらを旅する生活を定着させていた。旅先は国内を中心に、北海道・新潟・愛知・関西・沖縄などが多く、時折アジアにも足を伸ばしている。

友人や仕事仲間と連絡を取ると、会話は決まって「詩乃、今はどこにいるの?」から始まる。そんな調子だ。

始まりは旅をライフスタイルに馴染ませながら生きる人々との出会いだった。旅のみに重きを置くわけではなく、それなりに働きながら、かといってどこかに定住して働くわけでもない──気の赴くままに旅をしながら生活するというライフスタイルを送る人々。

彼女たちと出会ったことによって、わたしの「生き方」に対する考えは大きく揺さぶられたように思う。

旅と共存するライフスタイルを初めて知ったのは2016年、まだ学生の頃だった。当時のわたしにとって旅とは、行って帰ってくるもの。一般的に「旅行」と言われるものとほぼ同等の意味だったと思う。

片道切符のみを手にして家を出て、来月は別の国へ、またその翌月は別地域へ……と次々に居場所を変えながら生きる人たち。純粋に「わたしも、やってみたい」と感じた。そして、社会人になった初月、彼女らの旅に少しだけ合流させてもらった。

赴いた先は沖縄・那覇だった。期間は一週間ほどで、5人の仲間と一緒に時間を過ごした。海を見たり、ダイビングに出かけたり、カフェにこもってひたすらに仕事をしたりと過ごし方はそれぞれ。

それまで電車で自宅と学校の往復を繰り返していたからだろうか、その一週間は夢かと思うくらいの刺激的な時間だった。

それを機に、わたしはだんだんと旅に出るようになった。なんとなく落ち着く街が多いことから国内を巡ることが多いが、東京には戻らず、複数の地域を転々とすることも珍しくない。

そんな生活を続けていくと、彼女らが拠点を持たずに暮らしを続ける理由が、ほんの少しだけれどわかるような気がした。なにせ東京だけに留まるにはもったいないくらい、日本にも世界にも心安らぐ街が多すぎる。ひとつの街や地域のみを選ぶ定住は、むしろ難しすぎる選択だった。

 

まだ行ったことのない、感じたことない土地を知りたくて旅をすることもあれば、何度も訪れた心がほどける街へ帰ることもある。旅先はいつも思いつきというべきか、気まぐれというべきか、自分の直感に任せて選んできた。

そうやって旅を繰り返しているうちに、自分自身の旅のスタイルのようなものも見えてくる。わたしの場合、それは“暮らす”ができる場所を探して旅をしていることだった。

ガイドブックに載っているような観光地を巡り歩く旅ではなく、その地域の名産品や特産品をたんまりおなかに入れるような旅でもなく。東京にいるときとなんら変わりない生活を旅先でもすることが、わたしの思う理想の旅なのだと思った。

たとえば、最初に訪れてから虜になって以来、年に3〜4度は訪れている沖縄・那覇は、わたしにとって“暮らす”ができる街のひとつだ。沖縄といえば海だったり、泡盛だったり、美ら海水族館だったり……とその地を代表する名物がとても多いと思う。

でも、わたしの旅はそのどれもを堪能することなく東京に戻ることばかりだ。

たとえば、わたしの那覇で暮らす日のワンシーンを切り取ってみる。まず、朝の早起きが苦手なので無理せず10時頃まで眠っているし、国際通りに足を運んだとしても向かうのはWi-Fiと充電環境のあるスターバックスコーヒーだったりする。気が向いたら沖縄そばは食べるけれど、気が向かなければ食べなくても良い。そんな調子だ。

友人に話すと「もったいない」と驚かれるような過ごし方だし、わたしも「そうだよね」と冗談交じりで返す。

でも日々変わらない毎日を、あえて好みの那覇という街で過ごせること。東京で暮らすのと一見するとなんら違いのない暮らしを、東京ではない場所で送れること。それこそが、わたしにとってはなによりの幸せなのだと思う。

だからわたしの旅は、必然的に2泊や3泊では終わらない。観光地を巡ったり、食いだおれを楽しむなら2日、3日と旅程を組めばたいてい事足りるだろう。もちろん手帳をぴっちり埋め尽くした旅も、充実感に満ちていてとても有意義だとも思う。

一方で、その旅を喜べないのがわたしだったりする。短い旅の時間で得られるのは非日常であって、日常ではないから。日常を求めて旅をしようと思うと、じっくりとその土地に自分が浸透していく必要があるし、その期間は意外と長い。

「1ヶ月のうち、1週間ほどは東京以外のどこかで生きています」と語るライフスタイルになったのは、土地に馴染む、「暮らす街を探す旅」を続けた結果なのだった。

たったの7日、たったの10日で一体その土地のなにがわかる、と現地の方に怒られてしまうかもしれない。ただ、そんな旅を繰り返していると、だんだんとゆるやかに自分が土地に“馴染む”感覚がわかる。

普段暮らす東京だって決して暮らしにくいとは思わない。そして、そう思える、肌に合う土地が他にあっても良いとも思う。1ヶ月の旅は勇気がいるかもしれないけれど、1週間の旅はハードルもそう高くない。

そして、ちょっとの暮らしで知れることは想像しているよりも多い。