東京から電車に揺られること、1時間半。見えてきたのは緑豊かな里山の風景が広がる、埼玉県比企郡のときがわ町だ。比企郡とは、滑川町・嵐山町・小川町・川島町・吉見町・鳩山町・ ときがわ町で形成される郡のこと。
埼玉県の中部に位置し、都会からそう遠く離れていないにも関わらず、豊かな自然に囲まれた場所だ。観光スポットとしてたくさんの人が訪れるというわけでもなく、埼玉県民にとっても知る人ぞ知る町である。そんな埼玉県比企郡には近年、あえてこの地で生きようと決めて移住してくる人々がいる。
「どんなふうに生きていこう......って、悩むのもわかる。でも、そんなに難しいことじゃないよ」
そう朗らかに笑うのは、企業人材育成の研修を提供する『株式会社ラーンウェル』を経営しながら、ときがわ町に拠点を置き、地域の事業に取り組む『ときがわカンパニー合同会社』を経営する関根 雅泰さんだ。
「小さくとも、仕事をうみだしたい。関わる人に、対価が回るようにしたい。若い人が、ときがわ町で、新しい働き方ができるようにしたい」
そんな想いを掲げ、地域での人材育成に励む関根さんの活動からは、何人ものミニ起業家が育っている。自分のできること・やりたいことを仕事にし、地域のつながりを感じながら働く人が、この町にはたくさんいるのだ。
今回は地域を巡りながら、埼玉県比企郡に移住し活躍する方々を、5回の連載としてお届けする。
たくさんの生き方・働き方がある今の時代。どんな仕事をしても、どこで暮らしてもいい代わりに、これといった正解があるわけではない。そんな中で「どんなふうに生きていこう......」とモヤモヤが頭をよぎったら、この連載をそっと覗いてみてほしい。
不安な気持ちに寄り添ってくれる、背中を押してくれる言葉が、見つかりますように。
そんな思いを込めて第一回目は、「比企郡の仕事づくりの中心人物」といっても過言ではない、ときがわカンパニー合同会社代表の関根さんに、大事にしている「生き方」を伺った。
このままでいいのか…?違和感が「起業」の原点
ときがわ町へ移住する前は、会社員として満員電車に揺られ自宅のある埼玉から東京へ行き、朝から晩まで働いていたという関根さん。そもそもなぜ、起業家としての生き方を選んだのだろうか───。
「会社員時代は、企業内教育コンサルティング会社に勤務し、企業研修を販売する営業と講師を務めていました。アメリカの大学に留学したときに味わった「学ぶ楽しさ」を日本にも広げたい、“日本の教育を変えたい”。そんな想いで働いていましたね」
現在、関根さんが経営する2つの会社も、人材育成や研修講師を中心にビジネス展開している。会社員時代に培った仕事が、今の関根さんのキャリアにもつながっているのだ。
しかし、やりがいや充実感を感じつつも、働き方への違和感は否めなかったという。
「会社と家の往復。それだけで精一杯な毎日を送っていました。朝早くに家を出て、夜遅くに帰宅する。育児は妻に任せっきりで、子どもとの時間もなかなか取れずにいました」
本当にこれでいいのだろうか……。モヤモヤを抱えながら、スーツを着て早足で最寄駅へ向かう。その途中、感じていた違和感を浮き彫りにするシーンに出くわした。
「朝、出勤するとき、道端に落ちているタバコの吸い殻を掃除する人を見かけたんです。ひょっとしたら急ぎ足で駅へ向かう人が落としたものかもしれない、なんてことを思いつつも、その場を通り過ぎることしかできませんでした。そのとき思ったんです」
「自分はこの地域に住んでいるのに、東京に行って帰ってくるだけ。何もできてない。これでいいんだっけ……?」
選んだ仕事に誇りは持てても、働き方に誇りが持てない───。
家族や地域と関わる時間が持ちづらい会社勤めではなく、独立して自分の裁量で稼ぐ働き方はできないのか。いつか独立したいと模索しながら準備を進めていた。
そして、転機が。
「父が亡くなったんです。59歳でした。当時33歳だった私は『もし自分の人生が60年だったら……?』と考えずにはいられませんでした。すでに半分が過ぎている。死を意識すると、後悔したくないという気持ちが強くなりました」
そうして2005年に独立し、企業の人材育成を担う『株式会社ラーンウェル』を設立。東京の大手企業の企業研修などを手掛けることとなった。
ときがわに根を下ろしてやっていくんだ、という本気
起業の道を選んだ後、一家でときがわ町へ移住した関根さん。
「兼ねてから、子どもは自然豊かな環境で育てたい、と妻と話していたんです。そこで見つけたのが、ときがわ町でした」
なぜときがわ町だったのか?尋ねると、妻の「ここがいい!」という一言が決め手でした、と楽しそうに笑う。
「きっと庭からの景色をご覧いただいた方が早い、行きましょう! 」
そんなお言葉に甘え、急遽ご自宅を案内いただくことに。
小高い丘にある庭から望む景色に、思わず「わぁ〜」と歓声を上げ息を飲む。芝生の上で子どもが遊び、山林からはそよ風が吹き抜け、大きな空は電線や高いビルに遮られることなく頭上いっぱいに広がっていた。
移住当初は、東京の会社を主な顧客としていたため、仕事で地域と関わることはほとんどなかったという。だがあるときを機に、変化が訪れる。
「2011年3月11日に起きた、東日本大震災がきっかけでした。被害の様子を見て『自分たちだけ幸せでいいのだろうか?何か自分にできることがあるのではないか?』そんな気持ちが膨らんでいったんです。次第に、地域に目が向くようになって。そこから行事やイベントを手伝うようになりました」
子育てをしながら、会社経営に励み、地域活動にも参加する。充実感を感じる一方で、ボランティアで地域活動に関わり続ける難しさを感じたという。
「働き盛りの30代〜40代が地域に関われない理由を、目の当たりにした気がしました。もし無報酬ではなく、「仕事」として関われる人が増えれば、地域はより良くなるのではないか?と思ったんです」
そのためには、地域で仕事を生む必要がある。そうして設立したのが、ときがわ町の事業を担う『ときがわカンパニー合同会社』だった。
「ときがわに根を下ろしてやっていくんだ、という本気が伝わるように」法人化した理由を、熱量込めて語る。関根さんの覚悟の証だった。
ところが、始まりは苦戦の連続だったという。
「地域のため!と張り切って、経験のない林業支援や行政との仕事にも積極的に取り組みました。ですが、なかなか思うような結果が出なかったり、私自身が擦り減ってしまう事業があったり……。熱意とは裏腹に、なかなかしっくりくる仕事や成果を生み出せずにいました」
力を発揮できず悶々としていた当時を、冷静に振り返る関根さん。
「俺ならなんでもできる!って傲慢だったんですよね。今振り返れば、うまくいかなくて当たり前でした。キャリアを積んできた東京の仕事とは、顧客も異なれば、土地柄も違うんですから」
そんなとき、埼玉県と連携して「起業家育成事業」を手掛ける話が舞い込んだ。実際にやってみての感想を、聞くと───。
「率直に、楽しかった……!」
目を細め、嬉しそうに話す。関根さんの“心踊る瞬間”を垣間見たように思った。
「受講者のみなさんは、自分で仕事を生み出したい、起業をしたい。そのためにはどうしたらいいか?と自ら考え、行動し、学びに来られる方ばかりでした。そんな人たちを応援できる、一緒に仕事ができることに、やりがいを感じました」
「それに人材育成や研修講師は、私の専門領域です。好きなこと、得意なことで地域の役に立てる。“これだ!”という感覚がありました」
関根さんに影響を受け、夢が実現した
地域での起業家育成に手応えを感じた関根さんは、地域で仕事をつくり、それを担っていく人を育てる方向へ舵を切ることに。
県からの委託期間終了後も、ときがわカンパニーとして起業家育成事業『比企起業塾(現在は、比企起業大学・大学院)』を続け2021年で5期目を迎えた。
「関わった人たちの成長を感じたり、私の手から離れてどんどん活躍していく姿を見ると嬉しいですね」
そう話す関根さん。実際にどのような人が関根さんから影響を受け、地域でやりたいことを実現させているのだろうか?連載を通じて地域を巡ると、「関根さんの存在の大きさ」に触れられた。
「東京から移住をして、関根さんに出会えたのは大きいです」
ときがわ町でキャンプ未経験者に向けた『キャンプ民泊NONIWA』をオープンした野あそび夫婦の青木達也さん・江梨子さんは、こんなエピソードを教えてくれた。
「キャンプ民泊をやろうとしたとき、いろいろな人をつないでくださったのが関根さんです。比企起業塾に入り、“地域での仕事のつくり方”も学びました。応援してくれる人や、一緒に頑張る仲間ができると、自分たちの活動を継続していく力にもなる。関根さんはそうやって、意識的に勇気づけしてくれているのかなと、思いますね」
看護師の傍らアロマセラピストとして『澄香〜sumika〜』を運営する、ときがわ町在住の工藤瞳さん。比企起業塾で学びと実践を繰り返すことで、「夢が叶ったんです」とご自身でも驚かれた表情で語ってくれた。
「自分の目標を書くワークがあって。やってみたいな、と思っていたアロマセラピー関連の事業を行っている企業『生活の木』で講師をやる、と記入したんです。電話で問い合わせてみたら、受け付けていると返事をもらえて……。実際に教壇に立つことに!言葉にして行動するきっかけをくれた方ですね」
生活芸術家/アーティストとして、比企郡鳩山町にある鳩山ニュータウンに移住した菅沼朋香さん。元空き家を活用したアートプロジェクト『ニュー喫茶幻』や、空き家に実る果物を活用したお菓子『空家スイーツ』を手がけている。比企起業塾でビジネスや顧客のつくり方を学べたことは、現在につながる大きな原動力になっているという。
「これまでアートに触れたことのなかった人にも、生活にアートを取り入れてもらえる仕組みづくりができるようになりました。例えば、空家スイーツもそうです。私にとってはアートプロジェクトの一環ですが、“ニュータウン土産”として販売することで、多くの人に手に取ってもらえるようになったんです」
空家スイーツは、実際にテレビやWebメディアなどにも多く取り上げられ、菅沼さんのアート作品は多くの人の手に渡るようになった。
「何をやりたいのか、何ができるのか、わからなかった。そんな僕たちの背中を押してくれたのが、関根さんでした」
大学院2年生で鳩山ニュータウンに移住し、建築を通じた地域おこしをする小西隆仁さん・永田伊吹さんは、当時をこう振り返る。
「建築を学ぶ学生だった自分たちに、何ができるのか……?模索する中、出会ったのが関根さんでした。相談すると、その場でアイデアをいただいて。『じゃあ、いつまでに作れる?』とすごいスピードで物事が進んでいったんです(笑)。やらざるを得ない環境をつくってもらいました」
そこから生まれたのが、地域住民がつくるハンドメイド商品や野菜を、運び、受け渡すことができる販売・交換のためのプラットフォーム『運ぶ受付』プロジェクトだ。
何かやってみたい、でもどうすればいいかわからない。そんなとき関根さんの存在に背中を押され、最初の一歩を踏み出し進んでいく人たちの、楽しそうな表情が見られた。
やってみないと、わからないから。やってみたらいい
「みなさんの活躍は、私の誇りですよ。その人の人生が変わっていく、プロセスを見守り続けられるのも、地域で仕事をする醍醐味です」
「地域で仕事をつくる」「地域で仕事をつくる人を育てる」生き方で、携わる人の人生に影響を与えている関根さん。その生き方を選んだことで、ご自身の価値観も変化したという。
「人生を仕事だけで埋めない。家族や地域の人たちとのつながりを大事にできるようになりました。妻が言うんです、『あなた愚痴を言わなくなったね』って(笑)起業という働き方。地域に溶け込んだ暮らし。この生き方を選んで人生が変わったのは、紛れもない私ですね」
そんな関根さんが残したい、未来とは───。
「一人ひとりが自分の足で立つ。要は『個』が強くなった方が、世の中は良くなるんじゃないかと思うんです。いきなり大きなことは成し遂げられない。でも、一人ひとりができることを持ち寄れば、成し遂げられることの輪も、人のつながりの輪も、大きくなっていく。そこから面白い化学反応が生まれると思うんです」
自分で仕事を生み出すことができたとき、どんな景色が見られるのか。この町には、「一緒にやろう」という声に背中を押され、何人もの人が「自分の足」で立っている。
その人がやりたいと思う方向へ後押しをする支援がしたい、と関根さんは続けた。
「起業って意志が強くないとできないって思われがちなんです。でも人間はそんなに強くないから。失敗もするし、時には他人やその時の感情に流されるし、できないこともある。でもそこで、励ましてくれる人や、前を走る人がいれば……それだけで頑張れるんですよね」
「自分に何ができるんだろう?そんな不安な気持ちもよくわかります。でもそれは、やってみないとわからないから。やってみたらいいんじゃないですか?そう、伝えたいですね」
こうあるべき、こうしなきゃいけない、という生き方はない。生き方も、働き方も、暮らす場所も、自分で動いて、探して、選択していい。
何か挑戦したいと思ったとき、サポートしてくれる人とのつながりは、人生を豊かにするだけでなく、生き方の選択肢を広げてくれるのだ。
「やってみたらいいんじゃないですか?」
そんな軽やかな口ぶりに背中を押され、いつの間にか最初の一歩を踏み出している。関根さんからきっかけをもらい、羽ばたいていく地域の人たちの笑顔が、目に浮かんだ。