とある戦争体験者の語りから、戦中~戦後広島の日常を描く連載「戦争の記憶図書館」。
第7回となる今回は、恋バナ!?

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【登場人物】
私:しの
河内:河内光子さん
恵:しのの祖母
坂本:ピースボランティアさん
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前回までの話はコチラ→【第6回】炭になった母親

人の金じゃけ怖くない

 

祖父:これどうそ、熱いから気をつけて。

 

忙しなくお茶やお菓子を持ってきては勧める私の祖父(三郎)を見つめて河内さんは私の祖母(恵)へ向き直り少し小首を傾げて目を細めました。

 

河内:いいですね、優しい旦那さんで。私のは…「おい!」言われて返事せんかったら「おい!!」いう具合でした。

 

2度目の「おい」の口調はずいぶん乱暴で河内さんの笑顔には不釣り合いに見えます。

 

河内:いじめたわけじゃないんですよ、でも早くに亡くなりましたね。

 

遠くを見つめるように持っていた湯飲みから口を離した河内さんに祖母は言います。

 

祖母:でも恋愛結婚だったんでしょう。

 

河内:そろばん持ってケンカしてました(笑)。

 

河内さんの顔には茶目っ気のある笑顔が浮かび、ご主人との話を振り返るようにポツリぽつりと話始めました。

 

河内:お金を降ろしに行ってたんです。三和銀行と第一銀行が向かいにあってね。1000円札で一千万円分を担いで行くんですよ。

 

祖母:あの頃の一千万いうたら太いですね〜。

 

祖母もその頃の景色が浮かぶのか、楽しそうに相槌を打ちます。

 

河内:よっこらしょ言うようなかったですよ。

 

しかもそれで終わりじゃないんですよ、三和銀行に預けたらまた他の口座から一千万を降ろして今度は住友に運ぶんです。そしたら次は住友から興銀行くんです。これを毎日やってました。

 

でも強盗に遭うたことないんですよ。シーツを縫うたような粗末な袋に入れてました。

 

知った人に「みっちゃんあんたは大国主命(おおくにぬしのみこと)のように重そうなもん担いどるが何入れとるんや」言われて。

 

「んーん、ボロ入れとるんよ。」って答えたけど大金が入っとるんよ。

 

そしたら銀行からうちの部長に電話がかかってきて、「あんな20にもならんような子に大金を持たせて危のうないか」って。

 

「だから大丈夫なんよ」と部長は言ってました。誰が持たしますかそんな大金、こんな小娘にね。

 

祖母:私ら100万持ってもブルブル震えるのにね。

 

祖母は肩をすくめておどけてみせます。

 

河内:「あんた何持って行きよるんね」って、また知らん人から言われてね。

 

「知ら〜ん、持ってけ言われたけ持ってっとるんよ。ようわからんのよ。」って返したら、「重たいか」言うもんで、「重たいよ〜」言うんです。

 

人の金じゃけ怖くないんです(笑)。

 

妙に気持ちがわかると一同で笑いました。

 

河内:銀行員だった彼とはそろばんを持ってけんかしとったんよ。

 

初めて話した彼

 

河内:部長さんがコウジくんを呼んでおいでって言うけえ、部長さん私銀行行く用事があるんですが。

 

「先呼んできなさい!」言うけえ、お父さん(旦那)が勤めとった三和銀行に呼びに行ったんです。

 

親から「息子、ちゃんとやっとりますか」って電話がかかってきても返事ができんから。

 

呼びに行ったら福屋の前で4、5人でタバコを吸いよるんです。

 

「部長さんが呼んでこい言うちゃったけえ、帰ろうや」言うたらね、

 

「いらんお世話よ。帰っとりんさいや。あんたの言うこと聞く必要ないんじゃけえ。」

 

「ふんっ、聞きんさんなよ。何ねえ。」

 

言うて帰ったんです。

 

少し鼻息を荒げ小鼻を高く突き出したかと思うと、私たちと目線が合いまたお茶目な笑い顔になる河内さん。

 

河内:その後30分くらいして帰ってきて、こってり部長さんに絞られとりました。

 

祖母:あの頃はタバコ吸う人が多かったけえねえ。

 

河内さんと同学年の祖母は働いていた時期も場所もほどんど一緒の広島市内だったので会社で休憩を作ってはタバコを吸っていた男性たちを思い出して懐かしんでいました。

 

河内:あのころは1日80本吸うとったんですよ。やんちゃ坊主でねぇ、かといって優しいんですよ。

 

祖母:まあやんちゃばっかりじゃね。

 

この言葉には河内さんも両手をあげました。

 

そろばんを持ってケンカした彼

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河内:彼はいつも「また違うとった?」って、帳簿のことでケンカするんです。

 

「ちゃんと見て、右か左か考えてやってえや。また直さんといけんじゃない。」

 

「うるさいねえ」

 

「どした言うんね!」

 

言うて私がそろばんを振りかざしたら

 

「やるか!」

 

言うて。

 

「やめい!!!」

 

部長さんが怒鳴って。

 

祖母:あのころはみんなそろばんじゃったからねえ。上手だったんでしょう。

 

電卓がなかった当時、お金の計算はそろばんでされていました。

 

ことに銀行というところは特にそろばんが優秀な人しか入社できなかったと言います。

 

河内:いや、下手くそでねえ。だから銀行入らんかったんです。

 

住友と三井が同じ給料じゃったけえ、高い方に行こうと思ったけどそろばんが要る言うけえ断ったんです。

 

ほしたら日銀がある言うて。書くことが多くてそろばん少ない言うけえ、どしてかなと思ったけど上司の人が「あるよ、相当練習せんとダメよ。」言うけえ、

 

「ほいじゃあ三井物産にします」

 

言うて断ったんです。

 

祖母:あの頃はそろばんが大事じゃったけえ、私らのきょうだいは商業に行ったんよ。

 

祖母の父親はアメリカに出稼ぎに行っていた関係もあり視野を広く持っていました。時代を自力で生き抜くには一般教育よりも技能を身につけることに重点を置くという教育方針を掲げ、自分の子供を商業学校に入学させていたのです。

 

それは祖母のちょっとした自慢でもありました。

 

私:じゃあそろばんできるんでしょう。

 

祖母:それができんのよ。お寺の人がそろばんを教えよっちゃったんよ。そこへ行っては踊っとったんよはっはっはっ 慰問よ。あの頃は陸軍病院やなんかに慰問があったでしょ?それで踊るためにそろばんしに行く言うちゃあ、踊りに行っとたんよ。タイプはねえ、好きじゃったんよ。

 

河内:タイプも嫌いじゃった。

 

祖母:字を拾うのも“背景”“謹啓”いうてね。私の姉が商業出とったから…今生きとったら91かな。定年まで信用金庫に勤めてね。二人目の子がお腹におる時に旦那が死んでね。子供産んで復職して二人の子を大学に行かせて。

 

私:それ誰なん。

 

それは唐突に出てきた私も知らない家族の話でした。

 

祖母:吉見のおばちゃん。伊織さんとテルアキの…知らんかな。

 

聞けばなんとなく顔が出てくるものの、彼女にそんな過去がある事はこの瞬間い初めて知ったことでした。

 

→【第8回】荒ぶる、広島のやんちゃ男は近日公開。