地域とつながりながら、自らの手で仕事を生み出す。埼玉県比企郡に移住し、そんな「生き方」を選ぶ人々を紹介する本連載。暮らす場所を自分で選ぶことは人生の豊かさにつながるけれど、「移住」という言葉の背景には、考えなければいけないことがたくさん含まれている。

それが自分ひとりではなく、家族がいればなおさらだ。それぞれの仕事、実家からの距離、子どもの学校など、一人で勝手には決められないことばかり。

誰と、どこで暮らすのか───。次の暮らしを考える人たちに、ある夫婦の選んだ「生き方」を紹介したい。比企郡ときがわ町に、夫婦で移住した青木達也さん(通称アオさん)と江梨子さん(エリーさん)だ。

「ときがわ町だからこそ、夫婦で一緒に地域に溶け込めたと思うんです。今度は私たちから、地域に何か恩返しができるようになりたいな、と。そんな想いでいます」

肩を並べて楽しそうに笑う2人。東京都練馬区に暮らしていた夫婦は、なぜ勤めていた会社を辞めてときがわ町に移住してきたのか、お話を伺った。

ウィルソン 麻菜
1990年東京都生まれ。製造業や野菜販売の仕事を経て「もっと使う人・食べる人に、作る人のことを知ってほしい」という思いから、主に作り手や物の向こうにいる人に取材・発信している。刺繍と着物、食べること、そしてインドが好き。

“キャンプ”が夫婦共通の趣味になった

ときがわ町に移住し『キャンプ民泊NONIWA』を運営している、アオさんとエリーさん。こんもりした山と、さらさらと流れる小川に囲まれた2人の家にある「庭」でキャンプができる、新しい形の民泊施設だ。

キャンプに興味はあるけど、いきなり山奥やキャンプ場に行くにはハードルが高い……。そんなキャンプ未経験者は、ここで数ある道具のなかから好きなものをレンタルでき、テントの建て方や道具の使い方などを、手取り足取り教えてもらいながらキャンプ体験ができる。キャンプ好きな夫婦との会話を楽しみに、経験者も好んで訪れる場所だ。

野あそび夫婦」という名前で活動する2人のもとには、キャンプ場の運営の他、キャンプ講習や情報発信、イベント運営、NONIWAの庭を使った撮影など、キャンプ関連の仕事が後を絶たない。

キャンプ好きな2人が出会って結婚したのだろうか。そんな憶測は、アオさんの最初の一言ですっかり裏切られた。

「僕はもともとキャンプ好きというわけではなくて、ほとんど行ったこともなかったんです。江梨子に誘われたのをきっかけに、だんだんとハマっていきました」(アオさん)

大学の放送学科で出会った2人。アオさんは放送作家を目指して脚本を、エリーさんはテレビ制作を学んでいた。「出会ったときから180度タイプの違う2人だった」と笑う。

そんな2人は卒業後、アオさんは商社、エリーさんはテレビ制作の会社に就職し、東京都練馬区に拠点を構えた。付き合っていた当時は仕事が忙しく、たまに映画を観に行ったり、飲みに行ったりするのが2人での過ごし方。

“キャンプ”が具体的に2人の人生に入り込んできたのは、結婚が一つのきっかけだったという。エリーさんが「家族でキャンプに行かれるような車がほしい!」と言い始めたのだ。

「私は小さい時からずっと家族でキャンプをしてきて、楽しかった思い出がたくさんあるんです。だから、自分も結婚して家族ができたらキャンプをしたいと思っていて。アオと車を購入する話をしていたとき、キャンプに行ける車がいい!って話をしたんです。そこから、具体的にキャンプ道具とかも探し始めたんですよね」(エリーさん)

話が盛り上がり、ついには新婚旅行に行く予定だった貯金もすべてキャンプ道具に!夫婦2人だけでなく、友人や家族も交えてキャンプに行くこともあった。

「キャンプってすごく仲良くなれるんですよ。義理のお父さん、お母さんとも何回かキャンプに行ってかなり打ち解けました」(アオさん)

自然を相手に楽しむキャンプは、思い通りにいかないことやハプニングが起こったときに助け合わなければいけない。

「テレビがあるわけでもないから必然的に会話も増えるんですよ。そんな非日常の空間に、キャンプ経験のなかった僕ものめり込んでいきました」(アオさん)

付き合っていた当時は共通の趣味がなかった2人にとって、“キャンプ”は夫婦の趣味になっていった。

焚き火を囲んで見えてきた「私たちのしたい暮らし」

非日常空間がゆえにいつもはできない話ができたり、互いをよく知ることにもつながるキャンプは、夫婦の関係性や暮らしを築く上でも重要な役割を占めてきた。そんな2人の「生き方」が大きく方向転換したのは、静岡のあるキャンプ場で焚き火を囲んだときだ。

「30歳を目前に『これからどうやって生きていきたいか』って話をしたんです。自分が思い描いてた30歳と当時の自分にギャップがあったりして、落ち込むことや悶々とすることも多い時期でした」(エリーさん)

その頃、テレビ制作の仕事で地方に移住し活躍する人たちを取材していたエリーさん。気になった町に、アオさんを連れてキャンプに行くことも多かった。

「その土地に行くと、やっぱりそこで出会った人や暮らしの話になることが多くて。『地域で暮らすってどうなんだろう、やってみたいな』ってアオに言ったら、『いいんじゃない』って言ってくれたので、仕事を辞めて移住する決意をしました」(エリーさん)

アオさんに快諾の理由を聞くと「何も考えてなかったわけじゃないですよ」と笑った。

「僕のほうは、東京で会社勤めする生活に大きな不満があったわけじゃないんです。でも、自営業の人ばかりの家庭で育ったこともあって、ずっと会社に勤め続けるイメージはしづらかった。かといって、東京に住みながら自分で仕事を作り出せるかもわからなかったので、一度暮らす環境をぐるっと変えてみるのは、僕の中でもしっくりきたんですよね。そういう背景があっての『いいんじゃない』っていう回答でした」(アオさん)

そこから2人は半年後に地域へ移住することを目標に、移住先や物件を探し始めることに。地方で生きてみたいエリーさんと、自分の仕事を作り出したかったアオさん。このときの2人にとって良い着地点が“移住”だったのだ。その先に掲げた理想の生き方は「自然のなかで遊ぶように暮らす」こと。

野あそび夫婦の誕生、キャンプ民泊への道

夫婦の趣味だったキャンプが「仕事になるかもしれない」と思ったのは、移住を考え始めた頃。友人とのキャンプで、何気ないコツを教えたときに喜んでもらえたことがきっかけだった。

「慣れている私たちだからこそ、『この道具はレンタルでもいい』とか『こうすれば簡単にできる』って伝えられるんだなって。キャンプって、やってみたいけどハードルが高いと思う人も多いんですよね。例えば、子どもに体験させてあげたいけど、車や道具を揃えることを考えるだけで大変そうって思っちゃう」(エリーさん)

実は、アオさんの初めてのキャンプ体験はあまり良いものではなかった。エリーさんも含めた友人たちと行った9月の長野。想像以上の冷え込みや、テントの寝心地の悪さを目の当たりにして「キャンプってしんどいな……」と眠れない夜を過ごした。

「でも、朝になって外に出てみると湖がキラキラ輝いていて。すごく気持ちよかったんです。前夜のつらさを上回る綺麗な景色に、心を掴まれて。寒さ対策やテントでの過ごし方などの知識がなくてしんどい思いをしたからこそ、もっと勉強して自然のなかでも快適に過ごせる方法を探したいなと思いました」(アオさん)

「寝心地が良くないと嫌!って言うから、めちゃくちゃ調べましたよ」と、エリーさんも思い出し笑いをしていた。

本格的なテントの張り方、道具の使い方、アウトドアでも快適な過ごし方――。2人で模索しながらキャンプを続けてきた知見が、キャンプ初心者の役に立つ。それを知った2人は、早速SNSでアカウントを作った。その名も「野あそび夫婦」。

「キャンプのハードルを下げる」をミッションとして、まず2人でキャンプインストラクターの資格を取得。キャンプ場で講習会をしたり、自分たちで貸し切ったキャンプ場にお客さんを呼んだり、人々とキャンプの距離を縮める活動を始めた。

同時に、大量のキャンプ道具を持参して講習する大変さも実感し、自分たちで拠点を持ってキャンプを教えるスタイルを模索していたという。

「大規模なキャンプ場をやりたかったのではなくて、“キャンプを教えられる庭”がいいなって思っていたんです。それがキャンプ体験ができる民泊という形でした」(エリーさん)

『野あそび夫婦@キャンプ民泊準備中』。移住する場所も物件も決まっていないけれど、思い切ってSNSのアカウント名に追加すると、キャンプ好きの人々を中心に「応援しています!」「オープンしたら手伝いに行きます」とフォロワーが増えた。

「待っている人たちがいるのが嬉しかったし、なかなか物件が見つからなくて諦めそうなときもメッセージを見ながら『絶対にやる!』と決意していました」(エリーさん)

“ちょうどいい”町、ときがわ

野あそび夫婦としてキャンプ民泊ができる移住先を探す日々。そんな中、2人の目に留まったのがときがわ町だった。

「アオが会社に通える範囲で移住先を探していて、インターネットでときがわ町を見つけました。最初は、ひらがなでかわいいなって印象でしたね」(エリーさん)

個人経営のお店がたくさんあることに興味がわき、実際に足を運んでみたときのことをエリーさんが振り返る。

「ちょうど天気もよくて、山々がこんもりしてかわいくて、川の勢いも強すぎずにさらさら流れていて。東京からの距離も近い。全部が“ちょうどいいな”って思ったんですよね」(エリーさん)

さらに、2人を移住の決断に近づけたのは、ときがわ町らしい“人のつながり”だったという。

「会う人がみんな本当に良い人ばかりでした。どんどん人を紹介してくれるから、遊びに来るたびにときがわに知り合いが増えていく。東京で暮らしていたときは、隣に住んでいる人もほとんど知らなかったのに、ここでは同じ地域に暮らしている人の顔が見えてきたり、違う職種や立場の人でも横のつながりがあったりするのが新鮮でした」(アオさん)

本連載の第一回目に登場した関根雅泰さんを始め、ときがわ町でさまざまな活動をしている人に出会い、「この町でキャンプ民泊ができたら」という思いを強めていったという。

「ふと『キャンプ民泊できる場所を探している』って言ったら、関根さんがすぐ知り合いのところに行って『この2人が物件探してるんだけど、何かないですか?』ってつないでくださったんです。そのスピード感や気軽さに驚きましたね。そうやって応援してくれる人が周りにいること自体がすごく力になりました」

そうして2人は埼玉県比企郡のときがわ町を選んだ。物件を探しつつ2年ほど通い、2019年に本格的に移住。今度は自分たちがときがわ町を訪れる人々を受け入れる側として「自然のなかで遊ぶように暮らす」生活が始まったのだった。

地域にお邪魔するのではなく、自分たちで作っていく

ときがわ町に移住したからこその暮らしの変化について聞くと、悩みながらも丁寧に言葉を紡いでくれた。

「いろんな移住先を検討しましたが、ときがわ町はまだ移住者が集うようなコミュニティが固まっていない地域でした。もちろんみんな助けてくれるけど、自分たち自身も移住者として、手探りで地域に関わってきた感じ。だからこそ“地域にお邪魔する・入れてもらう”みたいな感覚にならなかったのかもしれません」(アオさん)

そんなときがわ町だったからこそ、夫婦で一緒に地域に溶け込むことができた。「お邪魔する」という感覚だったら、もう少し夫婦だけの世界に留まっていたかもしれないと2人は言う。この地域をみんなで一緒に「作っていく」という感覚が、2人を積極的に動かしている。

「今はまだ認知度が高くないことが、逆に燃えるのかも。こんなに素晴らしい場所なのに、みんなまだ知らないの?って、勝手にがんばって発信しちゃってますね」(エリーさん)

そんな2人は移住してからの2年で、キャンプ民泊以外にもさまざまな活動を行なってきた。ときがわ町の職人さんと一緒にオリジナル商品を開発、コロナ禍ではときがわ町の商品を集めた『野あそび夫婦セレクト「埼玉県・ときがわ町」お取り寄せギフトセット』を販売した。町に関わる若者たちが集まる『ときがわ若者会議』を始め、さまざまなイベントやプロジェクトの発起人でもある。

「新しく来てくれる人たちにも『お邪魔する』感覚になってほしくはないから、コミュニティを作りすぎないバランスは難しいですけどね。僕たちは考えすぎず、まずは『ここで楽しく暮らしているよ』と伝えていきたいです」(アオさん)

“いきなり大きなことは成し遂げられない。でも、一人ひとりができることを持ち寄れば、成し遂げられることの輪も、人のつながりの輪も、大きくなっていく。そこから面白い化学反応が生まれると思うんです”

前出の関根さんは、ときがわ町についてこう語っていた。アオさんとエリーさんを見ていると、それは地域だけでなく夫婦関係においても言えるように思える。

「アオのほうが0から1を生み出すことが上手で、私はそれを育てることが好き。一緒に暮らしを作っていくなかで『得意な分野が違うんだ』ってわかってから、ますます楽しくなりました」(エリーさん)

生活も仕事も共にする2人が、今でも意識しているのは「相手に向き合う時間」と「問いかけること」だという。もともとタイプの違う人間だからこそ、「違う価値観だ」という意識を持ちつつ、どこが違うのかを言語化することを大切にしていると、アオさんは言う。

「夫婦でずっと一緒に過ごしていると、気がつくと時間が流れちゃう。だからこそお互いが『今、何を考えているのか』を意識的に確認するようにしています。それを無視してしまうと、食い違いにすら気づけなくなっちゃうので」(アオさん)

そういうときに役立つのが、非日常の空間。あえて2人で外食したり、近くの温浴施設に行ってみたり。以前より頻度は減ったが、キャンプにも月に一度は行く。車で隣同士に座って移動する時間や、静かに焚き火を囲む環境では自然と本音がこぼれ落ちる。

誰と、どこで暮らすのか──。人生に大きな影響を与える「移住」という選択をするのは容易ではない。けれど、大切な人と歩む人生だからこそ、お互いの「生き方」を尊重し擦り合わせていくことは人生を豊かにしてくれる。そんな生き方の選択肢を、ときがわ町で暮らす「野あそび夫婦」に教えてもらったような気がした。