沖縄本島のさらに南に、7つの島が連なる宮古島諸島がある。そのうち、宮古島の北に位置し橋でつながっている島。それが、池間島だ。四方をコバルトやエメラルドに彩られた海が囲み、白い砂浜、緑色の陸地とのコントラストが美しい。

この海にはサンゴや魚など多くの命が育まれてきた。海の恵みが漁業や観光業などを生み、生活を支える。固有の伝統がいまも息づき、神事や暮らしなどに色濃く残っている。

池間島には、宮古地方の方言で『ヤラブ』と呼ばれるテリハボクの木が海と陸地の境界線、畑の垣根や御嶽(うたき)の側にも生えていて、防風・防潮林としての役目を果たしているという。

「テリハボクは島のどこにでも生えている木。毎年春と秋に白い花をつけて、緑色のまんまるな実がなります。黄色になると完熟のしるし。この実から種を取り出して殻を割り、なかの仁(ナッツ)を搾って美容オイル『タマヌオイル』を作っています」

島の人々の暮らしや美しい自然を守りたいと、弾けるような笑顔で話すのは、ヤラブの木・代表の三輪智子(みわ ともこ)さん。テリハボクは、島のあちこちで見られるが、オイルの生産は島で初めての試みだという。

ナッツの濃厚な香りがただようタマヌオイルは『naure(ナウレ)』というブランドで全国で発売中だ。

深い青色の瓶に封入されたオイルは島の人々の手で作られる。マッサージをするとどんどん肌になじんでいき、しっとりするのが特徴だ。毎日のスキンケアやヘアケアだけでなく、日焼け止めとしても使用できる。顔や全身のお肌のお手入れにぴったりなオイルだ。

「わたしたちがタマヌオイルを作る背景には、解決したいさまざまな課題があるからなんです」と語る三輪さん。タマヌオイル『naure』に込めた島の未来を伺った。

松本 麻美
1988年生まれ関東育ちのフリーエディター。彫刻家を目指して美術大学に入学するも、卒業後は編集者の道へ。世界中の人間一人ひとりがお互いに尊重しながら自由に生きていけるようになればいいのにと思いながら日々仕事をしている。好物はスイカ。本、映画、美術、社会課題などさまざまな分野の間を興味が行ったり来たりしています。

30年40年で変化した暮らし。おじいやおばあが話す島の課題

三輪さんは、神奈川県南足柄市の出身だ。もともと縁もゆかりもなかった池間島に来島したのは、島でのNPO法人の活動に興味を持ったのがきっかけだった。島に実際に降り立ったとき、目にした人々の表情が印象的だったという。

「みんなの目がキラキラしているのが強く心に残りました。当時の私は、島について何も知らなかったけれど、島の方たちがとても素敵で、この島自体にも宝物がたくさんあるように感じたんです」

こうして、三輪さんは一瞬で島に惚れ込んだ。2012年に移り住み、NPO法人のスタッフとして活動することに。島のおじい(おじいさん)やおばあ(おばあさん)の家庭で民泊の受け入れをするためのコーディネートや島の自然を守るための植樹を行い、島を元気にするため奮闘した。しばらくすると、島の課題が見えてきたという。

「だんだんとわかってきたのは、ここ30~40年で島の自然環境が大きく変わってきたことです。いま80代のおじいが言うには、昔は『サバニ』という小舟が沈むほど魚がたくさん獲れていたのに、いまではその量も種類も減ってしまったそうです。人々が島で暮らし続けるためには、食と職の恵みを与えてくれる豊かな海を守っていかなくてはいけません。これは切実な問題だと私自身も感じました」

もう1つの課題は、島の高齢化。就職や進学を機に島を離れる若者が多いのだ。若者が島を離れていってしまうと、伝統行事の継続や、隣近所の支え合いなどが難しくなっていく。他にも、耕作放棄地が増えていったり、環境の整備や防風・防潮林のメンテンナンスなどができなくなってしまっているという。

「これまでは、自然の営みに人の営みが加わって、島の生態系が成り立っていました。ところが、状態を気にかける人が減っていくと、自然環境がどんどん悪化したり外部の手で乱開発されたりということが起こってしまうんです」

「島内には、“願いごとをする浜”や“神様が宿っている岩”など、人々が暮らしながら祈りを捧げてきた場所もたくさんあります。大切にされてきた素敵な風景が失われてしまわないように、島で紡がれてきた暮らしや自然環境を守り続ける活動がしたい。そんな想いがどんどん強くなっていきました」

地域資源は身近にあった。島の木から生まれたタマヌオイル

三輪さんがNPO法人のスタッフとして植えていた苗は、いずれは海沿いの防風・防潮林となる。植えた苗木の中でも『naure』で使用しているテリハボクの数はとくに多かったという。このテリハボクの種子から油を採り、利活用できることを知ったのは、ちょうどその頃。文化人類学の分野で活動している友人から、南太平洋に位置する国バヌアツでの話を聞いたときのことだった。

テリハボクの種を搾ったタマヌオイルは、環太平洋、東南アジア地域で、皮膚の保湿やおむつかぶれ、切り傷や虫刺され、湿疹や乾燥肌などに使われてきた伝統薬だ。オレイン酸やリノール酸などの保湿成分が含まれていて、肌や髪の保湿、マッサージ、UVケアなど幅広く活用できる。

しかし日本国内でタマヌオイルを生産した前例はない。テリハボク自体は、池間島や宮古島、少しはなれた石垣島や八重山諸島でもよく見られるが、種子は利活用されてこなかった。

「だからこそ、捨てられていた種を利活用できれば島の新しい産業となる。テリハボクが自生する他の国や地域でやってきたなら、池間島でもできるかもしれない」

こうして2018年、『ヤラブの木』という屋号で会社を設立。NPO職員として植樹の活動も続けながら、タマヌオイルの開発をスタートさせた。そうして翌年2019年にブランド『naure』が誕生した。とはいえそれまでは、自分が起業するなんて考えていなかったという三輪さん。

「島の資源を使った事業は、島の人がやるべきだと思っていたんです。よそ者の自分はそれを裏方としてサポートする側だと。でも気づいたら移住してから7年も経っていました。自分たちでリスクも背負う覚悟を決めないと何も始まらないと、だんだん考えるようになりました」

『naure』は、宮古島・八重山の多くの古謡に登場する「ゆうやなうれ」というフレーズに由来している。「世の中が平和に正しい方に直れ」あるいは「たくさんの作物(ゆー)が豊かに実れ(なうれ)」と島の豊穣を乞う意味が込められている。三輪さんがブランドにこの名前を用いたのは、島の自然や人々の心の豊かさが、この先70年、100年、200年……と続いてほしいという自身の切実な願いによるものだ。

子どもからおじいおばあまで。暮らしの中で作る化粧品

聞くと、『naure』は島民みんなの協力によって作られているという。あらゆる年齢の人々が、暮らしの一部としてオイル作りに関われる仕組みが考えられている。

「テリハボクの実の収穫から搾油まで、すべての工程を池間島で行っています。私や夫が中心となり進めていますが、島の方々にもたくさん力を貸してもらっているんです」

「実は完熟すると木から落ちます。島の道端や海岸など、いたるところに落ちているのを、大人はもちろん、幼稚園児くらいの小さな子たちも散歩中などに拾って事務所に持ってきてくれるんです。1箱あたり数百円をお渡ししています」

集めた実は天日に干して乾燥させ、種の殻を割り、中にある仁を取り出す。この作業を担うのは、島のおじいやおばあ達だ。

一人で黙々と殻割りをするのもよし、友人を呼んでワイワイとやるのもよし。作業ペースも時間もそれぞれ自由。量った重さをもとに、作業してくれたおじいやおばあにお金を支払うのだ。

「人によっては、外出するのが大変だったり、作業のために時間を確保するのが難しかったりしますよね。特にお年を召していたり、持病があったりすると。でも小さな仕事が数多くあれば、みなさんに無理なく参加してもらえると思うんです。だからこそ、“好きな場所で好きな時間帯にできる“ “友達と楽しみながらできる”という暮らしの中で関われる仕組みを作りました。」

三輪さんが大切にしているのは、タマヌオイルの生産が島ぐるみの事業になること。それから人々の元気と健康だ。

「関われる仕事がその人の生きがいや張り合いにもなって、元気に暮らせるきっかけの1つになっていると思うんです」

naureの事務所の隣に住むおじいは、散歩道に生えているテリハボクの木を眺めては、「次の作業はいつからかね」「(実が)ずいぶんと大きくなってきた」「あれはもうすぐ完熟じゃないか」と収穫の時期を楽しみにしているのだそうだ。実の乾燥が終わると、待ちわびたように誰よりも早く作業を進めてくれているのだとか。

こうしておじいやおばあの手で一つひとつ丁寧に取り出された仁は、搾油機で油を抽出され、丁寧に濾過され、島外の化粧品工場で充填される。消費者の手元に届く小瓶には、島の人々の想いがあふれるほどに込められているのだ。

 

ゆうやなうれ(世や直れ)。豊かな島への願いを込めて

海と陸の境界にテリハボクを植えて木を増やし、島の木でタマヌオイルを作ることは、人々の暮らしを元気にするだけでなく、自然を守ることにもつながる。

「海岸沿いの林は島で『海垣(うみがき)』と呼ばれていて、琉球王府の時代から現代まで続いてきた防潮・防風林です。ここに植えた苗木が育てば、海風や潮から畑の作物や民家を守ってくれます。また生活排水や化学肥料に含まれる過多な栄養や赤土が、陸地から海へと流れ出さないように抑えてくれる効果もある。森が育てば育つほど、周囲の海の環境も少しずつ改善していくんです。そうすれば減ってしまった魚もまた増えるかもしれません」

さらに、タマヌオイルの生産は島の新しい産業への糸口となっている。

「設立して3年目に入ったいまは、植樹をして商品を作ってというサイクルが、ようやく回り始めたくらい。今後はメンバーも増やして継続した植樹と管理をしていきたいなと考えています。ゆくゆくは島で、在来品種の豆や穀物類、月桃や薬草も無農薬・有機栽培して、”島の自然を守る”という付加価値のついた商品として販売したいですね」

「捨てられていたテリハボクの種を利活用することで島の新しい産業を創れるかもしれない」と希望を抱き事業をスタートさせた三輪さんの想いは、実ったのだ。もともと縁もゆかりもなかった池間島だが、今ではタマヌオイル『naure』を通じて、自然環境の改善と島の人達の暮らしを守りたいと言う三輪さん。島のために頑張りたい!とエネルギーが湧き出るその背景には、おじいやおばあに恩返しをしたいという想いが宿っている。

「おじいやおばあには、とてもお世話になってきました。お返しをしたいし、島の仕事づくりという課題の一つを解決したかったんです。島の先輩方も『あんたたちがやるんだったら手伝うさー。(種を)もっておいで〜』と力強く応援してくれます。ヤラブの木の活動には、多くの島民の気持ちが詰まっているんです」

テリハボクの種から拡がっていくタマヌオイル『naure』の活動が、自然を回復させ、仕事と生きがいを創り、島の伝統を後世までつなぐ。この好循環を思い描く三輪さんの目には、とても明るい島の未来が見えているに違いない。